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「あらきとうりょう」225号
シリーズ情報交差点―時代を読み解くC


政治的無関心とポピュリズム

 近年、若者の間を中心に、「政治なんて興味ない」ということが公然と言われている。「公然と」というのは、「恥ずかしげもなく」ということに近い。政治に興味がないということが恥ずかしいことではなく、むしろそのほうがカッコいいとまで受け止められていることに、問題の深刻さを感じてしまう。

 「プロ野球に興味がない」、「レコード大賞に興味がない」というのと、「政治に興味がない」というのが同列に扱われているようであるが、全く意味が違う。ペナントレースで巨人が優勝しようが最下位になろうが、一般の生活にはなんの影響もない。誰がレコード大賞を取ろうが、世の中に関係ないのと同じである。しかし、政治はそうはいかない。自民党政権が続くか、民主党が政権を奪取するかで、世の中は大きく違ってくる。政治については、興味がないことは、関係ないことにはつながらない。

 「明日の天気は変えることはできなくとも、明日の政治は変えられる」という言い方もある。つまり、プロ野球やレコード大賞について、その行方を興味を持って眺めている人も、その結果に主体的に関わることは、通常はできない。しかし、政治はこれとは違う。選挙への関わりがある。自ら選挙に出馬する、特定の候補者を応援するということは一般的でなくとも、投票するということでの関わりは、国民としての権利であり、義務である。選挙の時だけでなく、特定の政治課題について新聞などに投書する、請願活動をするという形での政治への関わりの機会はたくさん見出すことができる。

 私は、3期12年務めた宮城県知事を退いてから、慶應大学総合政策学部教授として湘南藤沢キャンパス(SFC)で政治学を教えているが、学生の政治への興味がどの程度のものかについては、しかとはつかめていない。「政治参加論」という私の講義を履修するという段階で、政治への興味は相当程度あるものと考えられる。しかし、実際の政治意識、政治的行動としては、まだまだであるということも感じてしまう。

 選挙への関わりということについて、学生たちは、国政選挙、地方自治体の首長選挙には、それなり以上の興味と関心は示している。しかし、地方議会議員選挙となると、まるで関心がなくなってしまう。そもそも、自分の住んでいる自治体の議員の名前を知らない。だから、議員を選ぶ選挙で投票に行くということには、相当の抵抗もあるらしい。このことは、学生に限らず、住民一般にも相当程度あてはまることではないかと考えている。

 まずは、地方議会が何をやっているかわからないということがある。私が知事時代にさんざん聞かされたのは、「県議会は知事に対するチェック機関である」、「県議会と知事とは、県政における車の両輪である」ということである。地方議会についての役割認識が、これでまちがっているとは言わない。しかし、それだけなのかという疑問は残る言い方であった。

 「県議会は唯一の立法機関である」という、政治学の教科書の第1頁目に書かれていることを忘れていないかということが気になる。知事には条例制定権はない。あるのは、条例提案権だけである。一方、県議会には、条例制定権も条例提案権もある。条例提案権のほうが、特に、議会自身も忘れているのではないかということを感じることがあった。

 6年ほど前、宮城県で「NPO促進条例」、「暴走族取締り条例」ができて話題になった。その内容というよりは、条例のでき方である。これが、久しぶりの議員提案条例の成立であった。どのぐらい久しぶりなのかと聞いたら、40数年ぶりだとのことで、びっくりしてしまった。ということは、この40年間、宮城県議会では議員提案で成立した条例が1本もないということになるから、驚いたのである。

 この5年ほどの間に、宮城県では15本の条例が議員提案で成立した。三重県議会と並んで、全国トップクラスである。ということは、他の都道府県議会では、これより少ない数の議員提案の条例しかできていない。

  もちろん、条例のほとんどは知事の提案によるもので、そのことはなんらおかしなことではない。しかし、立法機関である議会自らの提案による条例の成立が、こんなにも少ないのは、やはりおかしい。議会側からは、条例案を作るにあたって手足となるような補助機関が議会内に手薄であるから無理であると言われる。確かにそうであるが、条例を提案するという動きがなければ、こういった機関を充実しても無意味である。卵が先か、ニワトリが先かの議論であるが、ここはやはり議会側の動きでの実績づくりが先であろう。

  県議会が、県の予算編成にも実質的に関わっていくことも勧められるべきである。形式的には、予算編成権は知事にしかない。しかし、実際の場面で、こういった施策の予算が必要であるという提案は、議会側からどんどんなされていい。こういった施策は縮小してもいいのではないかという提案も、自治体財政難の時代には必要なものであり、これが議会側からなされることは意義がある。

  「議会側」と書いたが、実際は、個々の議員というよりは、政策集団としての議会内会派が主体的に行動することになろう。会派は議長などの議会内ポスト獲得のための便宜的存在ではないはずである。

 条例提案の立法活動、予算提案活動といったことが議会内で活発になれば、議員一人一人の政策能力が育っていく。得意、不得意ができてくるだろうし、議員の中でもその優劣が内外ともに見えてくる。そうなれば、選挙でどの議員を選ぶかの選び方も変わってくる。有権者も、そういう観点からの興味を抱くことになる。これが、地方議会、地方政治に一般住民の関心を呼び戻すことにつながる。

  政治に関心を持つかどうかを決める大きな要因は、政治を自分たちで変えられる可能性の認識が持てるかどうかである。変えられると信じて行動を起こすことが、本物の民主主義を根づかせることに結びつく。「本物の民主主義」とは、「にせものの民主主義」の反対語ではなくて、「お任せ民主主義」に対置するものである。「政治は誰かに任せておけばいい」というお任せが、政治的無関心に通じる。

  それでは、本物の民主主義を成り立たせる条件のようなものは何だろうか。私は、情報公開、地方分権、NPOの三つをあげている。これは国政でも県政でも同じことである。

  政治の場で何が行われているのか、これがわからなければ、政治に関心を持ちようがない。これが情報公開の必要性である。地方自治体の施策が、国からの補助金で下支えされているものばかりだとしたら、住民としては、国に任せておいたらたいていの施策はやってもらえると安心して、「すべてお任せ」ということになってしまうだろう。自治体が施策の実施に手を抜くかもしれないと監視し、要請するという行為に関心が向かなくなってしまう。NPOは、自分たちで施策の一部をやってしまうことにつながるので、自治体の施策に強い関心を持たざるを得なくなる。つまり、情報公開、地方分権、NPOが「本物の民主主義」つまり、住民が自治体の政治のあり方に興味と関心を持つ条件であるというのは、こういう意味である。

  政治的無関心の逆の現象のようであるが、ポピュリズム(大衆人気迎合)による政治も、政治の中身への興味に根ざしていないということから、大きな問題を含んでいる。最近の事象としては、自民党総裁選挙への国民一般の「関心」がある。まるでプロ野球のペナントレースへの興味と同列で見ているのではないかと思えて、大きな違和感を持った。

  まずは、自民党総裁選びは、事実上の総理大臣選びのようであるが、あくまでも「事実上」のことである。「制度上」は、国会による首班指名選挙の候補者選びであることを全く忘れているようであることも気になっていた。「自民党総裁選に、国民が全く関われないのは、おかしい」といった、トンチンカンな意見が新聞の投書欄に載ったりする。自民党員でもない人が関われるはずもない。不満を言うなら、「自民党総裁選が終わったら、すぐにも、新政権は衆議院を解散し、総選挙で民意を問うべきだ」といったものであるはず。

  小泉首相の人気が高く、国政選挙でも自民党の勝利に貢献したことを「成功体験」として、今回の自民党総裁選でも、国民的人気を候補者選びの基準としたかのような自民党の行動様式、思考形態であった。これに乗せられたかのように、国民のほうでも、大衆受けがいい候補者への人気が集中した。福田康夫氏が総裁選に出馬しないと知ると、「これでは安倍晋三氏が独走でつまらない」というふうに、「阪神が不調で、セリーグでは中日が独走でつまらない」というのと同じ次元で語られているのも気になる。

  小泉流ワンフレーズ・ポリティックスは、わかりやすいし、印象的だし、大衆には受ける要素満載であるが、それでいいのか。昨年の9.11衆議院議員選挙で「小泉チルドレン」を大量に当選させた事実を見ると、大衆が人気先行で政治に関わることの恐ろしさも感じてしまう。

  長野県知事選挙で田中康夫氏を選んだ6年後に、同じ県民が69歳の対抗馬を選んで田中氏を知事から引きずり下してしまう。国政にしても、県政にしても、人気というとらえどころのないもので政治が扱われてしまうと、しっぺ返しも強烈なものになる恐れがある。政治への関心は、地に足が着いた理知的な関心でなければならない。そうでなければ、政治への無関心以上に、まずい結果に導かれることもあるのではないか。「政治への無関心」というテーマを与えられて、そんなことも考えてしまった。


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