浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

厚生福祉 2002年5月31日号から

「児童虐待に思う」

 私自身、二女の父親である。娘は、成人と高校三年生に育ち上がってしまった。「子どもは五歳までのかわいらしさで、親に対しては十分に報いている」という言葉を聞いたことがある。二人の子どもの五歳までのかわいらしさを思い起こし、当時もっと濃厚に接していればよかったなあと悔やんだりしている。そして、「世の中の全員がつらくあたろうとも、我々親だけは、君たちのことは全力で守り抜くからな」というメッセージを、娘二人には伝え続けてきた。

 そういう平均的な親の立場から見れば、親による児童虐待は、想像の外にある。とは言いながらも、現実に、日本の家庭のあちらでもこちらでも虐待は起きている。どうしたらいいのか。

 子どもにとって、親からの虐待ほど救いがたいものはない。最も頼るべき存在は親である。その親による虐待が、家庭という密室で行われる。周囲の人達が気が付いても、ひとさまの家庭のことに関わるのははばかられる。そんな干渉をしたって、何の得にもならないとの思いもある。

 だとすれば、誰が救うのか。行政しかないだろう。その行政が無力であったら、虐待を受けている子どもにとっては、どうしようもない。

 わが県で、一時保護中の女児に対して、宿直職員が性的関係を結ぶという不祥事が二年前にあった。まさに言語道断の仕儀である。さらにほぼ同時期、隣県の児童相談所から経過観察依頼のあった児童の家庭観察を行わず、その後最近になって、親による遺棄を招いてしまった事案が発生した。

 確かに、児童虐待の事案は増加傾向にあり、行政による対応が追いつかない状況である。児童相談所、福祉事務所、市町村が一体となって関わっていかなければ、とても手が回らない。児童問題についての専門性が求められるのに、そういった職員が十分に確保できていないという問題もある。

 そんなことは、こちらの都合。現に、今も親による虐待に苦しんでいる小さな命がある。全力で子どもを守ろうとする意欲だけは、絶対になくしてはならない。また、児童の人権擁護についてのシステムを確立することが急がれる。わが宮城県としては、過去の不祥事の反省の上に、禍を福に転じなくてはならない。そんな覚悟を決めている。


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