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月刊年金時代2006年7月号
新・言語学序説から 第49

「不躾について」

 タイトルは「ぶしつけ」と読む。いまどきの若者は、意味がわかるのかどうか。それはさておき。聞きにくいことを相手方に尋ねるときに使われる言い方である。「ぶしつけですが・・・」と始まって、「ご結婚されていらっしゃるのですか」とか、「収入はどのぐらいおありになるのですか」とか、「大学はどちらをご卒業になられたのですか」といった質問に続く。

 言語学の問題というよりは、「礼儀作法入門」の範疇である。「ぶしつけですが」という前置きを入れればいいということではなくて、聞きにくいことを、どうしたら相手方の失礼にあたらないように聞き出すかという作法に関わる。議員とか新聞記者は、質問して答を引き出すのが職業上の要請であるから、「ぶしつけですが・・・」などということを言う必要はない。それ以外の一般の人間関係の中では、不躾な質問にわたらないように気をつけなければならない。

 不躾な質問の典型は、病気に関するものだろう。相手方が自発的にしゃべらない限りは、病状などについて尋ねるのは医者に任せておけばいい。「どこが悪いのですか」、「直りそうなのですか」、「命に関わるのですか」などと聞かれて、喜んで答える人はあまりいない。触れてもらいたくない話題であろうし、そんなことを聞き出す人の人間性が疑われる。

 「結婚しているのですか」というのを例に挙げたが、これは聞いてはいけないというのではなく、尋ねるときには「ぶしつけですが・・・」と前振りするのが礼儀という意味である。この程度の質問であれば、初対面の相手でなければ「ぶしつけですが・・・」もいらないかもしれない。

 洋の東西を問わず、年齢を尋ねる、特に女性に対してそうするのは、不躾であると考えられている。私のテクニックは、過去の出来事を話題に出して、相手の人がその出来事を経験したのが何歳ぐらいの時であったか探ることによって、年齢を割り出すというものである。「東京オリンピックが終わって、体操のチャスラフスカ選手が仙台の体育館にやって来た時は、高校二年生の授業を抜け出して見に行ったものですよ」といった話題を振って、相手方から同様のエピソードを引き出す。「なるほど、その時この人は中学生だったんだ」ということで、大体の年齢は割り出せる。同様に、テレビが初めて入った頃、皇太子殿下(現天皇陛下)のご成婚、大阪万博、大学紛争などなど、相手方の推定年齢によって話題を選んでみる。

 質問しないことが不躾になったという珍しい例がある。もうずいぶん前のことであるが、知人の奥様とばったりお会いした。少し太り気味の奥様という認識はあったが、その時の姿もお腹が出ているようなので、ひょっとして妊娠中かとも思ったが、そんなことを聞くのは、まったくもって不躾になるので、触れなかった。そうしたら、その奥様は私が「ご妊娠中ですか」と聞かなかったことを「失礼ね」と言うのである。もちろん、半分笑ってのことではあるが、彼女の説明で「なるほど」と合点がいった。

  「私のお腹が出ていることを、浅野さんは私が太っているからだと思っていらっしゃったのですね。だから、『妊娠しているのですか』と聞かなかったのでしょう」。これは実にむずかしい状況ではある。だからといって、「妊娠しているのですか」と聞いて、答が「ノー」だったら、二重の失礼ではないか。だから、聞かなかったのは正解なのだが、結果として「失礼ね」と言われた不幸なケースである。

  知事を辞めて直面したむずかしい問題が、講演における講師料のことである。知事辞任後は、講演活動が、時間的にも、収入的にも、主要なものになった。いろいろなところから講演依頼が舞い込むが、その際に問題になるのが講演料である。講演内容、日時、場所などについては説明があるが、講演料をいかほどにするかは何も言ってこないのが多い。先方からすれば、「いかほどにしたらいいでしょうか」と尋ねるのは不躾に思うのだろうし、「講演料は○○万円で」と指定するのも失礼と考えるのだろう。

  受けるこちら側からすれば、それが困る。実際には、マネジメントを担当しているところの仕切りで「○○円以上」ということにしているので、そのことを当方から申し上げることになる。それでいいなら話をお進めください。その条件では折り合わないというなら、やめましょうということになる。基本的には、講演依頼を本人が直接受けることがまずいのであって、第三者機関というか、事務的に取り仕切るマネジメントが交渉に当たれば、気まずさなく、不躾ということも起こらない。

  この問題のもう一つの側面が、講演料の相場があってないようなものということである。一時間の講演料が何百万円という芸能人やスポーツ選手がいる。このことは、機会があったら別途論じたい。

  不躾な質問をされたら、されたほうとしては、「そういう聞き方は私にとっては不快です」ということを、これまた不躾にならないように伝えるのも、生活の知恵、礼儀作法であろう。状況が許すなら、半分冗談に聞こえるように応対するのがいい。年齢を聞かれたら、「あなたが思っているよりは、若いはずです」(ニヤリ)とか、女性にもてるでしょうと聞かれたら、「この顔のわりにはもてますね」(ニヤリ)といった具合である。

  改めて思うのだが、「ぶしつけですが・・・」という言い方は、日常生活の中で大事にしたい文化である。英語では、これにあたる言い方があっただろうか。私としても、不躾な質問に気分を悪くするというよりは、自分だけは不躾なことは聞かないようにする心構えを持ちたい。どうしても質問しなければならない時には、「ぶしつけですが・・・」といった言葉がすらっと出るように、訓練を積むことも必要であると思う。

  「ところで、ぶしつけですが、浅野さん、本当にそんな言語生活をしているのですか」と聞かれたら、何と答えようか、正直なところ困っている。


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