![]() 河北新報2006.2.11 全国知事会 「改革派」が先導 それがいつごろから変わったのだろうか。高知県の橋本大二郎知事、三重県の北川正恭知事、岩手県の増田寛也知事など、「改革派知事」と称される人たちがリードするようになって、雰囲気が変わり始めた。 公式の知事会とは別に、「地域から変わる日本」、「地方分権研究会」といった、知事プラス学者がメンバーの非公式グループがいくつかできてきた。そんな場に私も参加して、彼らとの交友を深めていくうちに、「改革」とか「闘う」という姿勢が身に着いてきた気がする。 2003年夏に岐阜県高山市で開催された知事会は、入り口に「闘う知事会」の旗が並ぶものものしい雰囲気。ホスト県である岐阜県の梶原拓知事(当時)のアイディアであり、知事会の中身も「闘う知事会」にふさわしいものであった。 折から、三位一体改革の動きが本格化し始めるころであり、知事会として、補助金廃止リスト作成の方向でまとまるほどに、議論は深まっていた。 会長選挙を提案 高山市での知事会では、(埼玉県知事の)土屋会長の後継会長選びが話題になり、私も提案者となって、それまでは、話し合いで決まっていた会長職を選挙で選ぶことに決まった。知事会の闘う姿勢を鮮明にしたいという趣旨である。選挙では、立候補者は梶原知事お一人だったので、そのまま知事会長に就任ということになった。 分権推進に努力 2日目の昼近く、時間切れ間近に採決されて、賛成多数で義務教育国庫負担を含む3兆2千億円の廃止リストの提出を決めた。この瞬間、私にも胸にグッとくるものがあったことを思い出す。隣に坐っていた石原慎太郎東京都知事が「知事会がこんなに真剣に議論するところだとは、知らなかった」とつぶやいたのも印象に残る。 その知事会をはじめ地方6団体の悲願である三位一体改革が、昨年末、中途半端な「決着」をみたのは、残念でならない。戦後やり残したシステム改革であり、小泉首相の言う構造改革の本丸でもある三位一体改革が、国の補助率・負担率の引き下げといった姑息な手段で、3兆円の税源移譲の数字合わせをすることに、どれほどの意味があるのか。 小泉首相のリーダーシップは、最後の場面ではしっかりと発揮されなかったことは、誠に遺憾である。 知事としての職責は終えたが、私にとって地方分権は永遠の課題である。今後とも、別な立場からではあるが、改革の実現に微力を尽くしたい。
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