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月刊ガバナンス平成18年6月号
アサノ・ネクストから 第6

とうほく食文化応援団

 アサノのネクストの仕事の一つに、地元の民放テレビ番組への出演がある。番組といっても、毎週1回、コマーシャルを入れて2分30秒のミニ番組である。東北の食文化を、私が案内役になって12回にわたり紹介していくもので、タイトルは「とうほく食文化応援団」という。

 会津若松市の「田事(たごと)」という郷土料理の店が第1回であった。馬場社長が、母親から受け継いで大きくした店であるが、そこで供される棒ダラ、ニシンの山椒づけなどは、北前船に乗って京都から伝わってきたものとのこと。なぜ、この会津の地に、京風の料理が育ったのかの理由がわかった。

  第4回の釜石市のチョウザメ、松皮ガレイは、新日鉄釜石の火が消えた町の危機感が生んだ食材である。町がこれから何で生き延びていくかと悩み、試行錯誤の末に養殖にこぎつけた。その素材を使って、新しい調理法を開発したのが「暮れ六つ」の山田店長である。チョウザメを鮮やかな包丁捌きで和風に、アイディア勝負でイタリア風に仕立て上げていく。松皮ガレイのエンガワのしこしこ感は、高級ヒラメに負けるものではなかった。

 案内役として聞き出すことになったのは、地域の食材、食文化に対する誇りと、新しい食文化を作り上げていく挑戦である。新鮮な食材を味わい、食文化をまるごと楽しもうとしたら、その地に足を運んでやってくるしかない。食材はトラックで送れても、食文化と地域の誇りまでは送れない。おいしいものを食べたかったら、こっちにやってらっしゃい、食べさせてあげるよという自負がにじみ出る。

 ロケバスに乗って東北各地を回っている間に痛感したのは、私がいかに東北を知らなかったかということである。宮城県知事だったのだから、宮城県内のことは承知している。しかし、東北の他県のことになると、ほとんど知るところがないことを確認してしまった。訪ねていくその町が、どういう位置関係にあり、仙台からどれぐらい時間がかかるのかも、とんと知識不足であった。

 気持ちとして、仙台から東京方面を見ていた。回れ右して、岩手、秋田、青森の各県を見る機会は少なかった。東北の東北らしさは、これら北東北三県にあることに、今回、改めて気がついた。宮城県という位置は、「脱東北」とまではいかないが、東京に少しでも近づきたいという精神構造があるのかもしれない。世界遺産である白神山地のふもと、日本海に夕陽が沈む深浦町岩崎で、白神地産地消の会の皆様に準備してもらった地元料理をいただきながら、そんなことを考えていた。

 道州制の議論については、いずれこの欄で書きたいと思うが、その前に考えてみるべきことがある。宮城県民の東北知らず、福岡県民の九州知らずということがないのかどうか。自分の県を愛し、誇りを持つのと同様に、いずれ道州になる地域に愛着を持っているだろうか。そもそも、地域のことを知っているのだろうか。食文化というところから入っていったのだが、こんなことまで考えるに至ってしまった。アサノのネクストの仕事にも、考えるヒントはたくさん転がっていることを知った。


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