浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

2017年5月5・12日
自治日報
《自治

執筆原稿から

教育委員会の独立性

 大学で「地方自治論」の授業を担当している。ある日の授業で「教育委員会は首長から独立している」と説明したが、それに対する学生からの反応で多かったのが「そんなこと知らなかった」というものであった。学生だけではない、住民の多くも教育委員会の独立性はご存知ない。「教育委員会の独立性」といった抽象的なことは、具体的な問題が発生して、メディアで取り上げられ、住民がそのことを知って初めて住民の関心事になっていく。

 平成25年、大阪市立桜宮高校の体育科の教員が顧問を務めるバスケットボール部で、顧問から体罰を受けた体育科2年生の男子生徒が、その翌日に自殺する事件が起きた。当時の橋下徹大阪市長は市の教育委員会に対して、教員の総入れ替え、体育科とスポーツ健康科学科の入試中止を求めた。その際、「入試を中止しなければ、入試実施の予算は執行しない。これは市長の権限だ」と語った。市長の態度は、独立の行政委員会たる教育委員会への越権行為である。関係者、識者、メディアからは、そういった声がほとんどあがらなかったが、彼らも教育委員会の市長からの独立性を認識していなかったとしか思えない。

 同じく平成25年、全国学力テスト(学テ)の結果公表をめぐって、川勝平太静岡県知事と県教育委員会が対立した。知事が学テの成績下位の100校の校長名を公表するとしたことに対して、教育委員会側は「それはダメ」との対応だった。静岡県の学テの成績が非常に悪かった。知事はこれに危機感を覚え「この結果は先生に責任がある。校長名を公表することにより、反省材料にしてもらう」と語っていた。教育の分野は「勝った、負けた」と他県と競争するのになじまない、数字より質と内容が問われるとするのが教育委員会側の見解であり、よって成績下位の校長名の公表はするべきではないとした。どちらが正しいかの議論ではない。知事は教育委員会の判断を尊重しなければならない。それが教育委員会の知事からの独立性というもの、このことを知事は理解しなければならない。

 私が宮城県知事だった当時、県立高校の一律共学化の方針を教育委員会が提示した。私の母校である仙台二高は男子校であり、これを共学化するのに私としては内心抵抗があった。「一律でなく、一部別学で残してはどうか」と「反論」を試みたが、教育庁の職員からは「知事、それは理屈が立ちません。やるなら一律です」と一蹴されてしまった。結果として県立高校は一律共学化し、我が仙台二高も共学になった。共学化に強硬に反対していたOB連から「卒業生なのに、どうして仙台二高を共学化したのか、けしからん」と非難された。「共学化する権限は知事にはない。教育委員会が決めたことだ」と言っても無駄だから黙っていたが、OBの皆さんも教育委員会が知事から独立した機関であることはご存知なかったようである。

 今の時点で懸念されるのは、教育勅語の問題である。安倍政権は、答弁書への回答という形で「憲法や教育基本法に反しないような形で、教育勅語を教材として用いることまでは否定されない」ということを閣議決定した。教育勅語を道徳の教材として使うかどうかなどの判断は、自治体に委ねられるということだろう。

 文部科学省は教育委員会の独立性の意義について「教育界におけるイデオロギー対立が見られない現在でも,安全保障,国際貢献,歴史認識に関する教育など,政治的立場から意見が分かれる事項が依然としてあり,現在でも中立性を確保することは必要である」と明示している。まさに、そのことを担保するためにこそ教育委員会の独立性の意義がある。

 教育委員会の独立性は、独特の主義主張があり強力な政治力を有する首長によって侵害されるおそれがある。そのことは、今回あげたようないくつかの事例でも明らかである。教育勅語が学校現場でどう使われるかの問題がある中で、改めて教育委員会の独立性を確保することの重要性を確認したい。  


TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org