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2014年3月21日
自治日報
《自治

執筆原稿から

民意とは何か

 民意とは何か、つかみどころがない。民意が政治の場でどう活かされるか、これはもっとむずかしい。民意は天の声である。民主主義とは、民意が正しく、最大限に活かされることを前提としている。一方、民意は危なっかしい。ポピュリズムに流されて、かっこいいだけの、政治家の言説に飛びつく。軽佻(軽はずみ)とは言わないが、浮薄(他に動かされやすい)の面はある。実に、民意とはむずかしい。

 政治家のほうは、民意を自分に都合のいいように利用しようとするから、ますます厄介である。橋下徹大阪市長が大阪都構想を掲げて戦った選挙で勝利し、大阪市長に就任した。大阪府知事選挙では、教育委員会改革も橋下氏の公約の一つだった。選挙後の橋下氏の主張に驚かされる。「選挙で勝ったのだから、民意は我にあり。公約に掲げた政策はすべて支持された」と総括する。大阪都構想も、教育委員会改革も住民に支持されたのだから、どんどん進めていくことを堂々と宣言する。どんどん進めるのはいいが、「住民に支持されたのだから」という理屈づけは間違っている。

 これでは選挙万能論になる。市長選挙に、そこまでの意味を持たせることはできない。市長選挙は、誰が次期市長にふさわしいのかを選ぶものである。候補者の公約は、その際の判断基準の一つに過ぎない。橋下氏のことで考えれば、「決断力と実行力のある橋下さんが好きだ」というのが、市長選挙で橋下氏に投票する大きな理由だろう。

 「大阪都構想を支持するのかどうか、市長辞任後の出直し選挙で民意を問う」というのは、選挙万能論に基づくとんでもない主張である。首長選挙は住民投票とは違う。先の東京都知事選挙が「原発即ゼロ」の是非を問う住民投票ではないことと同じことである。さらに、自治体では、民意を代表する機関として、首長以外に議会が位置づけられている「二元代表制」をとっていることも、忘れてはならない。

 事ほど左様に民意とはむずかしいもの。その民意が問われる究極の形が憲法改正の発議に対する国民投票である。「あなたは憲法第9条の改正に賛成か反対か」との問いに対して、投票所に出かけていって、賛否の票を投じる。憲法など一度も読んだことがない人も投票する。親戚や知人に「どっちがいいのか」訊いてから決めようか。新聞やテレビの解説を見ても、賛否どっちがいいのかわからない。新聞がどちらかに偏向しているかもしれない。投票所まで行ったはいいが、憲法改正に賛否どっちがいいのか判断がつかない。棄権するのはいやなので、「わかりません」と書いて投票したが、これは無効票となるのだろうか。

 考えつくままに、いろいろなケースをあげてみた。一つだけわかることは、憲法改正に賛成か反対か自分で判断することは、多くの国民にとって簡単ではないということである。このことから、発議要件が「国会の各議院の総議員の三分の二以上の賛成」(憲法第96条)と厳しいものになっている理由がわかる。

 安倍晋三首相は、この発議要件の「三分の二」を「二分の一」に緩和する改正を狙っている。国会の発議要件を緩和しても、その後に国民投票が控えており、そこでチェックされるのだから大丈夫だと言いたいのだろう。しかし、ここまで見てきたように、民意に大きな期待をかけることはできない。憲法改正の是非の判断は、一般の国民には極めてむずかしいものであり、国会により、「改正する」という発議がなされれば、それを受ける国民のほうでは、反対することに余程の自信と信念がない限りは、発議に異議をはさめない。民意とはそんなものである。だから、発議の段階での要件を厳しくしておかなければ、最高法規としての憲法が硬性(改正がむずかしい)であることが守れない。安倍首相も、そのことを重く受け止めなければならない。

 これ以外にも、原発再稼働に立地自治体の首長が承認する際に、二元代表制の下、民意を代表するもう一つの機関である議会の承認はいらないのか、住民の民意はどう扱われるのかなど、民意に関する問題はまだまだある。引き続き、考えていきたい。      


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