浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

河北新報2006.2.8.
疾走12年から 第2回

不祥事

再生へ膿を出し切る

全容解明に着手
 知事就任から1年ちょっとたった1995年春、食糧費問題が噴出した。食糧費を使った懇談会が、実際には開催されていない、費用が水増しされているとして、仙台市民オンブズマンが、財政課の職員を相手に住民訴訟を提起した。これは、「県庁の悪しき慣習」と呼ぶような組織ぐるみの問題であって、職員個人が責任を負うようなものではないと私は直感した。そこで、食糧費支出に関しての全庁的な内部調査を指示し、全容解明に着手した。

 結果として、全庁的に食糧費の不適正支出があったことが判明した。それから間もなくして、カラ出張問題が明るみに出て、これも全庁的調査を命じた結果、数億円単位の不適正支出が認められた。県庁として陳謝し、関係者の処分をした。

 不適正支出に関わった金額は、利子分も含めて約9億円で、これを管理職全員で県に返還することとした。この返還が最終的に終了したのは2003年3月分の給料までであるので、77ケ月かかったことになる。大変な不祥事である。

「転ばぬ先の杖」
 個人の不祥事ではなく、組織ぐるみの場合、組織ぐるみで隠蔽しようとする。私も、当座は、「逃げたい、隠したい、ごまかしたい」という思いにとらわれた。結果的に、「逃げない、隠さない、ごまかさない」となったのは、情報公開条例による書類の開示請求があれば、逃げられない、隠せないという認識に至ったということがある。

 それに加えて、「知事は組織のトップであると同時に、県民に選ばれて県庁に送り込まれた存在である」ということに思い至ったからである。

 ゼネコン汚職で知事逮捕、その記憶も覚めやらない時期に、新たな不祥事の発覚。ここで膿を出し切らなければ、県庁は立ち直れない。恥をさらけ出し、反省し、かかわった金額を返還してこそ再出発できる。「知事は職員を犠牲にするのか」といった誤解もなかったわけではないが、思い切って対処した結果、傷口を広げなくて済んだ。

 この過程で、情報公開の本当の意義を実感した。「審議会を公開します」とか、「県の財政状況をお伝えします」といったきれいごとの情報開示は、それなりに大事ではある。もっと大事なことは、隠し事ができないという意味での情報公開である。このことが、組織の構成員すべてによって理解されていれば、不祥事は未然に防げる。「情報公開は、組織にとっての転ばぬ先の杖」というのが、この事件を経ての私の実感であった。

控訴せずを決断  
  官官接待の相手方の氏名公表をめぐる訴訟において、開示を命じた仙台地裁判決に、「控訴せず」の判断を下した時も、相当に悩み、迷った。控訴しなければ、接待にあずかった中央省庁の役人の氏名が公表されてしまう。最後の決断を促したのは、その氏名の中に架空のものがかなり入っているという事実を私が知っていたことである。

 その事実が後で明らかになった時に、「それを隠そうとして控訴したのだろう」となってしまう。その際の私の責任は免れない。そもそも、公用で官官接待に臨んでいるのだから、そこにプライバシーの入る余地はないというのが、地裁判決の論理であるが、それ以上に、私にとっては「隠す」ということにからむ責任問題のほうが、はるかに大きな関心事であった。

 後に、宮城県の情報公開は日本一と評価されるに至るが、出発点は、この悩み、苦しみの中にあった。情報公開に聖域を作れば、必ず腐敗するという私の実感も、この時に生まれたものである。


TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org