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2013年8月23日
自治日報
《自治

執筆原稿から

地方議会の定数削減

 地方議会の議員定数について考えてみる。定数削減は、現職議員にとっては、歓迎できないはずである。そういった中で、議会で定数削減条例が成立し、実際に定数削減が実現している自治体が少なくないのは、一体、どういった理由からだろうか。

 一つには、自治体の行政改革に歩調を合わせて、議会としても経費削減方策をとらざるを得ない事情がある。経費削減のためには、議員の報酬を減らす道もあるが、それよりも定数削減のほうが議員として痛みを感じないという面もある。

 もう一つは、住民やマスコミ、有識者からの圧力である。「議会で何をやっているのかわからない議員が多い。議員の数を減らすべきだ」という声が住民の間に根強い。「議員のリストラが必要」と言われているのに対して、議員側から反論ができないというのも恥ずかしいというか、情けない。

 「無能議員が多い。何の役にも立っていない議員がいる」というのが住民の見方である。ちょっと待って。「無能」というが、具体的にはどんな能力がないということなのか。「役立たず」というが、議員にはどんな役割が期待されているのか。

 首長のパフォーマンスをチェックする能力だろうか。自分の住む地域の要望を首長(行政側)に伝える役割だろうか。まさか、公共工事の発注に介入する能力とか、支援する国会議員を当選させる役割のことではないだろう。

 住民の要望を吸い上げ、それを政策化し、条例案を策定して成立させる役割のことを念頭に置いている住民はほとんどいない。なぜなら、そんな議員は今までいなかったし、住民もこんな役割を議員が担っているなどとは、まったく考えつかないからである。

 ここが問題である。議員の本来の役割は、首長のチェック機能もあるが、住民の要望の政策実現という機能もある。定数を減らせば、住民のところに、要望のご用聞きに出向く議員が減ることになる。このご用聞きかから始まる住民の要望実現が、議員の本来業務である。そう考えれば、議員定数の削減は、住民が自分で自分の首を絞めることにならないだろうか。

 実は、議員自身が議会に立法機能があることに気づいていない。これは、必ずしも、議員の責任ではない。 憲法第93条「議事機関」とあるが、GHQの英文では、legislative assemblies(直訳「立法機関」)であった。それが、日本語訳になったときに、「議事機関」と訳されたのは、当時の中央政府の意図であるが、地方議会はその出発点から、議事機関(のみ)に貶められていた。

 今こそ、地方議会は、本来の立法機関の機能を回復すべきである。宮城県議会は、この13年間に25本の議員提案条例を成立させた。三重県議会も同様の実績である。こういう議会が増えつつある中で、議員が議会の立法機関としての役割に目覚めていく。議員の能力には、立法技術、政策立案能力も含まれることにも気づき始めている。

 立法能力は一例である。「無能な議員がいる、だから定数削減だ」というときの「能力」を具体的に語らなければならない。そこに気がつけば、そうそう簡単には議員を減らせという議論にはならないはずである。

 現実の地方議会の体たらくを見ると、議員の定数削減に理ありという気にはなる。しかし、その問題が、議員定数削減で解決されるのかどうか、大いに疑問である。「民主主義にはコストがかかる、だから・・・」とまでは言い切ることはできないが、一面の真実は言い当てている。定数削減論を聞いていると、こんなことまで考えてしまう。


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