浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

のんぶる2006年10月号
今月の論点

執筆原稿から


ライブドア事件と村上ファンドの意味するもの

 時代の寵児から、不正な手段で金儲けをした犯罪者へ。ライブドアの堀江前社長の運命の変転は、IT時代、企業買収、株価至上主義に冷や水を浴びせられるような出来事であった。親の世代を経済的に超えられないあきらめ、ニート、非正社員雇用の増大など、若者の間にあるさまざまな不満や閉塞感が、堀江青年を時代の寵児に祭り上げた。そのことによって、堀江氏を自分たちの夢の体現者としたかったのだろう。マスコミもその人気を利用し、利用され、実物大以上に堀江氏の存在を大きく見せることになった。

 その堀江氏の転落は、犯罪摘発がなくとも、すべての流行現象がたどる運命と同じように、遅かれ早かれ予想できたことではあった。しかし、ふつうの流行とは別に、この堀江現象は、無視できないいくつかの問題を含んでいる。

 一つは、会社は誰のものかということである。株式総額の最大化を目指したのがライブドアの成功であり、失敗の始まりでもあった。株の分割、会社の買収を繰り返す手法は、会社は株主のものという考え方に基づいての行動といえる。

 しかし、会社は、株主だけでなく、消費者のためのものでもある。社会の中の存在であるから、社会全体の利益も考慮しなければならない。そして、忘れてならないのは、会社は社員のためを無視しては存続できないことである。ライブドアの一般社員は、会社の目指す目的、哲学を共有していただろうか。会社の発展の利益を享受していただろうか。何よりも、自分の会社がやっていることに、心からの誇りを持てただろうか。

 最後の部分が非常に重要である。私は日本フィランソロピー協会の会長をしているが、会社が社会貢献活動をすることの意義で最も大きいことは、社員が自分の会社に誇りを持って仕事ができるようになることだと信じている。会社が「フィランソロピー大賞」を受賞したら、会社の対外的イメージが高まることはもちろんであるが、社員はこれまで以上に自分の仕事に誇りを持てる。生産性だって上がるはずである。

 その対極にあったのが、当時のライブドアであり、村上ファンドだったのかもしれない。月並みな言い方に聞こえるかもしれないが、人間はまっとうに生きなければならないし、企業もまっとうな活動をしなければならない。短期間では成功を収めたとしても、長続きはしない。社員に恥ずかしい思いをさせるような組織に未来はない。その意味では、会社は株主のものである前に、社員の思いの結晶なのである。組織の構成員が胸を張って仕事ができる組織は、絶対に成功する。そのためには、組織は誰のために、何を目指すのかを明確にし、そのこころざしを持続させていく努力が求められる。これもライブドア事件、村上ファンド事件の教訓のような気がする。


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