![]() 月刊年金時代2006年6月号 「講義について」 今年の4月、慶応義塾大学総合政策学部の教授に就任して、湘南藤沢キャンパスでの講義が始まった。4月11日(火)のことであった。 大学という場で、学生相手に講義したことは、それまでにも何度かある。県立宮城大学、立命館大学、東洋大学、東京大学、東北福祉大学などで特別講義をやらせてもらった。しかし、今回は専任教授に就任したのであり、目の前の学生とは今学期ずっと付き合うことになる。そういった意味では、今回が初体験である。 火曜日の3時限、午後1時からの「政治参加論」が、浅野教授のデビュー戦であった。あてがわれた教室は定員72名で、私としては内心、「俺の授業に100人以下ということはないよな、甘く見られてるな」と思っていた。もう一つの内心では、「15人しか来なかったらどうしよう」という不安も抱えていた。1時少し前に教室に行ってみたら、なんと、廊下まで学生があふれているではないか。これには、ほっとすると同時に、グッとこみ上げるものがあった。 あわてず騒がず、教室移動である。最前列の学生は、相当入れ込んでいて、「せっかく一番前の席を確保したのに」という顔をしていたので、「教室が移っても、最前列にいた人には最前列に坐る権利を確保しよう。廊下にいた学生は、後ろのほうへ」とアナウンスをして移動した。 移動した教室では、最前列の席をめぐって、学生が小競り合いをしているではないか。そんな風景を見て、新米教授として気分が悪いはずがない。 ほぼ満杯となった教室で、まずは初めての授業である。春学期13回の講義の目次のようなものとして、「知事業とは何か」を話した。学生の姿が教室にちらほらというのなら、気分が落ち込んで話す元気もなくなっただろうが、これだけの満員状況である。最前列争奪戦も繰り広げられている。いつもの調子で落ち着いて講義をすることができたのは、まことに幸先のよい出発であった。 思いついて、出席カードの裏面に、コメントを書いてもらうことにした。あとで読んでみたら、これがいい。まずは、枚数が145枚。これだけの数の学生が聴講してくれたということに感激。コメントは95人からもらった。記名であるから、お世辞が何割かは含まれているのは当然だが、それにしても勇気付けられるコメントがほとんどであった。こんなにも喜んで聴いてもらっていたのかと思ったら、俄然張り切ってしまう。 第2回の講義は、翌週の火曜日4月18日。奇異だったのは、授業が始まって、私の目の前で食事をしている学生がいることであった。前の授業が12時40分までで、昼休み時間が用意されていないので、ここ湘南キャンパスでは授業中の食事は許されている。1人や2人ではない。10人以上の学生が食事をしているのを見ながら講義をするのには、あまり慣れていない。 そこで第3回目の講義に飛んでしまうのだが、授業が始まる前に、「飲食学生指定席」を設けることをアナウンスした。教室の左側の奥のほうの座席に集まってもらう。そうであれば、私の視界に入りにくいし、周りの非飲食学生への迷惑も最小限になる。ついでに、「睡眠学生指定席」も作った。最後部2列の左右の端10席ほど。「今日は寝るつもりという学生は、始めからそこに坐って欲しい。授業の途中で寝たくなった学生は、そっと指定席に移ってもらいたい」と付け加えた。こう言っておけば、寝る学生はいなくなるだろうという読みもあった。 こんなことをやれるほど、私に余裕が出てきた。受講学生が多いことに自信を得て、「私の授業は無理して出てもらわなくともいい。聴講したい人が、権利ベースで聴いてくれればいい」とまで言ってしまった。授業の最中に、私語をする学生がいたので、「これは権利ベースなんだから、聴く気がなければ教室から出て行ってくれ」と注意をした。その時の「出席カードコメント」では、何人かの学生から「私語を注意してくれてありがとうございました」という感謝の言葉をもらった。大教室での90分の授業では、ちょっと規律を緩めると、収拾がつかなくなることは、私も経験上わかっている。 再び「出席カード」であるが、2回目の講義後に集まったのは、185枚。前回より40枚増えて、しかも全員がコメントしてくれた。コメントに答えるのは教える側の義務でもある。次回の講義のレジュメでは、「前回の質問から」として、10人の学生からの質問を書き、一つひとつ詳しく回答した。このことも、「双方向性の授業」ということで、学生からは好評であった。ついでに、「先週の誤字」というのも紹介しておいた。学生の名誉のために、具体例は書かないが、十一項目の誤字があって、それを親切にも正しておいた。 双方向性の授業がいいというのは、学生だけの想いではない、私にとっても、双方向性が成り立つような授業は実に楽しいのである。大教室なので、ディスカッションはしにくいし、学生からの質問を授業中に受けることもしていない。だからこそ、一人ひとりの学生から毎回受け取るコメントは、とても大事なものである。授業に活気を与えるし、私は勇気とやる気を鼓舞される。 新米教授の滑り出しはまことに好調である。キャンパスを歩いていると、30年前の米国イリノイ大学での留学を思い出す。キャンパスの感じが似ている。それにしても、58歳にして、再びキャンパス・ライフを楽しむ人生が用意されているとは、何たる幸運であろう。仙台からの新幹線通勤、東京駅からも1時間30分かかる湘南キャンパスの遠さなど、あまり気にならない。何といっても、打てば響く学生と一緒であることがいい。 大学での講義は、生もの相手に毎回挑戦を受ける真剣勝負の厳しさだと書くつもりだった。書いているうちに、「そうでもないな」と思えてきた。むしろ、学生と一緒に創作する共同作品ではないだろうか。そんな機会を与えてもらった私の人生。改めて、知事の辞め時を間違えなくて良かったとの感慨を覚える。
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