浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

SIGHT  VOL.13 AUTUMN 2002
「浅野史郎 インタヴュー」から転載
インタヴュー:渋谷陽一

 地方政治にこそ新しい政治的改革がある。長野における知事選を見て誰もが思ったことだろう。それは田中知事誕生前から、三重県の北川知事、鳥取県の片山知事、そしてここに登場いただいた宮城県の浅野知事などによって担われていた新しい動きでもある。

 前知事がゼネコン汚職によって退陣したあと、当時厚生省の一課長であった浅野さんが何の背景もなく立候補、そして見事当選を果たしてから、もう3期目に突入している。従来型の政治的手法にとらわれない新しい県政運営は県民の熱い支持を受けている。今回の特集の中ではそうした地方自治体の革新的指導者の立場から、国政改革の見取り図について語っていただいた。

 このインタヴューで印象的であったのは福祉についての部分である。厚生省時代から浅野さんは障害者福祉にたずさわり、県知事としても当然それを大きな政治テーマとしてあげている。素晴らしいのはその福祉に関わる浅野さんの思想である。かわいそうな人がいるから助けてあげる、という発想は浅野さんにはない。民主主義の大前提が平等であるなら、視線も平等でなくてはならない。福祉はしてあげるものではなく、通常の市民サービスと同じように、障害者自身の「して欲しい」というニーズに対して、行政の側がどれだけ対応できるかという点が問題なのである。これは思想として正しいし、通常の福祉の発想を基本から問い直すものと言える。ところがこのことについて質問すると浅野さんの言葉は重かった。正直意外だったが、そこで語られた、「でも実際は困難なことが多いのですよ」という発言は、本当にこの人は信用できるという思いを強くさせるものであった。福祉を語る政治家は多いが、ここまでそれを思想化し、かつその困難さを自覚して取り組んでいる人はいない。「こうした人がいれば大丈夫」、そんな、ご本人には迷惑な確信をもつことのできるインタヴューであった。


行政組織のトップであるってことは、
毎日のように試されてるようなもんでしょ。
だから、任期の中で検証され得るんですよね

直接民主制としての県知事


――今回の特集の中で、浅野さんには国政レベルの動きや変化を地方のレベルにおいてどう見ていくのか、という視点でお話をうかがえればなと思っています。えー、浅野さんは大統領制が面白いと発言なさっていて、まずその辺のお話からうかがおうと思うんですけれども。
「うん、でもちょっと変わってきましたよ」

――あ、そうですか。
「まあ首相公選と言うほうがいいのかもしれませんね。今のように、議会制民主主義でなくって、直接国民から選んで、我らの首相を選出すると――そのほうが民意が反映されるんじゃないかと言えば、それはその通りなんですけども」

――ええ。
「どうもちょっと、今の日本の政治状況を見てると、非常に短いスパンの、その時その時の人気や不人気がものすごく影響して。たまたま選挙をやる時に時流に乗った人が、人心を掴むようなことになってしまう。それがまた、バサッと飽きられたりしちゃう。そういう中では任期4年とかって、もたないんじゃないかということなので。だから、やるにしても予備選挙をやるとかですよ、そういうシステムを入れていくなら別でしょうけども。人気投票のようにバーンとやると、まかり間違った場合、かなりリスクを冒すことになるかなっていう疑問を持ってきたんです、最近」

――ああそうですか。それはやっぱり、現在の小泉さんの状況をご覧になって、というところも理由としてあるんでしょうかね。
「いや、それは小泉さんが悪いって意味じゃないです。小泉さんは首相公選で選ばれたわけじゃないですから。自民党の総裁として選ばれたってことは、間接的に選ばれたわけですからね。だから――例えば、ある時期に首相公選のタイミングがあったら、田中眞紀子さんが首相になってたかもしれないでしょ? これはホントに憂うべきことです」

――ははははは。
「好き嫌いの問題があるでしょうけど、これはあっちゃいけないと。しかし、なったとしたら、4年間なら4年間の任期は、よっぽどのことがない限り続きますよね」

――なるほど。浅野さんが大統領制云々とおっしゃった発想の大本になっていることは、僕が勝手に類推するにいくつかあると思うんですけど。当然ご自身のご体験から、県知事というのはわりと大統領制に近い感じで。
「まさにそうです」

――そこで手応えを感じられて、こういうやり方であるならば、自分みたいな人間も知事としてちゃんと機能できるし、選ばれていくし、いいんじゃないかというのが、基本にあったんじゃないかと思うんですね。で、よくご発言なさってるんですけれども、要するに、自分を支えたのは何かというと、県民から選ばれたんだと。直接有権者から選ばれたんだから、俺は絶対大丈夫だと。議会から選ばれたわけでもなく、あるいは利益団体から選ばれたわけでもなく、政党から選ばれたわけでもなく、直接有権者から選ばれたっていうことがあるんだから、何をやるにしろ、「俺は大丈夫」って決断ができると。
「まあ、今のような言い方だけだとなんか、あまりにも大きな権力の部分というかですね、そこだけが出るんだけど、逆に言うと責任も負ってるわけですね。誰に対して責任を負うのかっていうような時に、やっぱりそれは住民一般であるという、それを意識しますよね。で、それは今の日本の政治状況もあるわけです。日本の県知事の選び方というのは、たしかに大統領型ではあったわけですよね。ところが実際はですね、政党の推薦に乗り、団体の協力を取りつけて選ばれているという実態があったわけです」

――ええ。
「で、僕は、知事の側が『誰のおかげで知事になったか』と言った時に、固有名詞が浮かんでくるというのは、あんまりよくないんじゃないかと(笑)。誰のおかげで知事やってんだという圧力っていうのが――まあそれも善し悪しではありますけど、悪しの部分が大きいですね、それは。だから、大統領型の下においても、民意というのをちゃんと受けられる形での選挙でないと。そういう構図を意識的に作っていかないと、せっかく大統領型でありながらも、実はガチガチのしがらみに囚われてしまうということはあり得るんです。だから単なる制度だけの問題じゃなくって、それをどう運用していくかっていうかね。そのへんの問題は、残ることは残るんですね」

――そうですね。ただまあ、浅野さんご自身も、やっぱりこの制度によって生まれたわけで。いわゆる大統領制に近いシステムが持っている良さというのは、すごくはっきり出ていますよね。
「うん。ただ、例えば宮城県の場合有権者数180万人ぐらいでしょうか。だから投票率50%として90万人。半分獲るとして約50万。50万票獲んなくちゃいけないというとですね、50万票ってのは大変なものなんで。なんて言うか、うーん、単なる志とかそれだけではいかないでしょ? 何か基盤が必要ですね。逆に言うと、それだけの大量得票をするためには、団体とか、政党とか、そういうものがなければ当選しないだろうと思われてきた。そう信じられてきたんですよ、紛う方なく。だから、そういうような枠組みっていうのが脈々と生きてきた。逆に言うとですね――なんと言ったらいいんでしょうか――志がなくても(笑)、凡庸であっても、いろいろ問題があっても、その枠組みにさえ乗っかれば当選できるというのは、大統領型の下でもできるんですね。そのへんのところはたぶん、毎回毎回の、実は勝負だと思うんです。ただね、大きく違うのは、そういうものがなくても当選するっていう実績はどんどんできてきました。やっぱり10年前とは違うでしょうね、そこは」

 


日本では自民党とか、昔だったら社会党とかですね、
そういう政党名って意味がないんじゃないかと。与党なんです、結局

中央と地方の相違

――そうですね。ですから、この特集で浅野知事にお聞きしたいのは、自民党が現実的には支持率も低いし、問題もいろいろあるし、なんだかんだと言われていながら、なんだかヌエのように、ずーっと続いてきたわけですよね。ただ、地方においては、いわゆる自民党どころかオール与党、すべての政党が支持する候補者が敗れ、それこそ浅野知事のような、そういうしがらみの全然ない知事がどんどんどんどん生まれてきているという、非常に健全な新陳代謝が行われている。その一つ大きい要素が、やはりこの大統領型のシステムが、民意を非常に直接的に反映しやすい構造を作っているんじゃないだろうかなあという気がするんですけれどもね。
「うん、でもそれだけではないと思うんですよ。と言うのはですね、公選制度っていうのはこの5年10年で発明されたものじゃないです。ずーっと、戦後から公選制になってるわけです。今のシステムは変わってないんですよ。で、やっぱり客観的要因として変わったのは、右肩上がりの経済成長でなくなったということが大きいんではないかと思います、今考えてみると。と言うのはですね、やっぱり自民党の力の源泉というのは、利益誘導ですよね。必ずしも犯罪とかなんとかじゃなくって、大きな意味での利益誘導。自分のところと深く結びついてるようなところについては、利益団体も、必ず見返りがあると。見返りをするだけの余剰の財源なりというものは、国にも各県にもあったわけです。ですから、それにあずかれるということが、選挙においても大きな力になってきた。だから選挙の手法もですね、まさに利益団体としてのいろんな団体をまず固めると。それが最近崩れてきたのはなぜかと言えば、自民党におすがりしても、必ずしもその団体が幸せになれないんではないかということがわかってきた。それから、やっぱりそういうような図式がだんだん見えるようになってきて、それに対する一般の住民からの明らかな嫌悪感というのが出てきているということだと思います。それから、僕は日本に自民党とか、昔だったら社会党とかですね、そういう政党ってのは、ないんじゃないかと」

――ははははは。
「と言うか、そういう呼び名は意味がないというかね。与党なんですよ、結局。なぜ自民党を推すかというと、与党だからなんですよ、それは。だからまた政治家を志す側からしても、『なぜ自民党を選んだんですか、あなた自身の主義主張にあってるんですか?』と聞いても、違うんですよ、与党だからなんですね。そういうのが、政権交代の時なんかにも非常にいやらしい形であって。政権交代してこっちが与党になったら党を移るって、実際にあったじゃないですか。そんなものはね、普通は許されないですよ、そんなことは」

――(笑)で、また戻ったりしますからね。
「うん。それはほんとに、与党ということで選んでいると。民主党の候補になっても、まあ揶揄する場合があるじゃないですか、ほんとは自民党に行きたいけど、公認が取れなかったから民主党に行ったとか。そういうように、ほんとの意味での政策とか、主義主張で政党を作るというのとは違っている。こんな時代がずーっと長く続いてきたっていうのが当たり前のようになってるんだけど、ただ、地方ではそうでなくなってます、と。必ずしも自民党は与党ではないということですしね。このへんが、少し大きな地殻変動が地方から出てくるという要因かもしれませんね」

――ええ。であるならば、中央の政治とは違って、まったくバックも何も持たず、ヴィジョンを持った新しい、それこそ浅野さんを筆頭にするような知事がなぜ生まれてくるのか、という非常にシンプルな疑問にもう一遍戻りたいんですけれども。浅野さんの皮膚感覚として、それはなぜだと思いますか。
「それは一発勝負の選挙だから、そこで勝てばやれるっていうことですよ」

――そうですねぇ。だから、少なくとも今のところ、概ね非常に健全な選択を国民がしているっていう感触を、僕は持つわけですね。そうすると、日本人の民度というのは、確かに民主主義的には、まだすごく未分化なところはあるのかもしれないけれども、選ばれた対象を見ていくと、全然大丈夫なんじゃないかなあという。
「僕はね、むしろ子供の頃に思ってたんですよ、最近じゃなくって。中学校、高校の頃ですね。ふっと見てて、はっきり言って国会議員にはとんでもないのがいると。だけど知事にはそういうのはいないなと思ったんですよ。中学校、高校の頃、なんでわかったのか疑問なんですけどね。それほどの情報もなかったんだけど。でも、たぶんそうだったんです。それはですね、知事っていうのは行政官でもあるわけですよね。行政組織のトップであるってことは、単にこう、いわゆる政治力とか、そういうことだけでは務まらないと。毎日のように試されてるようなもんでしょ、それは。だから、とんでもないのがなったとしても、実はその4年間の中で、それは検証され得るんですよね。まあ、いくつか例があったりしたでしょ? 事件になった人もいるし。単なる人気だとか、浮ついたとこだけではなれないわけです。でも、国会議員はわかりませんからね、それは。もちろん立派な人もいるけれども、とんでもない人だってなり得て、それの検証のしようがないということは、国政レベルではあるかもしれません」

 


投票する面白さを味わったということは、
大きく変わる萌芽ですね

長野県知事騒動がもたらしたもの

――それで長野のことなんかで言えば、田中知事っていうのもすごくラジカルな存在が出てきて――そういうふうな状況というのは、局地的な変化というよりも構造的な変化のような気がすごくするんですけれども。そして、浅野知事が何回も、ちゃんと選挙を勝ち抜いていってるじゃないですか。僕なんかは、あまりにも国政レベルとか官僚とか、そういうところに希望がないから(笑)、この地方の動きに希望を見ちゃうんですけれども――それこそ浅野さんもやっておられる知事連合みたいな動きもありますよね?
「うん、まあそういう知事が、非常に緩い形の連合――悪く言えば単なる仲良しサークルみたいなもんだけれども、できてて、結構それが目立つようにはやっぱりなってますよね、今。またこれが全部、大きい何十人になるとかえって目立たなくなっちゃうんだけど。で、みんな喋るのも得意だからね(笑)。それで、面白がられてるっていう部分はあるんじゃないかと思います」

――だから、やっぱり時代の必然を僕なんかは感じるんですけどね。最近は長野の選挙というのが非常に大きく取り扱われたんですけど、あれもやっぱりすごく民主主義的なプラクティスだったという気がするんですよね。手続きは一応民主主義じゃないですか。とりあえず不信任出して、失職して、もう一遍選挙して当選してという。そういう手続きが国政レベルではなかったわけですね。概ね国会のどっかの、永田町の闇の中でどうこうやって(笑)、「結局この人になりましたよ」みたいな、「ああ、そうなんだ、お上のやってることは」っていう感じだったんですけれども。すべて有権者が参加する形で、政治という、あえて言いますけど“ゲーム”に参加することができた。「あ、俺たちの票でどんどん動く」みたいな、そういう手応えを感じられる場として、すごく面白かったんじゃないかなあという。
「それは間違いなくそうです。これはね、面白さを知ってしまったんだよね。しかも1年何ヵ月の間に2回もね。これはもう、後戻りしないし。その前までいろんな感じで無力感も持ってて、どうせ動かせないと思ってたんだけど。だから、田中さんでも誰でもよかったのかもしれないけどね。それは一つは、僕の言葉で言うとコミットメントということで。コミットメントというのは、なんて言ったらいいんですかねえ、『踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損』てのがコミットメントみたいなもんですから。見てるだけっていう、まさに観客であるよりも、踊ってみたらすごく充実感を感じた、楽しかった。選挙っていうのもそうだ、政治っていうのもそうなんじゃないか? という禁断の実とは言わないけど、それを味わった――いい意味でですよ、これはね。ということはね、やっぱり変わるんですよね」

――いや、大きく変わると思いますね。
「うん、大きく変わる萌芽ですね、これね」

――だから、「なんだ、民主主義って面白いじゃん」という政治的なニヒリズムを、かなり予想外のところで解凍してしまった田中康夫の功績というのは、すごく大きいというか。逆に言えば、長野県議会の功績というのはすごく大きいというか(笑) 。
「(笑)ああ、なるほどね」

――そういう感じが非常にしますよね。ただ、あの朝日新聞の浅野さんのコメントは、最高に面白かったですけどね。
「なんだっけ」

――みんな「長野の民主主義がどうとかこうとか」っていうコメント出してんのに、浅野さんだけ、「人の悪口言うのはやめなさい」っていう(笑)。
「ああ。あれは、ちゃんと僕もまともなこと言ったんだけど――」

――あ、そうなんですか?(笑)
「うん。新人記者が来て、あそこだけ取られちゃったんだよ(笑)」

――浅野さん、最高ですね、そういうところ(笑)。だからやっぱり、浅野さんのそういうキャラクターでも――って言っちゃ失礼ですけれども――やはり、きっちりとした評価を得られるステージとしての地方自治というのは、すごく大きいと思うんです。あと、佐高さんの言葉かな? 観客民主主義とかっていう。
「うんうん、佐高さんね。おまかせ民主主義」

――おまかせ民主主義、観客民主主義というような、民主主義制度を学習する我々の、生徒としての熟練度がまだ低いと。民主主義を肉体化してないっていうか、思想化してないっていうか。日本には民主主義っていうシステムはあるけれども、それを上手く使いこなしていないという部分がすごく多いという話があって。まあそれを実現するためには、地方分権と、NPOと、情報公開というのが非常に重要なことだというのを浅野さんはずっとおっしゃっていて。ほんとにそうだと思うんです。それで、僕の皮膚感覚なんですが、おまかせ民主主義や観客民主主義じゃない民主主義、本来的な民主主義の在り方みたいなものを、どうも地方政治で学習しているんじゃないかっていう。だんだんだんだんスキルが上がってきてる感じがするんですよね。だから、浅野さんがよくおっしゃっているNPOっていうのは、それの練習台として、すごく大きく機能していて。それが地方政治の中で多く生まれてきているっていうのは、象徴的な感じがするんですけれどもね。やっぱり観客民主主義、それからおまかせ民主主義っていうのは、地方においてはだんだん変わってきてるっていう感じが僕なんかはするんですけど、それは甘いですかね。
「うん、あのね、『民主主義ってなんでしょうか?』と。そう聞くと、一般的には民主主義っていうのは政治に関心を持つことだとかですね、多数決だとか言うんだけど、それは違うんですね。民主主義っていうのはね、税金なんですよ。税金を勝手にとられないようにという――つまり歴史的に振り返ると、マグナカルタ(*1215年に成立した大憲章。イギリス・ジョン王の戦費負担に反発した貴族が団結し、認めさせた。課税や裁判に際しての貴族や教会の特権を確認したもの)ですよね、始まりは。王様が恣意的に『ちょっと税金出せよ』って言って、それに反発して。そこで議会が出てきて、『いや、我々は、ちゃんとした手続きを経ないなら税金を払わないよ』というシステムを作った。これが民主主義のそもそもの始まりなんです」

――なるほど。
「ということはですね、やっぱり税金なんですよ。だとすると、今までは民主主義を学ぶ学校がないとか、それは地方だって言ったけど、それは逆に地方にはないんです。なんでかと言うと、実質的に今、地方、県にですね、課税自主権というのがないんですね、実は。例えば宮城県政が非常に効率的に動いて、行政改革ができて、人減らしもできたというふうにしたら、宮城県税、税率下がるんですか?と。下がんないんですよ。それは結局、中央集権という中での、税財源の分配の中から出てきている結果なんですね」

 


長野以外の県議会は、
はっきり言ってあそこまでひどくないです

地方自治における県議会の役割

――ああ、なるほどねぇ。
「ええ。だから逆に言うなら、宮城で本当にいいサービスをやってもらおうと思ったら、その代わりに税金は高いというような形になるべきなんですよ。それはね、例はあるんです。介護保険なんです。ご存じでない方もいらっしゃると思うんですが、介護保険料っていうのは約3200の市・区・町・村ごとに全部違うんですよ。それはそれぞれの市の条例、町の条例で決めてるということなんですね。例えば秋田県鷹巣町では3840円。このへん(宮城県内)は平均1600円、1700円ですから、倍以上高いんです。その代わり、鷹巣町では介護保険の提供されるサービスの質は格段に高いんです。それはまさに選び取ってるわけですね。それはたまたま介護保険の保険料ということでなってるわけだけど、税金の世界でこれが達成されれば、まさに民主主義なんですよ、税金っていうことを通して。だからこういうシステムがないようでは、我が国全体の民主主義っていうか、市民社会の成熟度っていうことにも関わってくるでしょうけれども、まだまだ極めて遅れた段階に留まっていなければならない。ということは、やっぱり分権をほんとに進めなくちゃいけないわけです。それは民主主義ってことだけじゃなくて、無駄がずいぶんウォッチされますからね。我々の税金を高く取るなよとチェックされますので、無駄もなくなるでしょう。だからそういうシステムを作っていかないと、日本は沈没すると前から思ってるんだけど。民主主義っていうのはそういう文脈の中でも言われるべきだと。だから、やっぱり税金の問題からのアプローチというのは、これは天下の正道なんですよ」

――そうですね。だから、面白いと思ったのは、中東のほうの国だったか――納税の必要がない代わりに参政権がないという、ある意味で裏民主主義みたいなところもあって(笑)。で、やっぱり、そういうような世界観まで、まだ日本はいってないじゃないですか。税金と民主主義が、権利と義務という形において、ちゃんと機能しているのかっていうと、そこまでいっていない。もっともっと素朴な、まだまだ初期設定段階でやってるような気がしてしょうがないんですよね。ただそこが県、あるいは地方レベルで変わりつつあるんじゃないか、と。
「うん、それでもうひとつ違う観点から言うとですね、県議会の役割ってことをもう少し考えなくちゃいけないのですよ。この前、朝日新聞で、我々がトップだっていうんで大変いい思いをしたんですけれども、県議会で、議員提案による条例を何本成立させたかっていうことを調査したんですよ。この5年間ぐらいで。ほんとはこの何十年間でなんですけど、宮城県がトップなんです。8本なんですよ。でも、トップの宮城でもたった8本ですよ? で、30いくつかの県は、この40年間に成立させた政策的な議員提案はゼロですよ、ゼロ。日本中の県の過半数までがゼロなんです。で、これは非常に重要な側面を示していると思うんです。つまり、県議会ってなんでしょうか?と。『県議会っていうのは、知事に対するチェック機関です』というようなこととかね、『知事と県議会っていうのは車の両輪です』と言われますよね。その言い方、どっちも僕は、結構反発を感じてる。完全に違うとは言わないですが。チェック機関であるという言い方の中に、それに甘んじているという部分があるんですよ、議会自身が。つまり議会は知事をチェックしてればいいんだ、それが議会としての最大、または唯一の役割なんだと。でも僕は、それは違うと。県議会は、その県における唯一の立法機関なんです。知事は条例を作ることはできません、提案することはできても。でも議会では、議員提案できるんですよ。だから県議会は県議会として、知事と政策面で対決ができるっていうか、タイで話できるんです。それだけの権能を持ってるんですよ、県議会は。そこをね、もう少しつついていくべきだと。なんでかっていうと、ほんとに悪いけど、長野県議会はとんでもないとこだと思うんだ」

――はははは。
「ね? もう漫画だと思います。あそこだけなのかどうかわからないけども。宮城県議会はその反対に、僕はすごくいいと思ってます。少なくとも相対的にはすごくいいと思ってます。なんで長野ではあんな人が県議会議員になれるんだろうと考えると――つまり何年間も議員提案も何もしないでやってればですね、誰でもなれるんですよ、ある意味では。そういう県議会の中で、政策的な切磋琢磨なんかありようがないじゃないですか。単なるチェック機関だったら、要するにはっきり言えば文句つけるだけのところで終わってしまって。あとは知事部局と繋がって地元に補助金を流すとか、そういうパイプ役だけやってるっていうんだったらですね、どこで県議会議員の資質っていうのは問われますかと。どんどんどんどん劣化していくだけなんですね。その状況を今、見てるわけです。だからまあ、これもやっぱり民主主義でしょうけれども、県議会の質を高めなくちゃいけないんですよ。よく言われるけれども、県議会を見てごらんなさい、男ばっかりですから。我が宮城県議会だって女性は3人です。県議会をそういうような状況にしておいてはいけないんですよ、これは。で、宮城県はその意味では、すごくいい方向にベクトルが行こうとしてる。これはすごく大事なことなので。県議会とは何か、県議会議員とは何かということも、非常に大事な論点だと思います。これの質を高めるということ」

――そうですね、うん。だからそうした意味ではほんとに国政レベルの民主主義の在り方、あるいは議会と行政の在り方、立法と行政の在り方っていうような意味でのいろんなプラクティスを、地方自治においては、よりクリアにやれる土壌があるからこそ、浅野さんみたいな方が出てくる状況があると思うんですけれども。例えば長野県議会みたいな状況っていうのは、僕は日本国中どこでもあるのかなと思ったんですけど、そういうもんではないんですか。
「はっきり言ってあそこまでひどくないです」

――ははははは!
「(笑)だって、はっきりもう言っちゃうけどね、今度(田中知事の再選という)結果が出たからなおのこと。不信任案が出た時も、今みたいなことを言いたくなって――まあそりゃ、もうちょっと軟らかく、『信じられません』と言ったんですよ(笑)。アンビリーバブルなんですよ、ほんとに。なんなんだろうと。もう結果を見たじゃないですか。あれだけはっきりと――まあ、今回は田中さんが圧勝したっていうことよりも、県議会が完敗したってことなんですよね、これは」

福祉を通しての変革

――そういうことですね。ほんとにそう思います、うん。
「そのために10億円もまた選挙費用かけるなと。ものすごく罪が重いんですよ。もうこれはね、なんぼ言っても足りないぐらいだ。それが今日の論点じゃなかったけれども、ついつい(笑)」

――(笑)ただまあ、多かれ少なかれああいう状況が日本全国にあるのかな、というふうにも――。
「宮城県は違うよ?」

――それは要するに、浅野さんの努力もあったわけでしょう。
「いや、その記事なんだけど、8本の議員提案があったってことで、僕の写真が載ったんでね、申し訳ないなと思った。だってこれは議会の手柄ですから。だけど、ある意味でいくと、浅野に負けたくないというような、敵愾心ですよね。そういう部分もあるわけなんで。そうすると私も、なんて言ったらいいんでしょうか、反面教師って言うとちょっと違うけれども――」

――ちょうどよい競争相手として機能していたわけですね。
「競争相手として出てきてる。だから、大政翼賛的な知事と議会との関係は、知事にとっても議会にとってもある意味では楽ですよ。だけどこういうような切磋琢磨っていうのが起きないとすればね、さっき言ったように、議会の劣化というのが始まる。その意味では、宮城県議会は幸いにも、是々非々っていうようなことがほんとに、結構生きてるわけですから。是々ってのは簡単だけど、非々と言うためには、相当程度、議会側だって勉強もしてなくちゃいけないだろうし、力をつけなくちゃいけないということで、レベルが保たれると思いますよね」

――そういう感じが非常にしますね。ではこの地方自治の中で、新しい政治理念の中において、国政をも影響下に置いて変革していくっていうヴィジョンは、浅野さん的にはどういうふうにお考えなんですかね。福祉なんていうのはすごく大きいカードだと思うんですけれどもね。
「うん、そうだね。だから福祉にしてもいろんなものにしても、今までなんでも、ナショナルミニマムとかですね、全国公平ってことでしたよね。でも地方なら地方で、実際福祉も現場持ってる、教育も現場持ってる。そういうところで、どうしようかっていうことで本気に考えていけば、それぞれのところで、それぞれ独自の政策が出てきていいんですね。自分のところでなんか変わったことをやって、それを全国の、まあスタンダードにするって言うとこれは論理矛盾なんだけど、ある程度影響を与えていこうというところまでのエネルギーは、まだまだ足りないですよね。目立とうというのとはちょっと違うんだけど、風穴を空けよう、なんていう思いは出てきたと思うし、私も考えてます」

――浅野知事の福祉というものに対するアプローチというのは、現場のオペレーションとかなんとかっていうレベルではなく、福祉というのを政治の中にどう位置づけるかっていう、思想の面で、やっぱり一線を画していらっしゃるというか。要するに福祉というのは、弱ってる人を助け、金持ちが貧乏人になにがしかの施しをやるみたいなイメージが日本の中にはあるけれど、そうじゃないんだと。民主主義を支える上での、基本的なインフラであるんだというお考えですよね。やっぱり、そこまで福祉を思想化している方っていうのは、あんまり多くないというか。ここが浅野さんを浅野さんたらしめている部分かなあという気がしますよね。それはやっぱり、厚生省ご出身ということもあるんでしょうけれども、現場でおやりになっていくうちに肉体化し、かつ自信に繋がった思想ではないかなあと思うんですが。
「まあ、まだ今のところ決意表明ですけどね。8年9年やってても、なかなかそれを、インパクトがあるような形で具体化するまでいってないのが、非常に忸怩たるものではあるけれども。でもまあ、そうあらんとしてます。僕がとくに取り組んでいるのは、障害福祉の問題なんですが、これはある意味では簡単なことなんで。障害持ってる本人に、『あなた、どういう生き方したいんだ? あなた今日何やりたいんだ?』と。それはわがままを聞くって意味じゃないですよ。 親だって、必ずしも障害持ってる子供の希望を体現してるとは言えない場合があるんです。相反する場合すらあるんですよ。供給者の論理っていうのがあるわけでね。『行政はこうやって施設を作った、こうやってプログラムを作った、さあ利用しなさい』――そうじゃなくって、むしろ、障害を持ってる人に、『ほんとはどうしたいんだ』と。それに対する『こういうことをやってください』という答えに応じて製品を作るっていう形に、ある程度早い時期に私も到達したんですね。それは厚生省にいたからじゃなくて――はっきり言えば厚生省だってずーっと障害福祉の行政をやってきたわけじゃないですか。でも、なかなかそういうことはやってなかったわけです。非常に単純なことだけど、本人に聞けということが、大きな転換点なんですね。私の出発点というかね、基本はそういうことです」

 


政権交代が現実味を帯びてこないとね、
やっぱり、ほんとに閉塞感が消えないです

実現すべき政権交代

――それはほんとに思想ですよね。だからすごいなあと思いましたけどね。で、これからの政治的な展望ということがこの特集の主旨なので、浅野さんなりに、日本のこれからの政治状況というのを、どういうふうに捉えていらっしゃるのかを最後にうかがえればと思うんですが。それこそ地方自治の執行官としての手応えの中での。
「まずね、僕はやっぱり、この特集のテーマにぴったり合っちゃうことになるけど、政権交代が現実味を帯びてないとね、やっぱり、ほんとに閉塞感が消えないですよ。政権交代がない民主主義の国なんていうのはないわけでね。ま、一時期自民党が野党に落ちたりしましたけど。それが揺り戻して、かえって変なふうになったでしょう。つまり今の自民党は、与党へのこだわりが大きすぎると。政策とかなんとかよりも、与党であるってこと、あり続けるってことがですね、まず最大唯一の目標みたいになってる。そういう政党ってやっぱりおかしいと。普通は政党を作って、ある政策を実現するっていうのが最大の目標であるわけじゃないですか。まあ、そのために政権を失うっていうことは、いやでしょうけど。ただそれは、その政策でやっていけば必ず国民も受け入れてくれるっていうようなね、そのぐらいの自信がなかったら、政党なんて張ってられないですよ。とにかくあまりにも、与党意識が強すぎるって言うんですかね」

――与党であることが自己目的化しているっていう。
「そう、ある意味で恐怖感。前に野党になった時のあの恐怖感がトラウマになっていて、なりふり構わず、とにかく与党でいようと。政策なんかもういくらだって融通無礙に変える。まあそれがある意味で、結果的にいいように出たのが小泉さんでしょ? 政権の座から滑り落ちると思った危機感があったから。だって橋本龍太郎さんを選んでいたらば、たぶんもう与党の座を降りてたと思いますよ。で、小泉さんで参議院なんか勝ったじゃないですか。だけど、普通ならあり得なかったんですよ。今は当たり前のような顔してるけれども、なんで小泉さんが自民党総裁になれるんですかというぐらいにですよ、もうなりふり構わず与党でいたがるという。それは極めて不健全です。だから、やっぱり健全に政権交代があるようにしなくちゃいけないので、それはまさに、国民はできるわけですよね。それなのに、一方において、なんか民主党は頼りないとか言って――そりゃそうですよ、政権についたことないんだから。そんなこと言ったら、永久に政権交代なんかないわけで。我々(*ベガルタ仙台)はJリーグでJ1に上がったけど、やっぱりJ2のチームはJ2のチームだけでやってるでしょう。J1は強いところで揉まれてるから、ますます強くなっていって。だから今、民主党っていうのは政権についてないんですから、頼りなく見えるのは当たり前ですよ。だけどそこは目をつぶってね(笑)、やってったら一時期は混乱があったりするけれども、ほんとに明るい未来ができてくるんだけど。そこがポイントだね、やっぱりね」

――そういう事態というのは起きますかね。
「いや、そう持っていかなくちゃいけないと思うんです。残された時間はあんまりないですよ、それは」


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