![]() 2006年2月6日
「本物の改革」へ道半ば 昨年末、三位一体改革の第一期目の決着がついた。「三位一体改革」の代替用語として、私は「地方財政自立改革」を提唱した。この改革は、地方財政の自立を達成しようというものであるから、こちらのほうがわかりやすいのに、定着しなかった。 用語にも表れている通り、この決着は、地方の期待を裏切るものであった。国から地方への補助金分配権限によって、地方としての施策遂行の裁量が狭められているのだから、補助金つきの施策を廃止して、廃止した補助金の総額に見合う金額を国から地方に税源として移譲することが求められていた。その総額が3兆円ということである。4兆円の補助金を廃止して、3兆円を国から地方へ税源移譲するという数値目標は、小泉首相の指示で明確にされた。ここまでは、首相のリーダーシップは発揮された。 3兆円の数値目標は達成された。しかし、政府はそれに見合う金額の補助金つき施策を廃止するのではなく、義務教育、児童手当、児童扶養手当の国庫負担率を3分の1に引き下げるという奇策をもって、「決着」としたのである。前年に国民健康保険への都道府県財政調整交付金の創設という不意打ちで生み出された金額を加えると、国庫負担率の引き下げで約2兆円分の税源移譲を稼いだのである。
「奇策」、「不意打ち」と書いたが、これでは地方の財政上の裁量拡大にはつながらない。地方財政自立改革の趣旨から見れば、全体として、ごくごく限定された成果を挙げたに過ぎない。 この「決着」を小泉首相が「地方の意見を尊重したいい内容になったね」と評するのを聞いて、改革の趣旨が首相本人にも正確に理解されていないとの疑念を抱いた。せいぜい「国と地方、痛み分けの決着だったね」と言うべきものである。 そもそもが、小泉首相の指導力もあって、改革は曲がりなりにも進んできた。地方側は、それに呼応し団結して立ち上がったのである。しかし、この「決着」では、「誘惑されて捨てられて」になってしまう。「うれしがらせて、泣かせて消えて」しまわれては、困るのである。 三位一体改革(地方財政自立改革)は、財源をめぐっての国と地方の綱引き合戦ではない。自治体として、納税者から集めた税金を、住民の最大幸福のためにどう使うか。有権者でもある住民を巻き込んだ形で、税財源の使い方を自主的に決めていくというシステム確立につながる構造改革である。この一面を私は、地方において「ほんものの民主主義」が根付くために必須の過程と認識している。 国の側から見れば、霞ヶ関の役人が「補助金分配業」に埋没せず、国際化への的確な対応にこそ時間と労力を傾注するシステムへの転換である。牛海綿状脳症(BSE)、鳥インフルエンザ対策、がん撲滅作戦など、国でしかできないことに、人材と精力を集中すべきである。一方で、福祉やまちづくりなどの内政問題は、基本的に、地方に任せて欲しい。 宮城県での具体例を挙げれば、障害児も普通学級で学べる方策を模索する県の努力は、分離教育を基本とする国の方向と合わない。義務教育国庫負担では「共に学ぶ教育」のための補助教員の配置は対象にならないので、県単独で費用を賄わざるを得なくなる。それなら義務教育国庫負担そのものを廃して県の財源にしたほうがいい。福祉、道路、農業基盤整備など多くの分野に同様の問題がある。
自治体の財政的自立は、自由の獲得であり、その中には失敗する自由も含んでいる。補助金で国からの指示どおりに施策を進めれば、大過なしだが、それでいいのか。緊張感のある行政運営が基本となる。 地方交付税の見直しにより、地方にとってはこれまで以上に厳しい財政運営につながることも、ある程度は覚悟しなければならない。その試練の中からこそ、自主的で力強い自治体が育つ。市町村合併で足腰が強くなった自治体なら、その可能性は高くなっているはずである。 霞ヶ関としては、三位一体改革をこれ以上進めるのは勘弁してくれというのが本音だろうが、そうはいかない。地方側とすれば、こんな決着では、改革など始めなければよかったと言いたくなるほど、中途半端な状況である。引き続き、第二期の改革は、きっちりとやり遂げなければならない。 地方側として、今回の決着の反省を込めて、ぜひともやらなければならないのは、国民一般に対する、わかりやすい説明である。改革がなぜ必要なのか、それによって国民には何がもたらされるのか。「補助金の使い勝手を良くする運動」といった趣旨が前面に出るようでは、国民の共感を得るには至らないだろう。私としては、前述したように、「本物の民主主義」を根付かせるためのシステム改革という線を強調したいと考えているが、その辺は世論も味方につけながらの、綿密な意見集約、作戦会議が必要となる。 日本にとって残された時間はあまりない。「官から民へ」の郵政民営化は方向が明確になった。「国から地方へ」の改革が置いてきぼりを食うのでは、構造改革の旗印が泣く。国民運動を起こすぐらいのエネルギーと知恵の結集が求められる。
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