地方財政自立改革の「幕間」に
2005.4.12
地方財政自立改革(三位一体改革)の動きを、舞台にたとえて語ることが多かった。地方側と霞が関とが、補助金廃止の見返りとしての税源移譲をめぐって闘うというのが、演目であった。最後に葵のご紋の印籠を掲げて「静まれ、おのおの方」と小泉首相が登場して幕が降りるものと期待していた。ところが、「俺の出番をなくするのが、官房長官以下の役目」とか言い捨てて、主役のはずの小泉首相は舞台の袖に引っ込んだまま出てこなくなった。舞台の上は大混乱、ドタバタを残して幕が降りたというのが昨年末。
シナリオがない劇なので、アドリブだらけ。黒子であるべき役人が、大臣や国会議員を押しのけてセリフを言う。観客席は、演題の「三位一体改革」って一体なんだろうといぶかりながら、あまり面白くもなさそうな舞台につきあっている。劇のほうは、ドタバタのうちに幕が降りてしまった。「これで終わりなんだろうか、もう一幕あるのだろうか。まあ、どっちでもいいや」という感じが観客席に漂う。
劇は終わりではない。すぐに第二幕を開けなければならない。この幕間の時間に、その第二幕をどういう内容で演じきるかを、我々地方側としては叡智を尽くして考え抜くべきである。
まずは、第一幕の総括が大事。ドタバタと書いたが、その通りで、一体何のための、誰のための改革だったのか、改革の大義として掲げた目標の何を達成したのかを検証しなければ前に進めない。概観して言えば、一敗地にまみれたというに近い。惨憺たる結果である。「骨太の方針2004」で政府自身が掲げた税源移譲目標3兆円に対して、平成17年度、18年度で1.7兆円にしかならない。平成16年度実行分を含めても、2.2兆円にしかならない。
金額だけに惑わされてはならない。中身はもっと問題含みである。1.7兆円の中には、地方側が望んでもいなかった国民健康保険の都道府県負担分6,850億円が含まれている。「ベンチ入りもしていなかったバッターが、いきなり4番バッターの主砲に躍り出た」と形容すべきような出来事である。この「奇策」により、厚生労働省関係で廃止リストに掲げられた47施策のうち、全額が税源移譲に結びついた施策が、たった4施策に止まってしまった。つまり、国民健康保険関係の6,850億円の税源移譲によって、厚生労働省関係の43項目の施策は、補助金廃止を免れたのである。
こういったことに象徴されるように、第一幕の終わり方には、大きな不満が残る。そこで、次なる第二幕ではどうするか。まずは、「3兆円」といった目標金額にこだわるのではなく、廃止となる補助金付き施策の中身にこだわるべきであろう。今となってみると、昨年の11月に政府側から、地方案への「代案」として、国民健康保険の都道府県負担の導入が提案された時に、「そんなものいらない。ノー」と押し戻すのが正解だったのではないかとも思う。
地方側として、ちゃんとした理論武装をすべき課題としては、補助金付き公共事業がある。「補助金の原資は建設国債であるから、補助金を廃止しても税源移譲には結びつかない」という財務省、国土交通省連合軍の「理屈」に、有効な反論ができないままに、廃止対象から除かれてしまった。各種補助金の中で、地方側から見て最も問題が多いのが、この公共事業関係であることを考えれば、上記のような「理屈」に簡単に屈服してはいられない。よく考えれば、これは「屁理屈」の類であるのだから、もう少し緻密な議論を展開すれば、論破できないようなものではない。
地方側の団結を強化することも必須である。地方財政自立改革の大義を、すべての自治体の首長、議会議員がきっちりと理解し、それに沿った行動をしているか。住民にまでそのことが徹底しているかも問われるだろう。
その点で気になるのは、地方交付税の問題である。昨年の攻防の中で、財務省から「地方交付税の無駄」が言い募られ、7,8兆円の削減の脅しがかけられた。これに恐れをなしたということでもないが、地方側にとって「地方交付税の額の死守」のほうが地方財政自立改革の大義よりも大事なことのように思えてしまったフシがある。東京の武道館での「1万人決起集会」での「がんばろう」に込められた思いのかなりの部分は、地方交付税の削減許すまじになってしまったのは、改革の運動論としてはマイナス要素であった。
第二幕が開く前に、義務教育の国庫負担廃止、生活保護・児童扶養手当の国庫負担の削減こそが最大課題になっているかのような状況が作られつつある。この問題も重要であるが、そもそもの大義を忘れてはならない。議論の進め方は、闘い方は、まことにもって、むずかしい状況であることはまちがいない。しっかりとした戦略をもって闘いに臨む必要性を感じている。
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