宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

シローの走り書き

走るクマ

万博万歳

2005.6.21

 愛知万博の入場者数が、折り返し点を前にして、800万人を突破したとのこと。単純に2倍すれば、9月に終了するまでに1600万人以上の入場者となる。目標が1500万人であるので、入場者が日を追って増えている状況を考えれば、楽々目標突破であろう。

 800万人の中には、私も入っている。6月15日は、「宮城・山形の日」であった。山形県の斎藤弘知事と一緒に、グローバル館に出向いて、両県の宣伝をしてきた。時間がなかったので、見学できたのは永久凍土から掘り出されたマンモスだけだったが、これを見ただけでも、元を取った気にはなったものである。1万5000年前に地球上を闊歩していたであろうマンモスの本物が目の前にある。すごいことである。1分弱の見学ではあったが、十分なる感動を呼び起こしてくれた。

 私の万博見学は、これが35年ぶりである。前回は、1970年の大阪万博。「日本人って、結構お祭り好きなんだよな」と冷笑しつつも、結局、「話の種に」ということで見に行ってしまった。社会人一年生だったが、なんと両親と一緒というのも、今更ながらちと恥ずかしい。ともあれ、インド館で、女性コンパニオンと英語で話してみたという初体験も含めて、それなり以上に感動してしまうのだから、私も「お祭り好きの日本人」の一人ということを確認することになってしまった。

 インド館だけではない。イギリス館、アメリカ館、ドイツ館なども回った記憶がある。「コンニチハ、コンニチハ、東の国から・・・・」と朗らかに歌う三波春夫さんの歌声を思い出すまでもなく、大阪万博は世界の国への関心が高まった博覧会だった。当時の日本にとっては、外国は現在でも過去でもなく、未来そのものであったと思う。1970年と言えば、高度成長もまだまだ現在進行中。まだ、1ドル360円の固定相場の時代であった。世界の中での日本の存在感の誇示は始まったばかり。世界の先進各国の存在感が、まばゆいような時代であった。

 この6年前の東京オリンピック、そしてこの大阪万博。日本が国際社会の中で存在感を増していく真っ只中での二大イベントであった。国威発揚という意義と意欲はまぎれもない。オリンピックの前と後とでは、日本社会は大きく変わった。大阪万博の前後も同様である。物事が変わった以上に、日本人の考え方、意識が変わった。外国にあこがれるだけの日本ではないぞ、世界の中の日本だぞという意識とでも言おうか。そんな自負と誇りを胸にするようになった。いい意味で言えば成長、悪い意味では増長。その節目ではあった。

 そんな時代背景から言うと、愛知万博はだいぶ違っている。21世紀のこの時代に、今更万博でもあるまいという想いが、私にちょっぴりはあったことは事実である。期待通りにお客様が集まるのだろうかという危惧もあった。しかし、この盛況である。危惧は杞憂に終わろうとしている。まずは、一安心である。

 地球環境問題への関心を高めるという明確な意図があることも、特筆していいだろう。まさに21世紀の万博らしいテーマである。環境問題も含めて、目は未来に向いている。1万5000年前のマンモスだって、過去というよりは、永久凍土が一部溶けてしまうという地球環境への警告の意味もあるのだろうから、これとて未来志向なのかもしれない。万博というのは、しょせん未来志向のものなのだから、そこに夢と希望を託するということで、お客様は愛知の森に足を運んでくる。

 ないものねだりと知りながら、言ってみる。1万5000年前という「過去」ではなく、直近の過去を真摯に振り返り、世界の中の日本を意識しつつ考え抜くという契機は万博に求めるのは、場違いなのだろうか。今の日本に欠けているものは、未来への展望というよりは、過去の正しい認識という気がするものだから、ついつい言ってみる。

 愛知万博が順調に人を集めている中で、いまさら野暮を言うことはない。万博は万博として、その意義をしっかりと追求してしかるべきである。そこから明るい未来がやってくる。万博万歳である。



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