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浅野史郎メールマガジン ━━━━━━━━━━━━━━━━━━2003/7/29
http://www.asanoshiro.org/                  第99号
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 [週刊コラム・走りながら考えた]
  ○「ブラジル戦後移住50周年」(浅野史郎)

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 ○「ブラジル戦後移住50周年」(浅野史郎)

 日本にも貧しい時代があったということ、今の若い人にはぴんと来ないか
もしれない。1908年、ブラジルへの移民船笠戸丸が神戸港を出た頃の日
本は、間違いなく貧しかった。95年前のことである。

 第二次大戦での敗戦直後の日本も、貧しかった。1953年、ブラジルへ
の移住が再開された。それから50年。移住した日系人は、ブラジル社会に
しっかりと根を下ろし、その多くは、成功を収めた。ブラジル社会において、
日系人の存在はなくてはならないものになっている。

 そんな実績を積み重ねてきている日系人であるが、移住当初には大変な苦
労があった。わが宮城県からは農業関係の移住者が多かったが、ブラジルで
は思うように作物が取れない、取れても輸送コストが嵩んで思うように売れ
ないといった困難続きであった。もちろん、慣れない言葉の問題もある。

 そんな中で、中沢宏一さんは、ブラジル宮城県人会の会長を長く務めてい
ることで、日系人の中でも一目置かれる存在である。コチア青年団の仲間と
ともにブラジルに渡り、農業関係で実績を上げた。自分の仕事だけでなく、
県人会の活動にも積極的に関わり、特に、サンパウロの日本人街での宮城・
仙台七夕まつりを定着させた功績が大きい。

 七夕まつりは、今年が25回目。日系人だけでなく、サンパウロの市民に
とっても、なくてはならない年中行事に育っている。今回のサンパウロ訪問
の中の大事な行事のひとつとして、この七夕まつりのオープニングに参加し
たが、大勢のサンパウロ市民が踊りを見物したり、短冊を買って七夕飾りに
結わいつけたりしながら、七夕祭りを楽しんでいる様子が印象的であった。

 中沢さんは、今回の、戦後移住50周年記念式典の実行委員長を務めた。
宮城県人会だけでなく、日系人全体の中でも積極的に活動を広げている。こ
ういう地道な活動が、ブラジル社会の中での日系人の評判を高めることに役
に立っている。

 小野寺郁夫さんの活躍も、日本とブラジルの関係を緊密にするということ
で、忘れられないものである。宮城県若柳町出身の小野寺さんは、農業移民
として1959年にブラジルに渡った。行ってみると、ブラジルに渡る前に
描いていたような明るい未来はとても無理だとわかり、農業での成功はあき
らめた。その後、さまざまな職業に就きながら、ポルトガル語を習得し、法
科大学にまで進んだ。

 小野寺さんがブラジル社会で名を成すに至ったのは、柔道である。身長
156cm、体重50kgの小柄な身体が、大柄なブラジル人を投げ飛ばす
のが評判になった。1976年のモントリオール五輪ではブラジル柔道チー
ムの代表監督を務めた。その後、教え子から金メダル選手を二人も出すなど、
ブラジル柔道に大きな貢献をした。柔道にとどまらず、サッカー交流にも力
を尽くした。サンパウロFCの有力選手をベガルタ仙台に送り込むなど、日
本・ブラジルのサッカーの架け橋でもあった。

 5年前、初めてサンパウロを訪れた時に、小野寺さんにはとてもお世話に
なった。柔道の教え子がサンパウロ警察に大勢いるということもあり、我々
一行に、白バイ隊を特別につけてくれて、市内の渋滞を尻目にスイスイと町
中を移動できたということもあった。小柄で童顔、とても人なつこくて、ブ
ラジル人にはことのほか受けるタイプの人柄であることがよくわかった。

 その小野寺さんが、今年の2月に舌癌のため63歳で亡くなった。毎年の
ように仙台においでになっていて、昨年の10月に、親友であるサンパウロ
FCのカナッサさんと仙台にやってきた時にもお会いしたばかりであるので、
その突然の逝去はとても信じられなかった。今回のサンパウロ訪問では、イ
タリア系の奥様をはじめ、お子さんたちにもお目にかかった。カナッサさん
のご配慮で、一緒にサンパウロFCのスタジアムを訪問し、昼食をご馳走に
なった。

 5年前にお会いした時には、3軒だった「おのでらエステ・クラブ」は、
サンパウロを中心に、いまや47軒のフランチャイズを持つまでに発展した。
奥様は長女とともにその経営に邁進しており、サンパウロを代表する5人の
女性経営者の一人に数えられるようになっている。これとて、小野寺さんの
残した財産のひとつである。

 個人的なことを書き過ぎたかもしれないが、こういった一人ひとりの尽力
によって、ブラジル社会の中に日系人が確固たる地位を占めることになった。
ありがたいことである。

 今では、ブラジルから日本に渡って仕事をしている日系人が30万人近く
になっている。貧しかった日本が、ブラジルに恩返しをする番がやってきた。
あれだけ暖かく日系人を受け入れてくれたブラジルに対して、日本も同様の
暖かさで報いなければ、歴史に対して申し訳がない。宮城県北部での地震の
発生によって、予定を早めて帰国の途についてしまったが、こんなことも考
えさせられた、今回のブラジル訪問であった。

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> [編集後記] <

 26日に宮城県北部で三度発生した震度6の地震では、奇跡的にお亡くなり
になった方がいらっしゃいませんでした。

 しかし、先日被災地を訪れ、実際に倒壊している家屋を見たり、道路が隆
起・陥没しているものを見て、地震の恐ろしさを感じました。  (一馬)

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発行:浅野史郎・夢ネットワーク メールマガジン編集局 渡辺一馬


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