![]() 文藝春秋9月特別号 1969年「東大安田講堂陥落」 昭和44年1月18日、東京大学安田講堂に機動隊が入った。東大闘争の最後の場面である。何人もの友人たちが、安田講堂に立て篭もり、最後の抵抗をするべくこの日を迎えた。 ゲバルト、総括、造反有理の言葉が飛び交っていた。東大法学部三年生の私は、全学ストライキで授業がない時間を、喫茶店での友人たちとの幼い議論で費やす日々であった。 日頃は左翼的な言辞の奴が、「秩序派」になり、真面目過ぎるほど真面目な奴が、全学共闘会議に加わって闘争に身を投じていた。 そして、この日を迎えたのである。私達「どっちつかずグループ」は、赤門近くの喫茶店で成り行きを見ていたような気がする。催涙弾が飛び交い、ホースによる放水で攻め立てられ、安田講堂の落城は確実であった。 どっちつかずグループに属していた私には、負い目がある。あの「最後の日」、負けることが確実な戦いに、敢然と参加していった友人の、誇りに輝く顔が忘れられない。 その時の負い目を、ずっと引きずってきた。東大闘争当時の青春時代から、はるかに年月を経た今も、原理原則に忠実たれとの思いを掲げ、負けが確実な戦いにも突き進んでいってしまう性癖は、決して生来のものではない。東大闘争において、自分が信じる原理原則に殉じたあの友人たちに遅れをとるまいとの思いが、今になって、よみがえるのである。
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