浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

読売新聞2001年6月26日付け
浅野史郎宮城県知事・片山善博鳥取県知事が語る
インタビュー記事から

《論陣 論客》
小泉構造改革と地方

政府の経済財政諮間会議が「小泉構造改革」の指針を決定した。 焦点の一つは、国と地方の関係を根本から見直す改革にある。地方交付税の改革、道路特定財源の見直し、国から地方への税源移譲。論争はこれから始まる。現場の知事はいま、この構造改革を どうみているのだろうか。聞き手・解説部 青山彰久

現場に事業を選ばせて

浅野史郎氏(あさのしろう)
宮城県知事。厚生省児童家庭局障害福祉課長、同生活衛生局企画課長などを経て1993年に知事初当選。現在2期目。53歳。

―小泉内閣の構造改革を、地方からどう見るか。

浅野  積み残しの課題を正面からとらえようとしている。期待している。いきなり地方への歳出を一兆円削減と言われれば、遇剰に反応してしまうが、どんなパッケージの提案になるかでかなり変わる。「国債発行を三十兆円以下にするにはこれが削れる、金がないから仕方ない」というのは論理ではない。みんなの胸にも響かない。そうではなく、これは国と地方の役割を新しく決めるものだと、そのために国税である所得税の一部を地方税の個人住民税へ移すなどとした地方分権推進委員会の最終報告の線で進めるのだと言えぱ、国税からの地方交付税は削減しても当然ということになる。

―改革の目標が大事だと。

浅野  国税が減る政策には財務省が強く低抗する。だが、そんな狭い発想では困る。都市対地方という小さなコップの中の争いだとか、財源をめぐる国と地方の綱引きだと思われたくない。知事がもっと威張れるようにする改革ではない。国が勝つか地方が勝つかの問題でもない。日本に活力を生むための手段の問題だ。小泉構造改革に期待するのは、そのような目的意識があると思うからだ。

―何の改革が必要なのか。

浅野  納税者が主役になる制度にすることだろう。県の行革を提唱するのは知事だが、これは本来おかしい。「納めた税の無駄遣いがまかり通っている。ここを直せぱ負担がもっと軽くなるはずだ」と納税者が叫ぶのが筋だ。だが、今は国に財源を頼っているから行革をやっても税金は下がらない。下がらない以上、「生活がよくなるように、知事さん、国にお百度参りして補助金を取ってきて」ということになる。これは不健全だ。納税者の論理が働く制度にすれば、財政規律が戻り、施策を合理的に決定できる条件が整う。
  特に問題は補助金。省庁でも多くは補助金配分事務で忙殺され、国しかできない政策の研究が片隅に追いやられている。国の仕事を再定義すべきだ。それをしなかった省庁再編は順番が逆だった。

―公共事業の改革もある。

浅野  不要な公共事業を見直す という議論があるが、だれが不要 だと判断するのか。国か地方か。 金を使う現場の地方だと思う。道路も空港も基幹事業は国がやるとしてきた結果、一県一空港のようなことになった。地方に任せ採算を考えさせたら不要なものはなくなる。限られた予算の中で道路か港湾か、福祉か文化かという選択も出る。そういう政策のトレードオフが働くような仕組みにすれば 公共事業も改革できる。

―ただし、知事は道路特定財源の一般財源化に反対している。

浅野  特定財源は確かに予算の硬直化を招く。だが、地方では道路に飢餓感がある。道路が整えば、共同体も維持でき、産業活性化によって競争もできるとの意識だ。「地方は都市のおこぼれをもらって、まだ道路か」と言われるのは、戦う前から競争の武器を奪われるのに等しい。都市住民が定年後にどこへ住むかという時に帰る場所もなくなる。道路特定財源にはこのような重みがある。ぱっさり切るのではなく国全体を見たバランスがある。構造改革に、都市対地方という対立ではなく、活力ある国の形を国民が選ぶという議論がほしいということだ。

 

政治主導でオープンに

片山善博氏(かたやま よしひろ)
鳥取県知事。自治大臣秘書官、自治省税務局固定資産税課長、府県税課長などを経て1999年に知事初当選。現在1期目。49歳。

―小泉改革をどうみるか。

片山  道路特定財源にしろ地方交付税にしろ、既成制度に新しい光を当て、見直そうとする姿勢がいい。だが、懸念するのは、抽象論だけが飛ぴ交い、予算削減だけに関心が偏りかねないことだ。

―改革は具体論でと。

片山  首相の置かれている状況はわかる。私も自民党に推されて知事になり、自民党の一部から批判されながらダム中止などの改革をやってきた。ただ、自分で提起した改革は必ず現場に行って当事者や関係者の意見を聞き、最後は良心に基づいて自分で判断し、自分で説得した。役人任せにしなかった。首相は極めて忙しい身だが、網羅的改革ではなく、自分で現場をみて本当に見直すべきと感じたものを徹底する現場主義がほしい。大ぷろしきを広げすぎると、責任を持って判断できなくなり人任せになる。任せれば官僚が牛耳る。最大の懸念はこの点だ。橋本内閣がいい例ではなかったか。たくさんの課題を挙げたが何ができたか。省庁再編はしたが、霞ヶ関の統治構造はほとんど変わっていない。

―知事も官僚の出身だが。

片山  官僚は自分で責任を取らない。自分で説明責任を果たそうとしない。それでいて自分の省庁の権益だけはしっかり守る。自分で説明責任を果たすかどうかが官僚と政治家の最大の違いだ。

―国会の役割が大きい。

片山  国会は総論だけでなく各論もしっかり議論すべきだ。国会には改革の賛成者もいれば反対の意見もある。でも、その反対意見をよく聞き、オープンに議論して こそ初めて改革への説得力が出る。省庁や官僚に任せず合意形成の過程を国民に見せてほしい。  道路特定財源があるから地方にはタヌキしか通らない道ができるという。それなら、タヌキしか通らない道はどこかを議論し、そんな道はやめればいい。だが、人がたくさん通る道路は優先させるべきだ。具体的に吟味して「果たして道路への財源はどれだけ必要なのか」と考えるのが筋道だろう。
  地方交付税も、確かに制度が劣化している。昭和二十年代のモノ不足の時代を反映したまま、地方の投資活動を重視しすぎている。地方債の元利償還を交付税で補てんするのは、皆が競い合って将来の交付税を先食いするようなものでやめたほうがいい。税は使う現場で取るのが原則だから、地方税を重視すべきだ。だだ、地方税を増やすと大都会に多く入り、交付税の減額でダメージを受けるのは田舎のほうになる。そこのバランスの取り方を具体的にしっかりと議論してほしい。

―この構造改革には都市対地方の対立になる要素がある。

片山  地方の人は東京の通勤地獄や劣悪な住宅を知らず、都会では快適で豪華な生活をしていると思っている。東京の人は地方が金食い虫でおねだりばかりしていると思っている。私は両方を体験したが、どちらの見方も間違っている。互いが無知なのだ。公共事業は土建業者のためにやっているといわれるが、必ずしもそうではない。上京して羽田空港から都心への渋滞にあう度に、首都高速にはもっと投資すべきだと思っている。だが、交付税などを縮小して都市に回すと言ったら反発する。
  都会も田舎も相手の実相をよく見て理解し合い、悪い部分を直すことが改革に必要だと思う。


寸言
目指す改革のゴールは、そう複雑ではないはずだ。公共事業であれ、高齢者ケアや子育て支援であれ、人々の暮らしに 必要な公共サ一ビスの質と量は、基本として住民の負担で選ぶ仕組みにすることにある。浅野氏が言うように、それが財政の役割と規律を戻す道だろう。 地域の民主主義も、そこから息づくに違いない。

問題はそこへの道筋をどう合意するかだ。国と地方、都市と農山村の不毛な対立は避けなければならない。対立を超えられなければ、結局、日本の財政は崩壊する。片山氏の指摘通り、官が国をつくるのではない。多くの人々が、改革への強い意思を持って考え抜くことだろう。


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