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2011年10月23日
東京新聞
執筆原稿から
福島智著「盲ろう者として生きて」の書評

意思伝達の持つ意味を分析

 著者は、9歳で視覚を失い、18歳で聴覚を失った盲ろう者である。盲ろうとは、自分が地上から消えて、真っ暗な宇宙空間に連れ去られた感覚と著者は形容する。そこから抜け出す道を与えたのが、コミュニケーションの復活である。

 指点字の「発明」により、1対1の対話が可能になり、複数参加の会話において、第三者の言語も伝える指点字通訳への発展により、さらにコミュニケーション空間が広がる。これらがどうやって「発明」されたのか。本書に引用された豊富なエピソードが、それを生き生きと伝える。

 一人の盲ろう者が、コミュニケーション手段を得て、再生していく過程は、深い感銘を与える。  しかし、この本の価値は、そこにあるのではない。盲ろうという特異な障害に着目し、そこからコミュニケーションが人間生活にとって、どのような意味を持つかを分析し、理論化する部分が圧巻である。福島智という盲ろう者を、学者が仔細に観察し、そこから理論を構築する。この本の特異性は、その「学者」が盲ろう者であるからこそ到達しうる成果を提示していることにある。

 盲ろう者は、宇宙空間の中では、自らのエネルギーで輝く存在ではない。恒星たる他者の光を受けないと輝けないし、相互の重力がないと、「宇宙」の中で自分だけで存在することはできない。他者との関係性を、盲ろう者から人間一般に広げて考えれば、「人は他者との関係性の中でのみ存在しうる」となる。こういった理論は、光も音もない世界に置かれて、「根元的な孤独」を実感した著者だからこそ、説得力をもって迫ってくる。

 「障害者でもできる」を超えて、「障害者だからこそできる」ことを、これほど明確に表現している本はない。障害者だからこそ到達しえた理論的な高みから、悟りの境地と思えるところまで読者を導いていく。あらゆる意味で驚異の本である。


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