今こそ地方分権
2005.9.21
今年も闘いの秋が巡ってきた。冬の寒さがやってくる前に決着をつけなければならない闘いである。地方財政自立改革(三位一体改革)について、我々地方側と政府との間で、きちんとした結論を得なければならない。
3兆円の税源移譲という、小泉首相が天下に約束した事項がある。昨年末の決着では、2兆4000億円までしかできていない。残り6000億円分は、地方側から示した補助金・負担金の廃止リストから選択してもらわなければならない。地方側としては、11月末には決着をつけられるべきものであるから、一定の考え方が政府側から示されるのを、じりじりしながら待っているという段階である。しかし、どうも政府側の動きは鈍い。鈍過ぎる。
なんのための地方財政自立改革であるかの本質をしっかりと理解した上で、政府全体としての方向性を出そうという強い意志が見えない。義務教育の国庫負担金の中学校分8500億円を廃止するということは政府としても決定したにもかかわらず、中教審の審議に委ねているというのは、地方側からすれば、不信感で一杯にならざるを得ない。中教審で「廃止はやめよう」という答申になったら、政府としても「やーめた」ということにできるとでも思っているのだろうか。
残り6000億円分を稼ぐために、生活保護の国庫負担金に手をつけようとしている動きがある。地方側からは、生活保護の国庫負担金の負担率を下げるとか、地方の裁量の余地を広げることにつながらないような案は、絶対に受け入れられないと早くから明言しているのにもかかわらずである。
細かいことを論じるのは、一応、横に置いておく。「何のために」ということに戻ろう。国と地方との関係を財政面できっちりと整理するというシステム改革をやろうということ、その原点を忘れてはならない。国の財政再建が喫緊の課題であることは誰でも知っている。国の財政再建を果たすためには、国だけではできない。地方との関係をシステムごと改革するのでなければ、財政再建など絵に描いたもちである。
どうしても、霞が関改革に手をつけざるを得ない。補助金・負担金を配るという手段で格差是正、全国的な一律・公平を図るという幻想から、脱皮すべきである。補助金・負担金という手段で、霞が関が地方を指導しようということは、卒業してもらいたい。
とはいっても、霞が関の意識改革、行動様式改革を、霞が関に求めるのは、無理らしいというのは、これまでの経験から、いやというほど見せつけられている。ここは、政治主導、なかんずく、首相のリーダーシップの発揮以外に方法はないのである。
小泉首相は、郵政改革で蛮勇を振るい、あれだけのリーダーシップを発揮したではないか。法案に反対した衆議院議員を自民党から除名し、その選挙区には賛成派の候補者を送り込むという、前代未聞の指導力を示したではないか。同じ姿勢で、地方分権にも当たって欲しい。地方分権に抵抗する閣僚は罷免して、新しい人を据えるぞということぐらい、言えるのではないか。
「今こそ地方分権」というタイトルを掲げた。郵政改革は官から民への流れである。中央から地方へという改革が、地方分権改革、地方財政自立改革である。郵政民営化法案が成立したら、ただちに地方分権改革に全力を挙げて欲しい。
幸いにも、小泉首相は、地方分権改革の必要性を理解し、そのために何をすべきかということも認識している。あとは、具体的にどうすればいいかの戦術だけである。昨年11月に我々地方側を失望させた「あとは官房長官などに任せる」といったやり方ではなくて、抵抗する閣僚の首を挿げ替えるほどの迫力を持って対処してもらうことが、ぜひとも必要である。
今進行中の地方分権改革は、戦後最大の改革の一つと言っていい。それほどの重要かつむずかしい改革が、首相の決然としてリーダーシップなしに実現するはずもない。もしそうなら、もっと前に実現していたであろう。今こそ地方分権。郵政民営化法案の処理の後は、これしかない。我々地方側は、やるべきことをやった後は、小泉首相の出番を固唾を呑んで見守ることになろう。
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