浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

2011年2月
月刊J2TOP2月号
特集 1

執筆原稿から

地域主権改革の行方

 民主党政権が発足し、その政権の一丁目一番地の政策が、地域主権改革であると示された。そのことで、前政権の下では、遅々として進まなかった地域主権改革が、一気に実現するのではないかとの期待が広まった。しかし、その後の経過は、この期待を裏切るものであった。この稿では、改革が滞っている実態について概観し、なぜ改革が進まないのか、改革を進めていくためにはどうすればいいのかについて考えてみたい。

 昨年6月に「地域主権戦略大綱」が閣議決定された。その中身は、地方自治体への義務付け・枠付けの緩和、基礎自治体への権限移譲、国の出先機関の原則廃止、地方税財源の充実確保(=ひも付き補助金の一括交付金化)が掲げられている。これらの項目は、地域主権改革を進めるための中核であり、それはそれで評価できる。その一方で評価できない点としては、どの出先機関を廃止するのかが具体的に明示されていないこと、一括交付金化の内容決定に、各省の関与が強く残されることになったことなどがある。さらに、地域主権改革戦略会議の議論の中で提言された「現金給付は国、サービス給付は地方」という原則が、抜け落ちてしまっていることなど、大事な骨が抜かれてしまったことも、マイナス評価である。

 大綱は、大体の方向性を示すものであって、具体的な改革の中身までは踏み込んでいない。たとえば、出先機関の廃止についても、前述のように、どの組織をどのように廃止するかは示されていないことも、「大綱として作っただけ」で終わる危うさを象徴している。

 実は、大綱で掲げる項目の実施の前に、地域主権改革3法案が成立しているはずだった。これが、国会審議の混乱によって、昨年の通常国会で継続審議になり、臨時国会でも成立しなかった。@地域主権戦略会議の法制化、自治体への義務付け・枠付けの見直し、A国と地方の協議の場の法制化、B議会定数の上限撤廃などの地方自治法の改正というのが、3法案の中身である。この程度のことは、改革のささやかな出発点といった内容であるが、法案不成立により、その改革すらできていない。つまりは、地域主権改革に向けては、具体的なものは、なんにも実現していないという状況にある。

 これからの動きであるが、「地域主権戦略大綱」に盛られた項目の実施を急がなければならない。しかし、その内容は、骨抜き、矮小化される方向に進んでいることが危惧される。一括交付金化については、各省からはほぼゼロ回答といっていい。投資関係の補助金の総額3兆2959億円のうち、各省が一括交付金の対象にできると回答したのは、28億円分だけである。その後の検討の中で、平成23年度予算では、5000億円が一括交付金化されることになったが、まだまだ不十分である。出先機関の廃止に関しては、内閣府が8府省に調査した結果では、地方自治体に移管できるとしたのは、対象とした13機関、約500の権限の一割程度に留まった。各省の抵抗ということになるが、ここを突破しなければ、改革への展望は開けない。一括交付金化は、国から地方への補助金を廃止し、地方の自主財源とするまでの途中段階に過ぎない。地域主権確立の根幹は、国から地方への税財源の移譲を伴うものであるから、補助金を基本的に廃止し、その分を自治体の自主財源にするというところまでいかなければ、改革は終わらない。今回のありようは、その途中段階さえも、まともに実現できないということであり、事態は深刻である。

 

首相のリーダーシップが見えない  

なぜ、改革が進まないか。先に結論を申せば、政権としての強い意志に支えられた実行力が足らないからである。地域主権を実現するためのリーダーシップの欠如と言ってもいい。そもそも、補助金の一括交付金化は、各省にとっては、自分たちの権限を失うことであり、出先機関の廃止は、自分たちの組織を切るということであるから、これに抵抗するのは、立場上当然のことである。彼らに向かって、「既得権にしがみつく抵抗勢力」と非難しても始まらない。霞ヶ関の抵抗は、地域主権改革を進めるにあたって、当然、念頭に置くべき前提である。

 各省から一括交付金化する補助金のリスト、廃止すべき出先機関を提示させるというのは、方法論としては、適当ではない。霞ヶ関の論理としては、これに抵抗するのがあたりまえというのは、既に述べたとおりである。大綱はできた、その具体化については、霞ヶ関が中心になって、それぞれ調整しながら、進めて欲しいというのが、政権の姿勢であることが、改革が矮小化され、骨抜きにされる原因である。地域主権改革というのは、大きな意味では、国の権限の縮小ということであるから、これが大規模に行われるのは、単なる改革ではなくて、革命に近い。権限を奪われる側の霞ヶ関の立場に立てば、痛みを伴うものである。そういった政策であるのにもかかわらず、政権のリーダーシップ、とりわけ菅首相のリーダーシップが、今までのところ、十分に発揮されていないのが、地域主権改革がなかなか進んでいない大きな要因と言わざるを得ない。

 地域主権改革の意義について、国民に十分に理解されていないことも、改革にがむしゃらに突き進むことができない政治的要因になっている。一般国民だけではない。国会議員、地方自治体関係者、さらには、学者の間でも、なんのために、何を目指して地域主権改革を進めるのかということについて、必ずしも意見が一致しているわけではない。国民一般の間では、税源、財源、権限をめぐっての国と地方の綱引き合戦、コップの中の争いという見方が多い。「勝手にやれば」といった冷ややかな視線も感じる。地域主権が確立したら、自分たち市民は、今より幸せになるのか、そんなものでもあるまいと皮肉に捉えている人たちも少なくない。改革に賛成か反対かと問われれば、「賛成」と答えるのが大多数であるが、「ぜひとも」とまではいかない。それが、政権担当者として、「何が何でも改革を」という姿勢になれない要因になっている。

 

地域主権改革の中身の深化を  

 それでは、これからどうしたらいいのか。まずは、政権が強い意志と実行力で、改革に突き進むこと。首相のリーダーシップは不可欠である。各省の抵抗があれば、そういった省の大臣は罷免するといったぐらいの覚悟を示さなければならない。

 それと同時にやっておかなければならないのは、「何のための地域主権か」ということについて、議論を深化させ、すべての関係者の間での基本的理解を一致させることである。いわば、原点回帰であるが、ここのところが明確にならないまま、「地域主権」の言葉だけが独り歩きしている状態では、改革の実行は望めない。

 そのことに関して、私の考え方を示しておきたい。地域主権は、ほんものの民主主義を日本に定着するために不可欠なものと位置づけている。地域のことは、地域で決めるという自由を持ちたい。そこには「失敗する自由」も含まれているので、責任も伴う。「決めるのは市民」ということが、実践を通じて実感できることが、民主主義の基本である。「地方自治は民主主義の学校」と言われるが、その学校のありようが、大きな部分は国の差配で決まっているという制約の中では、真の学校たりえない。そんな位置づけで、私は地域主権の意義をとらえている。あくまでも、主人公は市民であり、それを前提に、首長や議会のありようを考えるべきものである。

 一方で、少し現実的になって、この問題を考えることも必要と思う。日本中すべてを対象に、抜本的に改革するということは、現実性、実現性ということからは、なかなかにむずかしい。大きな改革でなくともいい。地域限定での実施ということがあってもいい。地域主権確立の方向に沿った改革の実績を積み重ねていくということ、一歩一歩前に進んでいくことが、なによりも重要である。一般の国民は、ほんとのところ、地域主権なんかに関心がないと書いたが、実際に改革が行われて、その成果を市民として実感できるということが重なれば、「地域主権とは自分たちにとっても、大事なことだ、必要なことだ」という認識が広がる。そのことが、さらに改革を進める原動力になるだろう。


TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org