浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 12月第3&5&6週分          
2012.12.31(月)

大晦日 

 次女が、年末ギリギリまで弁護士事務所での仕事にかかりきりで、今日になってやっと「実家」に帰ってきた。正月も早々に仕事に戻るので、束の間ののんびり期間である。夕食は、久しぶりに家族5人が勢ぞろい。やはり、楽しいな。

 大晦日につき、ここまで。みんなでいい年を迎えましょう。  


2012.12.30(日)

今年の読書歴  

 2012年も残すところあと1日。この一年を振り返りたいことは多々あるが、今年読んだ本で印象に残ったものを挙げてみたい。

 単行本で何冊か読んだが、そのほとんどは「当たり」だった。  「光圀伝」(冲方丁)は重厚な筆致の歴史小説。水戸光圀の素晴らしい人間像に圧倒される。この作者の「天地明察」は単行本で昨年読んだが、それも良かった。「光圀伝」は、私にとっては、それ以上の感動を与える佳作である。いい本を読んだ余韻が残る。

 「64ロクヨン」(横山秀夫)は、今月の入院中に読んだ。さすがの出来栄えで、ぐいぐい引き込まれる。単行本の帯に「究極の警察小説。長編最高傑作」とある。私にとっては、この作者の最高傑作は「クライマーズハイ」であるので、今回の「64」は最高傑作とまではいかない。警察の情報隠しの場面などは、知事時代の宮城県警との「対峙」を思い出しつつ、興味深く読ませてもらった。

 山崎努の読書日記「柔らかな犀の角」は、「いい本探し」の参考になった。この人の読書の仕方は独特のもので、そのことも面白かった。

 「舟を編む」(三浦しをん)は、さすがの出来。この作者の文章が好きな私としては、この作品も心地よく読むことができた。読後感はまことに爽やか。ついでに、文庫本で「きみはポラリス」まで読んだのだが、どんな内容だったか、思い出せない。

 綿矢りさの作品を読んだのは、どんなきっかけだったか、忘れた。芥川賞を取った頃から作者には興味を持っていたが、作品を読むには至らなかった。今回読んで、上質の青春小説の味わいを楽しんだ。作者の才能のきらめきは感じるが、これからどう化けるか、楽しみである。読んだのは「かわいそうだね」、「ひらいて」を単行本で、文庫でも何冊か読んだが、手元にみつからず、作品名すら思い出せない。

 硬い本では、「キッシンジャー回顧録 中国(上下)」が実に面白かった。中国という国家の性格、指導者の思いなどが、キッシンジャーの語りからよく理解できたが、「ためになった」というよりも、むしろ血湧き肉踊るに近い知的興奮を覚えた。キッシンジャーは稀代の優秀な外交官であるだけでなく、卓越した歴史学者でもある。これだけの知識、見識、経験のある人物はそうそういない。

 その他、文庫本で読んだ吉村昭の作品はすべて良かった。なくなったばかりの丸谷才一の旧作「たった一人の反乱」、「女ざかり」は小説の楽しさ、面白さを教えてくれた。中馬利一の「岸和田少年愚連隊」シリーズ4冊は、「柔らかな犀の角」での紹介がきっかけで、なにげなく手に取ったのだが、電車の中で読んでいても、声を出して笑ってしまうほどの面白さだった。岸和田弁の小気味よさが耳に残る。

 宮本輝の「流転の海」第1部から第6部までは、今年見つけた最高の作品である。第5部までは文庫本で、第6部は単行本で読んだ。作者がモデルの伸仁の誕生から始まり、第6部の終わりでまだ10歳である。とんでもない大河小説で、現在も執筆中である。主人公松坂熊吾の破天荒な生き方に引き込まれる。伊予弁が耳から離れない。  


2012.12.29(土)

定年教授が見る松井選手の引退  

 寒さ故もあり、我が家から一歩も外に出ないで一日が終わる。家にいて何をしていたかといえば、SFCでの「地方自治論」の授業のレジュメ2回分の作成である。

 レジュメというよりは、授業の記録。第12回(12月18日)は欠席、第13回(12月25日)は、入院先から外出許可をもらっての講義。その2回の授業で提出された「出席カード」、「宿題」をじっくり読んで、いつものように「前回の誤字」、「出席カードの記述が秀逸なもの」、「宿題の出来が秀逸なもの」を書き出す。この作業は結構な時間がかかる。それに追加して、「今学期の履修者実績」がある。「皆出席、宿題毎回提出(パーフェクト)」の履修者21名を列挙。さらに、「『秀逸』の多いもの」として、5点以上獲得の履修者14名を紹介。最高は14点である。こういった作業も、これで最後だなという感慨は特にない。いつもながら、楽しみながらの作業である。

 松井秀喜選手が、現役引退を表明。NHKを含むテレビ各局は、トップニュース扱いであり、記者会見の様子が何度も流されていた。2009年のワールドシリーズでは、松井選手の大活躍でヤンキースが優勝し、松井選手はMVPを獲得した。その試合は、がんセンターの病床でテレビにかじりついて見ていた。松井選手がホームランを打った場面では、涙が止まらなかった。そんな超一流の選手も、いつかは引退する。私も、来年3月で、慶応大学を定年退職する。(全然関係ないな) 日本球界では、松井選手はまだまだやれるだろうが、4番バッターというわけにはいかない。下位打線や、代打要員では、本人のプライドが許さないだろうし、観客も望まない。一流選手ゆえのむずかしさである。松井選手、長いあいだお疲れ様。そして、多くの感動をありがとう。


2012.12.28金)

「造血幹細胞移植委員会」  

 昔でいえば「御用納め」、今でいう「仕事納め」の年末。14時から厚生労働省で「厚生科学審議会 疾病対策部会 造血幹細胞移植委員会」に出席。昨日付で、「厚生科学審議会専門委員」に任命された。任命権者には「厚生労働大臣 田村憲久」とある。

 今年の9月に「移植に用いる造血幹細胞の適切な提供の推進に関する法律」(略称「造血幹細胞移植法」)が全会一致で可決成立した。それを受けて、造血幹細胞の提供の促進、造血幹細胞の品質確保、あっせん機関の安全基準、安定的な事業運営の確保、治療提供体制の整備、ドナーの保護といったことについての「基本方針」を策定することになる。その策定にあたって、いろいろ意見を聞かせて欲しいというのが、委員会に託された事項と理解している。15人の委員のうち、患者の立場での参加は私と鎌田麗子さんの二人。骨髄移植のおかげで命を救ってもらった身としては、ぜひとも施策の充実を図ってもらいたい。委員に選んでいただいたことは、責任も感じつつも、とても嬉しいことである。

 私は、2006年ごろから、東北大学医学部附属病院の血液内科で定期的に検査を受けていたが、2009年5月25日に、「急性型のATLが発症しました。治すためには、骨髄移植しかありません」という「告知」をされた。その告知をした張替秀郎先生が、委員として出席していた。告知後すぐに、セカンドオピニオン(実態はサードオピニオン)をいただいた岡本真一郎慶応大学教授もご出席。お世話になった先生お二人にここで再会できた。闘病中に、実質的に私の「第二主治医」として、励ましてくれた加藤俊一先生(仙台二高の同級生だから加藤君と呼びたいところだが)は、傍聴席に座っている。23年7ヶ月勤めた厚生(労働)省の会議室で、お世話になった医師が3人も同じ会議室にいる。そこに患者として座っている私。なんだか、不思議な気分であり、心の高ぶりも感じる。

 そういった高揚感もあって、10回ほど挙手をして、意見やら質問やらを「乱発」してしまった。そのせいもあり、会議の時間が予定より15分も延びてしまったのは、申し訳ないことである。患者としての責任を全うしたいという思いあまってということなので、宥恕願いたい。


2012.12.27木)

退院しました 

 10日間の国立がん研究センター中央病院での入院生活を終え、晴れて退院。退院にあたって、田野崎隆二先生から、今回のエピソードについて、詳しい説明があった。入院時の検査で、低酸素血症の症状が見られたが、これは単純な風邪では生じない症状である。考えられるのは、ウイルスにより肺か心嚢に炎症が起こった。重症ではないので、安静と抗生剤の点滴だけですぐに回復した。私の場合、ATLの予後とステロイド薬の服用で、免疫が下がった状態であり、風邪引きが、今回のような合併症を引き起こす可能性がある。その状態は、急には改善されないのだから、今後とも、風邪引きでの入院というのはあると考えたほうがいい。ここまで詳しく説明されると、今回のエピソードが何だったのか、今後、どうすればいいのかがよく理解できる。田野崎先生に定期的にかかっているからこそ、今回のような対応をしていただけたのだから、改めて田野崎先生に感謝しなければならない。

 ともあれ、年内に無事退院できたのは、うれしいこと。入院中は、主治医の田野崎隆二先生だけでなく、病棟担当の林良樹先生、堀内俊克先生には、とてもお世話になった。以前の入院の際にお世話になった顔なじみの看護師さんをはじめ、プロ意識が徹底している看護師さんのおかげで、ゆったりとした気持ちで入院生活を送ることができた。ありがとうございました。

 自宅に戻って、やはりほっとした。溜まっているメール返信、授業の整理で時間が過ぎる。早くも、通常ペースに戻ったようである。まだまだやるべきことが残っている。すべて年内に片付けるつもりだが、無理せず、マイペースでいこう。


2012.12.26水)

安倍新政権がスタート  

 入院中の築地がんセンターの病室。そこで見るテレビのニュースでは、安倍晋三内閣発足関連のものが繰り返し流されている。私から見て、「なんでこの人が?」という大臣もいるが、実力は未知数。これからの活躍に期待しよう。

 「危機突破内閣」ということだから、まずは目の前の危機を乗り越えてもらう。それからの4年間は、じっくりと政権運営に取り組んで欲しい。今回大臣になれなかった人は、4年間は与党議員として政権を支えることに専心してもらいたい。大臣願望は封印しておく。野党も、揚げ足を取るような形での大臣問責などは控えて欲しい。新内閣は、4年間じっくり腰を据えて国政に取り組む覚悟でなければ、危機突破など期待できない。安倍総理にも、途中で大臣の首の据え替えなどやって欲しくない。「適材適所」で選んだ大臣なのだから、これ以上適任の人材はいないはず。この内閣に望むことは、4年間、腰を落ち着けて仕事をすること。「官僚制の打破」などと力まなくても、おのずと官僚を使いこなす政権になるはずである。

 新しい衆議院議員の国会初登庁の様子も、テレビ各局のニュースで何度も流された。初当選の議員、前議員、元議員が、インタビューに答えている。「ちょっとどうかな」という変な発言もあったが、それについては、今はとやかく言わない。「まっとうに職責を果たしてください」と願うのみである。


2012.12.25(火)

最後の授業  

 SFCで「地方自治論」の授業。キャンパスからは寒空に立つ富士山の美しい姿が見える。先週の授業で「地方分権とは何か」という大事なテーマを徹底的に講義するつもりだったのだが、風邪のため授業に出られなかった。学生が苦手の分野であり、このままでは、地方分権についても、道州制についても、学生は「いいことらしい」という程度の知識で終わってしまう。私の「地方自治論」を履修した学生を、そんな程度で送り出すわけにはいかない。学生にとっても、不本意だろう。

 「入院中のところ、是非ともこの授業だけはやりたくて、主治医の許可をもらってやってきた」と学生に語りかけるところから始めた。次回、1月8日の授業は期末試験なので、今日が実質的には今学期の最終授業。来年3月で慶応大学を定年退職する私にとっては、慶応大学での最終授業でもある。その授業終了時に提出された「出席カード」の記述が、何よりの「送る言葉」となって胸に残る。「学期を通じて、ほれぼれする講義でした」、「"熱い"お話は毎回、刺激的でした」、「学ぶことが多く楽しかった」、「今学期履修した授業の中で、一番面白かった」など。熱心な学生の真剣な履修態度に手応えを感じつつ、毎回、楽しく授業をすることができたこと、私のほうこそ学生諸君に感謝したい。

 予定では、2時限を終えたところで、病院に戻ることになっていた。4時限、5時限の「障害福祉研究会」には、玄秀盛さんをゲストとしてお招きしている。「この日だけ、日程がすっぽり空いている」ということでおいでいただいた。そのゲストを私がお迎えせずに、病院に戻るわけにはいかない。研究会の冒頭で、わが友玄さんを学生に紹介し、後ろ髪を引かれる思いで病院に舞い戻った。玄さんの迫力満点の講義ぶり、学生の反応はどうだったのだろう。

 自民党の役員が決まる。総務会長に野田聖子氏、政調会長に高市早苗氏と女性二人を三役にした。参議院議員選挙をにらんでの人気取りといってはいけないのだろう。「女性だから」というのとは別なところで、お二人の手腕に期待しよう。

 民主党は、海江田万里氏を新代表に選んだ。細野豪志氏が幹事長。ジリ貧になるか、党勢巻き返しになるか、新体制発足直後の動きが大変重要である。その重要性を「少数精鋭」になった議員の皆様が、どれだけ深く認識しているか、それが成否をわける。


2012.12.24(月)

風邪で念のため入院  

 18日(火)に国立がん研究センター中央病院に入院したので、日記が書けないでいた。今日は、外出許可をもらって、久しぶりの帰宅。この前の日記は13日(木)である。「久しぶりの風邪引きで鼻声になっている。しばらくおとなしくしていれば治るはず。ということで、日記はここまで」で終わっている。

 おとなしくしていても、なかなか風邪は治らない。気管支炎の様相も呈したところで、18日に臨時に田野崎隆二先生の診察を受けて、そのまま入院。酸素濃度もちょっと低くなっているし、1昨年のGVHD肺炎のことがあるので、田野崎先生の判断で、「念のため入院」ということになった。適切な治療をゆったり環境のもとで受け続けたおかげで、ほぼ回復という状態である。「ほぼ」というのは、鼻声が治らず、ゼロゼロ感も残っているから。活動に支障はない。本日の外出も許されたし、明日は、慶応大学の授業にも行く。授業を終えたら、そのまま病院に戻る。

 長いこと、日記を休載していたために、日記愛読者の皆様には、ご心配をおかけしてけしてしまいました。上記の次第ですので、どうか、ご安心ください。しばらく、日記は休むことになると思います。年内には、再開いたします。


2012.12.13(木)

久しぶりの風邪  

 国立がん研究センター中央病院で定期受診の日。築地に向かうタクシーが多摩川を渡るところで、小さな富士山が見えた。雲ひとつない冬の晴れ間。遠くからでも富士山ははっきり見える。

 検査結果も、診察も異常なし。異常といえば、久しぶりの風邪引きで、鼻声になっていること。念のための検査で、インフルエンザは陰性。抗生物質(風邪を治すのではなく、二次感染予防のため)と総合感冒薬を処方してもらった。しばらくおとなしくしていれば、治るはず。  ということで、日記もここまで。おとなしくしています。


2012.12.12(水)

北朝鮮がミサイル発射だって?!  

 湘南台駅でタクシーに乗って、SFCキャンパスの入口に近づくと、富士山の雄姿が突然現れる。その姿を確認してからSFCのキャンパスに入る。このところの「政策法務論」では、学生のグループワークとして、法律の制定過程を調査・分析した結果を発表してもらっている。今日の発表は「がん対策基本法」チームと、「テロ特措法」チーム。このテーマでは難儀するだろうなと心配していたが、なんのなんの、難しいテーマを、どちらのチームも見事にこなして、立派な発表ぶりである。私も学生と一緒に聴き入るばかり。特に、「テロ特措法」チームは、法案作成に関わった古川貞二郎元官房副長官、谷内正太郎元外務事務次官という超大物のロング・インタビューをものにした。その結果として、法案成立までの内幕情報までつかんでいる。発表では、まるでテレビの迫真ドキュメンタリーのような場面もあった。「がん対策基本法」チームは、せっかくアポイントメントを取った国会議員に、衆議院解散のおかげでドタキャンされるという不運に見舞われた。その不運を乗り越えての立派な発表に、拍手拍手。これまでの3チームの発表、正直言って、私の期待以上の出来である。実にうれしい。よくぞ、ここまでがんばってくれた。

 午後から、研究室に「湘南おやじの会」の高田浩暢さん、行成文男さんが、茅ヶ崎から来訪。「ぷれジョブ」に興味があるので、話を聞かせて欲しいという。「湘南おやじの会」は、障害を持つ子どもの父親を中心とした会。何か活動をしたいと思っていたところ、「ぷれジョブ」に思い当たり、今日の訪問になった。私としても、神奈川県内で「ぷれジョブ」を広めたいという立場なので、喜んで説明させていただいた。趣旨は、すぐにご理解いただいたので、「ぷれジョブ」開始に向けて、これから動き出すだろうと期待している。

 SFCからの帰り道、横浜駅近くの鳥居クリニックで受診。2週間前に頻尿のことで受診したが、その時に処方してもらった薬がなくなったので、再度の受診となった。2週間服薬しても、頻尿が完全に回復しないので、前のとは違う薬を1ヶ月分処方してもらった。これで治ることを期待したい。

 帰宅したら、北朝鮮がミサイルを発射したとの仰天ニュースに接した。昨日までは、発射延期ということだったのに、今日になって発射するとは、これいかに。裏にどういう事情があったのか明らかでないが、結果としては、日本がおちょくられたような形になった。北朝鮮も、ずいぶんと手の込んだ「だまし」をやったことよ。各国が反対する中でミサイル発射を実行したことへの怒りに加えて、こういった「だまし」に対して、さらなる怒りがこみ上げてくる。


2012.12.11(火)

授業は楽しい  

 SFCでの授業の日。今朝の晴れ具合を見て、9時20分発にした。先日、藤沢の相愛交通の運転手さんに教わった「富士見坂」(私の勝手な命名)に富士山を見に行こうと思い立った。湘南台駅から乗った相愛交通のタクシーの運転手は、勤めて2週間という角田さん。「『富士見坂』」があるんだよ」と、私のほうから教えて上げた。そこから見る富士山は、裾野まではっきり見えて絶景ではある。通常より9メーター分810円のエクストラ運賃は、富士山の拝観料。SFCの私の研究室がある5階から見える富士山は拝観料無料だが、今日もなかなかの雄姿であった。

 午前中の授業は「地方自治論」。昨年の「地方自治論」の授業でも同じことであるが、学生は「地方分権とは何か」を正しく把握できていない。今日の授業では、十分に説明したつもりだったが、学生の「出席カード」の記述を見たら、やはり理解不十分。大いなる誤解がある。思い込みがある。その記述を見ていて、「来週は、こういう説明をやってみよう。それなら絶対に理解できるはずだ」という「作戦」ができた。こんなことを考えるのも、教えることの楽しみの一つである。

 午後は、2時限連続で、研究発表4チームが登場。それぞれ、努力の跡が見られる発表であった。単なる視察報告になっていたり、「調査研究」の作法をわきまえていない発表だったりで、その点は私から注意しておいた。そんな細かいところはさておき、こうやってがんばっている姿を見るのは、とてもうれしいことである。

 原子力規制委員会の調査団が、昨日、日本原子力発電敦賀原発(福井県敦賀市)にある断層を「活断層の可能性が高い」と判断し、廃炉が避けられない状況になった。当然、再稼働はできない。今止まっている原発の一つ一つについて、再稼働できるかどうかを評価していくことになる。安全委員会が「安全である」と言っただけでは、再稼働ゴーにはならない。立地自治体の知事、市町村長だけでなく、住民が「安心である」と納得しない限りは、電力会社との協定で、自治体の承認が前提になっているのだから、再稼働はできない。「自治体の承認」は、首長の承認だけで事足れりではない。住民は安全の確認だけでなく、安心が得られるかどうかも問題とする。「3.11」の悲惨な状況を見ることで、その点は変わった。

 一年前から私の言っているのは、「原発をどうするか」という議論はナンセンスということ。「どうする」ではなく、「どうなる」ということで決まってくる。今回の敦賀原発の「廃炉しかない」という事例は、そのことを示している。一つ一つの原発の再稼働の可否について「これは○、あれは?」という判断がなされ、○とされた原発だけが生き残る。その発電量の足し算の結果が、「日本のエネルギー源のうち、原発が占める割合が○○%」となる。誰かがあらかじめ「15%でいこう」、「25%でいこう」と決めるのは無意味というのは、このことを指していっている。 。


2012.12.10(月)

北朝鮮のミサイル発射延期情報  

 このところの寒さで、散歩とラジオ体操を自粛している。その代わりというのも変だが、腹筋は一日も休まずに、順調に回数を増やし、今日は70回に到達した。70回は相当にきつい。「もう限界だ」という感じで終える。それだけ負荷がかかる腹筋運動を毎日やっているのに、腹筋がついた形跡がない。ふつうなら、笑うだけでも腹筋が痛くなるということを経験するはずなのに、その兆候もない。それが不思議である。

 北朝鮮がミサイル発射を延期したとの情報がある。森本敏防衛大臣は、自衛隊法に基づく破壊措置命令を発出し、迎撃ミサイル防衛(MD)システムで迎撃する体制をとる。延期したといっても、無期延期ではないのだから、予定の22日までには、ミサイルが発射される可能性がある。その場合は、我が国の危機管理体制が試される。

 ミサイル発射が今月17日以降に行われた場合のことを心配している。16日の衆議院議員選挙では、現職閣僚が相当数落選するとの予想が広がっている。選挙が終わると、月末の特別国会で首班指名が行われ、新しい内閣が発足するが、それまでは、現在の内閣が引き続き職務を行う。その内閣の中で、多数の閣僚が選挙落選で議員でなくなる(森本防衛大臣は、もともと非議員)と、「国務大臣の過半数は国会議員であること」(憲法第68条第1項)とされていることから、現職閣僚が8人以上選挙で落選ということになると、新たに国会議員の中から閣僚を選任しなければならなくなる。危機管理にあたる内閣が改造を余儀なくされる事態は想定したくないが、可能性としては低いが、ゼロではない。「こんな時に、こんなことが・・・」ということにならないといいのだが。


2012.12.9(日)

障害者の日  

 寒い一日。寒い中、沼津市の「市民の集い」に招かれて、記念講演をする。「地域・人権・普通の生活」というテーマで1時間半。12月9日は「障害者の日」、この1週間は障害者週間である。熱心な参加者を前にしての講演は、気持ちだけ先走って、内容としてはまとまりのないものになってしまった気がする。せっかくおいでいただいた皆様には、申し訳ないことである。熱心に聴いていただいた方々には、心から感謝申し上げたい。拙著「運命を生きる−闘病が開けた人生の扉」(岩波ブックレット)50部が完売となったのも、ありがたいことである。お買い上げの方、ほぼ全員に、一言を添えてサインをさせてもらった。

 衆議院議員選挙は、期間中初めての日曜日、そして最後の日曜日である。来週の日曜日は投票日だから、あっという間に選挙戦は終わる。寒風に吹かれながら、党首たちは演説に声を嗄らす。選挙を4度戦った経験者としては、その大変さがよくわかる。光子は、「寒い中での選挙活動は、本当に大変。皆さん、よくやられるわね」と実感のこもったコメントを漏らす。テレビに出演する党首たちは、ほとんどガラガラ声になっている。体力的にも、精神的にも、限界に近いところにある。そういう姿を見ていると、すごいなと思う。選挙後、当選後も、このがんばりようを続けてもらいたいという願いが、同時に、湧いてくる。


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