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毎日新聞 2004年10月4日
《論点》  主張 提言 討論の広場

三位一体の改革


施策水準は下がらない

税源移譲の閣議決定骨抜き許されない
住民の目と為政者の責任感が政策守る


 8月24日、地方6団体は「3.2兆円の補助金・負担金廃止リスト」を含む「改革案」を小泉首相に提出した。「3兆円規模の税源移譲」は閣議決定されたものであり、地方が一体となってまとめた「改革案」を、政府は一体となって実現する義務を負う。各省バラバラに、個別の補助金について「廃止できない」と反対しているが、閣議決定の骨抜きは許されない。

 反対の趣旨として、「補助金なしで地方は十分な仕事はできない」とか、「全国的な不均衡のおそれ」をあげているが、その事業を地方から取り上げて国直轄で行うべきというならまだしも、補助金廃止反対の理由にはならない。「全国横並び」の達成なら、補助金制度より、「〇〇事業実施状況全国ランキング」のほうが為政者には効果的である。

  各省は、補助金の有効性を過大評価し、そのマイナス面には目を向けない。今回の「改革」では、補助金廃止に見合う税源移譲が前提なのであるから、「補助金廃止=事業廃止」とはならないのに、補助金廃止の趣旨を、故意に曲解しての反対論は議論を混乱させるだけである。

 現象面で問題なのは、各省及び関連する全国団体から、自治体への「切り崩し」である。誘導尋問的なアンケート調査、地方議会への「反対決議」の示唆の例がある。各省の危機感の現れであるが、公明正大な議論が求められているこの大事な時期には、厳に慎むべきものであろう。

 義務教育費国庫負担金は、廃止の優先順位は後のほうと見られているが、さりとて、「聖域」として扱われるべきものではない。国の責任は、教員配置の基準の設定、6・3制の堅持、学習指導要領の策定などで十分果される。教員の給与を半分持つという財政措置とは直接の関係はない。文部科学省による中央集権的な教育行政の弊害に対して、知事側の問題意識は極めて高い。その意味から、「税源移譲して国庫負担が廃止されたら各県では金額的に損になりますよ」との「説明」にもかかわらず、大多数の知事が国庫負担廃止を支持したという事実を忘れてはならない。

 「国庫負担が廃止されれば義務教育の水準は下がる」という文部科学省の主張、一部知事の懸念があるが、義務教育の水準は法令の規定などにより、勝手に下げられるものではない。実際には、国庫負担があるから水準が守られるのではなく、県民の目が水準を下げさせない。自前の財源で運営する義務教育の水準を下げようとすれば、情報公開の時代においては、知事は政治的にもつはずがない。

 義務教育だけではなく、災害防止、福祉、環境などの施策についても、その水準を下げることがむずかしいのは、補助金があるからではなくて、住民の目と耳と口があるからである。むしろ、補助金制度の存在は、為政者の責任をあいまいにする。自前の財源しか使えないとなれば、言い訳無用になる。これこそが、財政運営における民主主義である。三位一体改革のねらいは、まさにここにこそある。


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