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朝日新聞
2001年6月5日
《私の視点
》から

特定財源

地方切り捨てが「改革」か

 

 道路特定財源の使途拡大について、地方の首長の立場から反対意見を述べたい。  議論を単純化すれば、この問題は都市のエゴと地方のエゴのぶつかり合いである。一万円会費の食事の会で、都市の人たちは先に食べ始めて腹八分目。地方の人たちは、半分も食べ終わってない。都市の人たちからは、「お腹も一杯になったので、食事はこのぐらいにして、会費のうちの二千円は観劇の経費に使いましょう」と言われたのに似ている。

 道路特定財源なるものを、今、導入しようかどうか議論しているのではない。制度は何十年か続いてきて、「もうそろそろ、ルールを変えてもいいんじゃないか」という問題提起がされたのである。都市の人は腹八分目で「もういいよ」と言っても、半分しか食べていない地方の人が「まーだだよ」と反論するのは当然でないか。決していつまでもお食事会を続けよと言うのではない。特定財源なるものが、予算の硬直化を招くのは当然であり、いつかは廃止が必要である。「その時期が今ですか」というのが、私たち地方に住む者の率直な疑問である。

 小泉首相が道路特定財源の見直しを言い出した背景に、前回衆議院議員選挙での都市部における自民党大敗の反省を受けて「都市票を確保せよ」という思惑があるとは思えない。そんな単純な発想から出ているのではないとは思うが、「車もあまり通らないような地方の高速道路は無駄だ」とか、「道路特定財源を使って、都市の基盤整備をすべきだ」という主張を聞いていると、一言も二言も反論したくなる。

 これからの日本の定住環境をどうするか。都市をますます住みやすいものにし、地方を今以上に衰退させることが、国土づくりの基本方針であっていいはずはない。あえて言えば、地方を相当「えこひいき」しなければ、都市への人口と産業のさらなる流れを食い止めることはできないだろう。 団塊の世代に属する人たちが、都市での職業生活を卒業して、大挙してふるさとに帰ろうとする時期が迫っている。「帰りなん、いざ」と思った時に、ふるさとは荒れ放題ということになりはしないか。地方切り捨ての論理は、結局のところ、都市の人たち自身の老後生活の選択肢を狭めることになりかねない。このことをよくよく留意すべきである。

 地方交付税の縮減の問題は、地方の独自財源たる税収を国から地方に大幅に移転させることとセットの議論であれば、むしろ望ましいという面もある。そういった、大きな枠組みの変更という趣旨からの見直しではなく、単に財政上のつじつまが合わせから、つまり「金がないから」ということが前面に出るような「見直し」なら願い下げであることだけは言っておかなければならない。

 もう一つ気になるのは、「上からの」合併論である。市町村合併は必要である。今後大いに進めるべきである。ここまでは、わかる。しかし、これも「金がないから」の論理でやられたのでは、地方は反発をするのは当然であろう。合併で市町村の行政運営が効率的になれば地方交付税を削ることができるという「衣の下のよろい」が見えるようではまずい。  

 地方の問題は、単に地方に住む人間にとってだけの関心事ではない。将来、どこでどのような生活を営もうとするのかという意味で、現在の都市生活者にとっての問題でもある。この視点を失わない、文字通り、地に足の着いた議論を期待したい。


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