浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

2006年6月15
産経新聞 
話の肖像画
《卒業しました》 1
聞き手:奥村信哉

「12年は十分に長い」

《平成5年、宮城県知事がゼネコン汚職事件で逮捕。出直し選挙に出馬して初当選した。以来12年間、県民の人気 を集め、周囲は4選出馬を確実視していた。だが昨年8月、「権力は陳腐化する」と突如不出馬表明。国政転身についても「人生設計に入っていない」とかわす》

―突然の不出馬表明には驚きました。国政転身かと思いました。
浅野  勝手に人の人生決めないでよ(笑)。知事になりたくてたまらないという人生を送ってきたわけじゃない。汚職で失った「宮城の誇り」 を取り戻そうという声に賛同して、おまえがやれということになっただけ。

―3期は既定方針?
浅野  3期12年で辞めたのは、「もう義務を果たしたでしょう」という思いからなんです。12年が長すぎるとはいわないけれど、十分に長い。もうそろそろ解放してくださいという思いもあった。知事を辞めて半年。大学に職も得て、極めてハッピーですよ。一度だけ悔しい思いはしましたけどね。それは(トリノ五輪で金メダルに輝いた仙台市出身の)荒川静香さん。県民栄誉賞は私があげたかった。「イナバウアーやってみて」とか言いながらね(笑)。

―普通の知事は、そういうことは言わないですね。
浅野  冗談だけじゃなくて、知事が持つ「特権」を手放すのは、悲しいことなんです。飛行機に乗ればVIP待遇で一番いい席に座れる。もちろん、その特権のために知事をやったわけではないけれど、いざ辞めるとなると寂しいですよ。

―在任中の記者会見も、そういうユニーク発言で記者を笑わせていました。子供のころからそういうタイプ?
浅野  僕は中学の時に変わったんです。子供の中で「アウトサイダー」的存在になることにあこがれていた。学校の規則を守らないとか、授業を抜け出すとか。そんなことに喜びを見いだしていたのが中学生。
  「優等生、お前はこんなことできないだろ」という気持ちがあった。先生が「浅野は成績がいいのに、何で素行が悪いんだ」っていうのを聞くと、「勉強ができたら素行もよくなくちゃいけないのか」、と反発する子供っぽさを持っていたんだね。


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