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浅野史郎メールマガジン ━━━━━━━━━━━━━━━━━ 2001/11/19
http://www.asanoshiro.org/                 第12号
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       浅野史郎メールマガジン・再開しました。
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> <<目次>> <

 [週刊コラム・走りながら考えた]
  ○「宮城県知事選挙を終えて」(浅野史郎)

 [寄稿]
  ○「夫婦二人三脚の選挙に参加して」(浅野光子)

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> [週刊コラム・走りながら考えた] <

 ○「宮城県知事選挙を終えて」(浅野史郎)

 宮城県知事選挙が終わった。11月1日告示、11月18日投票。投票の
結果は、53万票余で、得票率83%。次点の候補者の獲得票数は8万8千
だから、大勝と言えるだろう。投票率が35%と、宮城県の知事選挙として
は史上最低だったのは残念だが、これは候補者の努力ではいかんともしがた
い部分と、あきらめるしかない。

 振り返って、悔いることも恥じることも全くない、心底気持ちのいい選挙
であった。「現職らしくなく、しかしアサノらしく」という選挙を心がけた
が、選挙対策本部の面々が、このことをかたくなに守ってくれたのがうれし
い。政党、団体の推薦を受けないのは、前回選挙と同様。これに加え、選挙
費用は1000万円以下でという、現職知事としては破格の低予算も、どう
やら達成できたようである。

 「県民一人ひとりが主役の選挙」というのも、前回選挙と同様の願いであっ
た。有権者に参加の契機を用意することには工夫が必要である。百円カンパ、
勝手連、ポスター貼りは、前回選挙で経験済みであるが、今回初登場は手づ
くりポスターであった。通常のポスターに絵を書くスペース(Aタイプ)、
字を書くスペース(Bタイプ)を残して、県民の方々に手づくりポスターを
仕上げてもらおうという試みである。私自身のアイディアであったが、うま
くいくかどうか、半信半疑であった。これがうまくいった。1000枚を越
える手づくりポスターが宮城県内の掲示板を飾ることになった。

 ちっぽけな選挙スタッフで、県内各地を走り回った。私自身、文字通り走
り回るために、足元はジョギングシューズで固めた。服装は、当然ながら、
背広にネクタイというわけにはいかない。ラフなジャケット姿である。候補
者名を書いたたすきを肩にかけるという伝統的スタイルも、今回は遠慮させ
てもらった。

 車座集会を重視したのも、今回の特色である。リクエストに応じ、出前講
座を候補者が行なう。「口は一つ、耳は二つ」と言いながら、話すよりも聞
くほうを重視した。1回20分ぐらいの超特急の集会なのだが、なんとこの
車座集会が140回を越えた。情報のシャワーを浴びたようなもので、知事
になってから、このシャワーが血となり肉となって生きてくる。そう信じて
一生懸命こなしたのだが、きっとそうなるはずである。「選挙を通じて知事
になる」ということの実践版である。

 今回の選挙では、全行程を妻光子が同行した。「夫婦二人三脚、男女共同
参画型選挙の実践です」と言いながら、街頭演説でも、時々は光子にも話す
機会を持ってもらった。私が話している間の妻による握手作戦も、効果があっ
たように思う。

 妻も交えたちっぽけな選挙スタッフは、県内の過疎地、離島を好んで回っ
た。白石市のかなり奥にある集落では、全く予告なしに行ったのにもかかわ
らず、ほぼ全員が外に出てきた。一人の高齢女性は、光子の手を取って、
「光栄です、光栄です」と涙を流していた。知事選挙の候補者が、ここまで
来ることはとても稀なことだったことを思わせるエピソード。

 離島も、塩竃市の桂島、野々島、寒風沢島、朴島に上陸し、それぞれの島
で住民の声を聞かせてもらった。特に印象に残ったのは、朴島。人口18人。
3年前から、投票は隣の島まで行かないとできないことになった。そんな厳
しい条件の島でも、元気に暮らしている人達がいる。こういった人達に県政
として、何が必要なのだろうか。何ができるのだろうか。候補者として来た
からこそ、そんなことを考える契機を得ることができた。

 牡鹿町の網地島、石巻市の田代島、気仙沼市の大島にも渡った。選挙で渡
るのは初めてである。大島は、毎年4月のつばきマラソンを走りに来るのだ
が、選挙で来るのは全然感じが違う。夜すっかり遅くなった大島を選挙カー
で走り回り、ご支援をお願いした。例年つばきマラソンで走るコースをたど
りながら、来年もまた走りたいという思いを新たにした。

 こうやって県内各地を回った選挙が終わった。朝から晩まで、食事は全て
走っている選挙カーの助手席で超特急で済ますという、非健康的な生活。そ
れでも、とても気持ちよく楽しく17日間を戦うことができたのは、選挙ス
タッフのメンバーの獅子奮迅の働きと、選挙事務所のスタッフの心遣いがあっ
たからである。

 「当選」で終わった選挙だからこそ味わえる醍醐味の中で、3期目、精一
杯がんばろうの決意も同じに湧きあがってくる。

 次回のこのコラムでは、もう少し、中身にまで入ったことを書きたい。

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> [寄稿] <

 ○「夫婦二人三脚の選挙に参加して」(浅野光子)

 当選一夜が明けた今日、用事で街にでた。昨日まで選車で走り抜けた街で
ある。欅並木の黄葉が晩秋の陽射しに照らされ、静かに舞い落ちていく時間
を感じることのできる幸せをしみじみとかみしめた。夫と共に選車に乗って
選挙最前線を駆け抜けた18日間。途中でリタイアしてしまうのではという周
りの心配を裏切って最後までできた自分自身をうれしく思う。

 夫は常々「選挙が大事である」が持論であるが、実際に共に行動してみて
なぜそれほどまでにこだわるのか、そのわけを実感できた。冷たい風の吹く
中、沿道で私たちの来るのを待っていてくださるお年より、すっかり暗くなっ
た頃でも家から飛び出して駆け寄ってきてくださる割烹着姿の主婦、農作業
の手を休めて遠い畑から手をふってくれる農夫・・・そんな方々との出会い
が浅野にとって政治を進めていくうえでの出発点であるように思える。大事
な決断をしなくてはならないとき思い浮かべる顔はきっと彼らのはずである。

 今回はさらに推し進めて、生活者の生の声を聞く車座集会が企画された。
私もかたわらでメモをとる役割をした。
 各地でよく出た意見は道路についてであった。仙台で感じる以上に地方に
いけば道路問題は生活の基盤として切実なのだと気付かされ、道路特定財源
の問題に浅野が一番に異議を申し立てたのもうなずけた。東京や都会の視点
のみで論じられない問題である。
 また、宮城の農業をどうするのか、という質問もよく聞かれた。話を伺う
度に、農業に素人の私にも日本の農業のおかれている状況は深刻で、大事な
転換期であることが伝わってきた。
 要望にまじり、今を淡々と語って下さったお話に人生の重さを感じさせら
れるものがいくつかあった。そのひとつ、昭和30年代宮城県が財政再建団体
に転落したときに30歳そこそこの県庁職員であった人の話は心に残った。当
時一日二時間しか仕事がなく、仕事をしたいので、鉱山に転職をしたが、落
盤事故にあい身体障害者となってしまう。それでも何とかがんばって、仕事
も成功し、今は幸せではあるが、県庁職員で定年を迎える人生を歩みたかっ
た、財政再建をなんとしても頑張ってという言葉にはズシンとくるものがあっ
た。

 100ページほどのメモ帳がほぼいっぱいになって、今かたわらにある。こ
のメモ帳には今回の選挙で浅野が聞いた県民の声がつまっている。これを
生かした県政を進めていって欲しいと、戦友の妻は願っている。

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> [編集後記] <

 三週間ぶりの発行です。浅野知事には選挙後の特に忙しい中、原稿を書い
ていただきました。

 今回は光子夫人にも書いていただきました。夫婦二人三脚で選挙を走り抜
けた姿には、とても感動しました。

 これからも、メルマガやホームページを通じて、皆さんとコミュニケーショ
ンをとっていきたいと思っています。

 それでは、次号の「浅野史郎メールマガジン」をお楽しみに。 (一馬)

                        皆さんのご意見、ご感想をお待ちしております。
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発行:浅野史郎・夢ネットワーク メールマガジン編集局 渡辺一馬


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