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浅野史郎メールマガジン ━━━━━━━━━━━━━━━━━ 2004/10/26
http://www.asanoshiro.org/                  第164号
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> <<目次>> <

 [週刊コラム・走りながら考えた]
  ○「魯迅先生留学百周年」(浅野史郎)

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 ○「魯迅先生留学百周年」(浅野史郎)

 中国の文豪であり、革命家である魯迅先生が、仙台の医学専門学校に留学
して、丁度百年目を迎えている。そのことを記念した行事が、この時期の仙
台でいろいろ催されたが、私は、仙台市博物館の隣に建立されている「魯迅
の碑」の前での碑前祭に参加した。改めて、その碑に刻まれた、妥協を知ら
ずに戦う厳しい顔の魯迅先生を仰ぎ見て、深い感慨を覚えた。この魯迅先生
が、百年前の仙台の空気を吸い、この美しい景色を眺めていたのだというこ
とに思いをいたしたものである。

 魯迅先生は、日露戦争が始まった年である1904年の9月から、ほぼ1
年半、仙台に滞在した。仙台を選んだ理由の一つは、中国からの留学生が他
にいないことということだったらしい。つまりは、それだけ、当時の仙台に
は留学生が少なかったことになる。

 今や、その仙台の大学、特に東北大学には、中国からの400名を超える
留学生をはじめとして、数多くの留学生が勉学に励んでいる。この中から、
第二の魯迅先生が出てくるのだろうか。そんなことを望んでやまない。

 魯迅先生の小説「藤野先生」で広く知られているように、仙台留学中に魯
迅先生を懇切丁寧に指導してくれたのが、解剖学担当の藤野厳九郎先生で
あった。日本語が十分でない魯迅先生(本名、周樹人)のために、藤野先生
はノートをすべて添削してやっていた。一部そのノートが残っているが、驚
くべき細かいところまで直してある。それが、学生周樹人の在学中ずっと続
いたのである。 

 留学生周の仙台での生活は、決して安穏なものではなかったらしい。教室
の中でただ一人の中国人留学生に対する、級友からの差別的言動に腹が立っ
たことも多かったであろう。その経験が、魯迅先生をして、「国が弱いとそ
の国民までもが侮られる。国を強くしなければならない」という思いを植え
つけることとなった。その結果として、医学を捨てて、故国中国に帰り、文
学で身を立てることにつながった。

 仙台を去る魯迅先生は、「謹呈周君 惜別 藤野」と裏に書かれた写真を
もらった。魯迅先生は、その写真を終生大事にして、勉強を怠けたくなった
時には取り出して、また勇気を奮い起こしたということである。こういった
子弟関係を築くことができたことは、両人にとって、そして日中両国にとっ
て大いに意義のあることであった。

 私は、8年ほど前、魯迅先生の故郷である紹興を訪れた。生家を訪問し、
彼が通った「学習塾」で彼が使った机を見る機会にも恵まれた。生家は、魯
迅先生が15歳の時に、父親が死亡してから没落し、大変に苦しい生活を強
いられたと言われている。そんな中で、中国社会のありよう、国際社会にお
ける中国の位置づけ、中国人民の考え方に根強く残る因習のようなもの、そ
んなことを考え抜く土台が作られたのではないか。そんなことを考えながら、
紹興酒で有名なこの地での短い滞在を終えた。

 1998年11月には、当時の江沢民主席の仙台への訪問をお迎えした。
限られた日本訪問の期間の中で、どうして仙台を選んだのかの理由は明らか
である。魯迅先生が学んだ東北大学を訪れたいということである。江沢民主
席が、東北大学の教室に出向いて、魯迅先生が坐った教室の席についた時の
ご満悦の様子を、今でも覚えている。

 このエピソードだけではない。中国の人たちにとって仙台は、小説「藤野
先生」が教科書で紹介されているということから、誰でも知っている地名に
なっている。仙台にとって、宮城県にとって、大変ありがたいことである。
宮城県が中国の吉林省や大連市や上海市との関係を深めようとしている時に、
相手方の人たちにとって親近感を感じてもらえる土地であることが、どれだ
け役に立っているかは、今更言うまでもない。

 1936年に魯迅先生が亡くなった翌年に、日中戦争が始まった。戦後の
日中関係は、何度かぎくしゃくした様子を見せている。そして首相による靖
国参拝問題などをきっかけとした、最近のしっくりしない両国関係。こんな
時、100年前のことだが、あの藤野先生がいなかったら、ということを考
えてしまう。藤野先生と魯迅先生との信頼関係、子弟関係がなかったなら、
両国の関係はもっと厳しいものになっていたのではないかと、つい考えてし
まう。

 そんなことを思うと、我々がなすべきことが見えてくる。第二の魯迅先生
を探すということよりも、第二の藤野先生をみつけることである。自分自身
が、第二の藤野先生になることである。必ずしも、先生でなくともいい。町
の中の普通の人の立場で、外国からの留学生に、いろいろな形での援助をす
るということ。金銭的援助も必要だが、心の交流がもっと大事だと思う。大
げさではないつもりだが、国民一人ひとりができる安全保障への貢献につな
がる面だってある。親切にされた留学生が、国に帰ってその国の枢要の地位
に就いた時、「日本にはあの人がいる」と考えてくれるのと、そうでないの
とでは、国と国との関係でまったく影響がないことはない。

 魯迅先生仙台留学百周年の機会に、こんなことを考えた。


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> [読者のみなさんから] <

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 <gassyさまから:“日本の安全保障と地方政府”について>

 第162号(だけじゃないですが)知事は立場上控えめな表現をとってると
思いますが、ホントだめだなと思います、永田町。

 僕は東京の出身で、つい最近こちらに来たものですが「江戸っ子」の持つ
潔さはかつては東京にあったんですが、今は浅野さんにそういうものを感じ
ますし、正論だと思います!



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> [編集後記] <

 相次ぐ台風直撃の次は新潟中越地震。被害に遭われた皆様に、心よりお見
舞い申し上げます。

 被災地に救援物資を届けた方からの話によると、地震の被災地は豪雪地帯
のため、家の造りがしっかりしているので倒壊は免れていますが、家の中は
とても人が住めるような状態ではないとのことです。余震が収まるまでは、
家財道具の片付けもできないため、避難所で暮らす方が増えているのかも知
れません。

 一日も早く、被災地の方が通常の暮らしに戻られることを祈っております。
 
 それでは、来週の「浅野史郎メールマガジン」をお楽しみに。 (一馬)

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発行:浅野史郎・夢ネットワーク メールマガジン編集局 渡辺一馬


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