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週刊文春 2002年3月7日号 p.169
《文春図書館》から転載
榊原英資氏の著書「新しい国家をつくるために」(中央公論新書)の書評

榊原英資

フルスピードの制度改革なくしては―
新しい国家をつくるために
評者 浅野史郎


 二十一世紀初頭のわが日本は、どちらを向いてもマイナス材料ばかりが目につく。先行き不安に加えて、日本という国の力、国民の資質について自信喪失に陥っている。日本を動かしているシステム自体に対する不信感も充満している。まさに、国難とでも呼ぶべき雰囲気の中に我々は立ちすくんでいる。

 本書は、現在の日本が抱える問題点を、制度論から解きほぐしていこうという知的作業の成果である。日本のダメさ加減を嘆くだけの無責任な書でなく、中身なき構造改革の空論でもない。まさに、知的作業によって流された汗のにおいが立ち上がってくるような労作である。

 制度論であるから、当然ながら各論が俎上に上る。不良債権問題、銀行システム、外交のありかた、教育システム、地方制度改革、農業政策、医療システムといった一つひとつの論点を、鋭い切り口で説き明かす。特筆すべきは、問題の淵源を江戸時代の日本文化の特殊性に求める手法である。現代の日本の各システムが直面している問題の、いい点も悪い点も、突然に我々の前にあるのではなく、江戸時代からの蓄積の成果として存在しているとする視点が光る。

 全編を通じて、抑制の効いた論説の中にあって、唯一、文部科学省の教育政策への批判の部分は、著者の感情の奔流は押し止めようもない。実は、筆者が最も面白いと感じて読んだのが、第八章「教育システムの破綻と真の教育改革」である。知事の仕事をやっていて、中央集権が最も貫徹しているのが、教育の分野であると感じつつある。そのことが、地方の教育関係者の思考停止状況を促進しているのではないかとも疑っている。

 「ゆとり」、「生きる力」といったあいまい概念で、教育のありようを変えていくことへの大きな疑問を著者は呈するが、私は、そのことも含め、こうと決めたら全国一律で一斉にやることこそ問題ありと見る。こんな大事な問題で間違ったら、全国すべて間違うというリスクを考えて、責任者は立ちすくむことはないのであろうか。

 対米中心の日本外交の現状を憂える論調も、説得力がある。「情報鎖国」批判、「ナンバー2戦略放棄論」というのも興味深い。人的ネットワークのグローバル化の中で、外務省に一元化して外交を進めることのナンセンスさは自明であるが、そのことを著者は丹念に検証しつつ論じている。人的鎖国解消のために、国籍法・入国管理法等の抜本改正の必要性もよくわかる。今となっては遅過ぎるぐらいの、当然の指摘である。

 現職の知事という立場からは、第九章の地方制度改革が興味深い。「日本は本当に中央集権国家なのか」、「江戸時代からの分権の伝統」、「明治以来の政党政治と地方利益論」、「何が地方財政を破綻させたのか」、「地方交付税特別会計の破綻」、「ゆるやかな分権とゆるやかな分離を」。この章の小項目を列記したが、著者の言いたいことがこれだけでもおぼろげに浮かんでくる。

 地方分権論として、権限移譲ではなくて、地方財政制度が問題の中心であるという著者の推察はまことに正しい。その問題点の正しい分析と、次ぎのステップとしてどういう改革をすればいいのかとなると、もう一段の突っ込みが必要になる。その点は、筆者も含む「地方から国を変えていこう」と考える知事たちの中でも議論半ばである。榊原教授も交えて、この点についての実践的な議論をしていきたいと強く思った。


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