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ジョギング日記  11月第1&2週分          

2012.11.10(土)

「がん哲学外来」市民公開シンポジウム    

 今日は一日、素晴らしい天気である。その始まりは、朝の散歩、ラジオ体操から。体操を終わっての帰りがけ、岸根公園から新横浜駅近くのプリンスホテルの上半分が、キラキラ輝いているのが見える。散歩の帰途は、正面から太陽に相対することになり、日陰に入らないと、まぶしい。これも素晴らしき秋の朝の特徴の一つである。寒さ到来までの、美しい季節の名残を、精一杯楽しみたい。

 午後からは、第3回横浜「がん哲学外来」市民公開シンポジウムで特別講演を務める。横浜市緑区の中山地区センターでの開催。我が家からはそう遠くないところなのに、横浜ネイティヴの光子でさえ、「中山駅(横浜線)で降りるのは初めて。中山というところも初めて」とのこと。シンポジウムのテーマは「自らの生と向き合う」である。私は、「ATL患者になって」というタイトルで40分の講演を熱演。「熱演」というのは内容ではなくて、40分で何もかも話してしまおうという、時間との格闘の早口のこと。早口で、しかも、無駄は省いたつもりだったのに、「これから」というところで、タイムキーパーから「終了です」の合図があり、言い尽くすのは断念。このテーマでは、いつもそうだ。

 そのあとのパネルディスカッションにも顔を出したが、パネラーの話がとても面白くて、いろいろ教えていただいた。パネラーの役目は放棄して、他のパネラーの方々に質問をする役回りを果たしてしまった。

 このシンポジウムに参加することになったのは、NPO法人「がん哲学外来」理事長の樋野興夫順天堂大学医学部教授からのお誘いによる。樋野さんが、何かの会合での私の講演を聴いて面白かったということで、お声がけがあった。今日は、私の講演の次に樋野さんの15分の短い講演があったが、「偉大なるお節介症候群」、「sense of humorの勧め」、「われ21世紀の新渡戸稲造とならん」など、印象に残る言葉の数々が飛び出す。シンポジウム後の短いお茶の時間で、初めてお話をすることができた。肩に力が入っていないようで、すごいことを話し、すごいことを実行してしまう、面白い医師である。樋野先生とお近づきになれたことも、今回のシンポジウム参加の収穫であった。


2012.11.9(金)

都知事選挙の取材    

 散歩、ラジオ体操はいつもどおり。最近は、冬用のウインドブレーカー上下を着用している。これだと、暖かいうえに、動きが円滑なので、まことに好都合。運動することが、ますます楽しくなる。

 午後から、東京新聞の取材。東京都知事選挙に関連して、私自身が候補者となった選挙のこと、望ましい都知事像について、聴き手の熱心さに乗せられて、取材は2時間に及んでしまった。


2012.11.8(木)

富士山と再会、ばんばさんと再会   

 読売テレビで「ミヤネ屋」に出演。大阪に向かう新幹線から、富士山がはっきり見える。裾野から雪を頂いた山頂まで、息を飲むほどの美しさ、神々しさである。光子は、「雪をかぶったところと、山肌との割合の比率がよくない」というようなことを言っている。久しぶりに見た富士山だもの、そんなの気にならない。何かいいことがありそうな予感がするほどの富士山の素晴らしさである。

 その新幹線の中で、ばんばひろふみさんご夫妻とばったりお会いした。トイレから席に戻る時に、反対側から乗り込んできた人に見覚えがある。「ばんばさんだ!」と声をかけると、向こうも「浅野さん!」と抱きつかんばかり。光子も呼んで、感激の再会。入院中には、わざわざ京都からお見舞いにおいでいただいた。病気前の元気な頃には、「ディープな京都」をご案内いただいた。素敵なお蕎麦屋さんで、ごちそうになったこともある。「あのお蕎麦屋さんたちも、みんな浅野さんの病気のこと心配してたんだよ」。4、5日前の「ラジオ深夜便」でばんばさんの「SACHIKO」を聴いて、「会いたいな、手紙を書こう」と思っていたところで、こんな形で再会した。うれしい、とてもうれしい。富士山を見て「いいこと」を予感したのは、これだったんだ。今度は、横浜ででも、ゆっくりと食事をご一緒したい。

 「ミヤネ屋」は、田中真紀子文部科学大臣の「暴走」事件(3大学の新設不認可→認可)のあと、高嶋政伸vs美元の離婚訴訟について。これが結構長い時間取った。2009年のニュージーランドの大地震に日本から救助隊が派遣され、その17日後に東日本大震災が発生した。それから2日後、ニュージーランドから救助隊が派遣された。そのことについて、クライストチャーチでの取材も含めての話題に移る。ここでも、少しコメントをさせてもらった。

 ここで、この日記の裏話をさせてもらいます。私が書いたものを妻光子にメールで送ります。それを光子がホームページ上に掲載します。いわゆる「ブログ」の形でありませんので、掲載には手間暇、時間がかかります。昨日、私のメールから送信ができなくなり、結局、7日の日記の掲載が遅れてしまいました。定期的にアクセスしている方々には、「どうしたんだろう」と思われたかもしれません。

 SFCでの「教え子」の峯岸宗弘君は、こういう方面のエキスパート。「困った時の峯岸君」と重宝していたのですが、今回も、電話での指導を受けて、メール送信機能が回復できました。これで、一日遅れになりましたが、日記掲載ができました。


2012.11.7(水)

一日違いの好天    

 昨日とはうって変わって、素晴らしい好天。散歩もラジオ体操も、たいそう気持ちよく楽しむ。真っ青な空でなく、いろいろな形の雲が浮かぶ空も素敵である。

 SFCのキャンパスも輝いている。昨日は、合計6人のゲストにおいでいただいたのに、この美しいキャンパスの最高の状態をお見せできなくて、とても残念である。一日違っていればよかった。

 「政策法務論」の授業では、グループワークの発表の順番決めをする。5チームの発表を1ないし2チームずつ、3日間でやる。トップバッターはやりにくい。発表までの準備期間が一番短い。トランプの1から5までのカードを用意して、それをチーム代表に引いてもらって決める予定だったのに、トランプを持ってくるのを忘れた。代替手段として、湘南台駅の宝くじ売り場で末尾1から5までの連番で購入した100円の宝くじを使った。「当たったら、賞金は引いた人のもの」と言いながら、順番決めは無事終了した。

 今日の授業では、その順番にしたがって、各チームの調査・研究の進捗状況を報告してもらった。各チームとも、取材先のアポイントメントを取り付け始めたところ。文献で課題(個別の法律の成立過程)の予習、チーム内でのディスカッションなどは、かなり進んでいる。「どうだ、うまく最終発表までたどり着けそうか」と訊くと、「大丈夫です」と返ってくるのが頼もしい。各チームの一所懸命さが伝わってくる。


2012.11.6(火)

授業に多彩なゲスト    

 朝から強い雨。白楽駅で電車を待っていたら、突然、大音響の雷にたまげた。SFCのキャンパスにも強い雨が降り注いでいる。「地方自治論」には、地方議会の議員の方においでいただいているのに、秋空の下の美しいキャンパスを見てもらえないのが残念である。

 その授業であるが、おいでいただいたのは、伊藤友則(千葉県香取市)、小川顕正(神奈川県川崎市)、松浦芳子(東京都杉並区)、山崎裕子(茨城県守谷市)の各議会議員の皆様。全員慶応大学卒である。同じ議員でも、活動内容、給与、考え方などがかなり違う。「議会なんて、なんにもやっていないのではないか」と思っていた学生が、「結構、いろいろやっているんだな」と思い直した様子が、出席カードの記述に表れていた。ほぼ全員が「面白かった」と記述しているのは、毎年のこと。そうです。去年の授業にも、議員さん方においでいただいた。連続出場は、伊藤友則さん。去年、一番人気があったので、今年も「来てください」と頼んだ。今年も、人気ナンバーワンは、伊藤さん。裏も表も隠すことなくさらす率直な言説が、学生に好感を持たれている。

 午後からの「障害福祉研究会」のゲストは、昨夜、食事会をしたばかりの中澤健・和代夫妻。4時限は、それぞれ、厚生省障害福祉専門官の話、徳島県での知的障害者の地域支援の話をいただいた。当時から、私の仲間であったお二人の話を聴いているうちに、「青春の若き血に燃ゆる思い」を想起してしまった。5時限は、マレーシアでの障害児支援活動について、お二人から紹介された。学生にとっては、自然と一体となり、人と人とが濃密な関係を持つ生活ぶりが深い印象を残したようだ。2月には、現地で、日本からの学生参加のワークキャンプがある。「どなたか参加しませんか」という中澤さんからのお誘いに、4、5名の学生が興味を示した。定員は8名らしいが、わが研究会からも、何人か応募するのではないだろうか。私にとっても、興味ある発表であった。中澤さんご夫妻、ありがとうございました。


2012.11.5(月)

中澤さん、田島さん夫妻との会食    

 夜に、中澤健・和代夫妻、田島良昭・ツヤ子夫妻との食事会。光子は、よんどころない用事のため欠席。中澤健さんは、私が厚生省障害福祉課長の時に障害福祉専門官を務めていた。一緒に、グループホームの制度の創設など、いろいろ仕事をしたものである。楽しかったなああの頃は。田島良昭さんも、一緒にやった仲間である。その中澤さんが、役所を辞めて、マーレーシアに行って20年になる。自家発電での電気が通じるのは、夜6時から9時までの3時間だけ。病院のある町まで1時間かかる。こういった大変な環境の地域で、障害児療育の仕事を続けている。マレーシアは、先の戦争で父親が戦死したところ。71歳になった中澤さんの情熱に頭が下がる。

 マレーシアでの話から、昭和62年9月末、三人が厚生省障害福祉課の部屋で一緒になった「運命の出会い」から25年。そして、最近の発達障害者の司法での扱いについて、検察、裁判のあり方など、話は尽きない。6時半から10時近くまで、4時間も話していたことになる。それにしても、楽しい食事会だった。


2012.11.4(日)

散歩、駅伝、読書の日曜日    

 空気は冷たいが、風もなく、寒くない朝。明け始めたばかりの空には雲もなく、時間とともにだんだん青さが増してくる。今日も、先週に続いて、Beautiful Sundayである。こういった日を、散歩とラジオ体操で始めると、一日中、楽しさがついてまわる。我ながら、変な表現だが、わかって欲しい。

 楽しさの元は、朝8時15分発の全日本学生駅伝である。愛知県の熱田神宮から三重県の伊勢神宮までの106.8キロ8区間。神様から神様のコースである。箱根駅伝ほどではないが、1区間の距離が長いので、いろいろなドラマが生まれる。東洋大学が、最終区まで首位だったが、予想どおり、絶対のエース窪田忍を擁する駒澤大学が、1分07秒差を簡単にひっくり返して、大会新記録で二連覇。昨年は、逃げる窪田を東洋大学の「山の神」柏原竜二が、1分40秒差を30秒差まで縮めながら、追いつかなかった。最終区11位でたすきを受けた日大ベンジャミンが、5人抜きでシード権獲得の6位でゴールするなど、今年も、駅伝の魅力満載のレースだった。

 駅伝を見終えて、しばし昼寝ののち、「岸和田少年愚連隊」中場利一(集英社文庫)の読み残し数ページを読む。2週間前に、「その後の岸和田少年愚連隊・純情ピカレスク」を読了したが、デビュー作に遡って読んだ。このあとは、「望郷編」が本棚で読まれるのを待っている。この本は、「読書の達人」(私の命名)山崎努の「柔らかな犀の角」で激賞に近いほめ方がされているのを読んで、アマゾン経由で購入した。文学的にどうのこうのではなく、とにかく面白い。電車の中で読んでいて、声を出して笑ってしまうこと何度か。山崎氏も「大阪人はどうしてあんなに他人を笑わせるのがうまいのか」と書いている。

 文学的に素敵だったのは、「袋小路の男」絲山秋子(講談社文庫)。これも、読み残した数ページと解説を、今日になって読んだ。短編3作だが、松浦寿輝氏の解説では「素敵な宝石のような物語」と表現されている。「人生とは、取るに足りない無数の細部の集積で、そういう小さな愛おしいものに言葉を与えるのが絲山の小説」ともいう。そういった解説にあるようなことまでは感じずに、読んでしまった。3週間前に読んだ「イッツ・オンリー・トーク」(文春文庫)の短編2作も面白かったし、1年以上前の「逃亡うそたわけ」はもっと面白かった。読んだあとに、感想を書いておかないと、すぐに忘れてしまう。

 秋の夜長、「岸和田少年愚連隊・血煙り純情篇」を読み始めた。ちゅんば(中場の渾名)の大阪ユーモアが癖になりそう。


2012.11.3(土)

新橋「2BEAT」45周年    

 天気予報では、早朝の気温がだいぶ低いといっていた。寒い中を外に出るのはいやだなと思いつつ、散歩にでかけると、寒さなど感じない。天気予報がまちがったのではなく、最低気温11℃なんて、ちっとも寒くないということである。これから、ますます気温は下がる。この程度の「寒さ」におびえてはいられない。そういう老人たち(私を含む)が、今朝も岸根公園で嬉々としてラジオ体操をしている。私も身体中に力がみなぎるのを感じつつ、身体を動かす。心身ともに充実している。すこぶる快調である。

 昼は、「2BEAT45周年記念パーティー」に出かける。会場は、銀座TACT。そういえば、5年前の40周年にも出かけたのを思い出した。初めて新橋烏森の「2BEAT」に行ったのが、昭和49年(1974年)である。まだ独身で、環境庁自然保護局で係長をやっていた。あれから38年。マスターの住吉昌宏さん、ママの夏枝さん(なっちゃん)のコンビも変わらず、店のたたずまいも変わらず。こういう店は、私にとっては、2BEATだけ。

 TACTの入口で、菅原敏・知代子夫妻にお会いした。敏さんとは病友、知代子さんとはエルヴィス仲間。知り合ってすぐの1年ほど前、彼らに2BEATを紹介したら、すっかり気に入って、夫妻で何度も来店している。今日のパーティーでもテーブルをご一緒して、常連客の生演奏を「かぶりつき」で聴かせてもらった。2BEATに来る客は、みんな(私を除く)驚くほど歌が上手い。その中の選りすぐりの歌い手たちが、ド迫力の生伴奏をバックに歌いまくるジャズ、ボサノヴァ、カントリー、ロックは圧巻である。「プロ並み」というのも誇張ではない。1時間で失礼するつもりが、迫力に圧倒されて、最後まで残ってしまった。楽しい時間であった。「50周年は無理」とマスターの住吉さんが、今日のご挨拶で言っていたが、それはホントかもしれない。だからこそ、今日のパーティーに出られたのは、うれしいことである。

 田中真紀子文部科学大臣が審議会の認可答申を覆して、3大学の新設を不認可とした。朝日新聞の記事見出しには、「田中大臣、唐突な不認可」、「学生ら困惑」、「文科省『説明つかない』」という言葉が並ぶ。社説のタイトルは「田中さん、乱暴すぎる」。田中大臣にも言い分はあるだろうが、「乱暴すぎる」という感じは否めない。判断は是としても、手続き、タイミングが悪すぎる。「政治主導」とはこういうことではないはず。周到な準備をしたうえでの判断でなければ、だれもついてこない。事務当局との溝が深まるだけだろう。「早くもやってくれた」という出来事。  


2012.11.2(金)

「ぷれジョブ藤沢」定例会    

 昨夜の血圧測定で、最近にない高値を記録した。原因不明。入浴は自粛した。今朝の測定では通常の値に戻ったが、念のため、散歩は休み。入浴も自粛。自覚症状は全くないが、血圧計のせいにするわけにはいかない。数値が高いことは、そのまま受け止めなければならない。今晩の測定では、血圧は安定しているので、一安心。前回の受診で、このところ高値安定している血圧のことを田野崎先生に報告したので、降圧剤のプロブレスの服用を始めたところであった。

 それとは別に、4、5日前から、鼻うがいを始めた。生島ヒロシさんから強く勧められ、うがい薬のサンプルも送ってもらった。鼻から吸ったうがい液は、口から出すことになっているのだが、それがむずかしい。大半は飲み込んでしまっている。鼻うがいを始めてから、喉の調子はいい。風邪の予防にもなるのだから、続けることにしよう。

 夕方、「ぷれジョブ藤沢」の11月定例会にでかける。隼吾君のワキプリントピア通いも5ヶ月目に入る。仕事にも、社員の人にも、すっかり慣れてきた様子。ジョブサポーターの林圭佑君は実によくやっている。一ヶ月の活動記録のレポートを作成して、今日のメンバーに配布していた。第二号の俊樹君が母親と一緒に初参加。戸塚の飛田さんが見学参加。第二号が始まったばかりだが、第三号を見つけるべく、そろそろ動き出したい。  


2012.11.1(木)

定期受診は、ほぼ順調   

 11月になった。今年もあと2ヶ月。暑い暑いといっていたのが、霜月、晩秋を迎えている。月並みな言い方だが、時の流れの速さに、驚いてしまう。身体的には、このぐらいの気候が過ごしやすい。本格的な寒さがやってくるまでの美しい季節をせいぜい楽しもう。ということで、散歩とラジオ体操を今日も楽しむ私。

 がんセンターでの受診の日。南克己さんと久しぶりに顔を合わせる。念のためのMRI検査を受けるとのこと。元気そうでなにより。私の検査結果は、クレアチニンが高め。CRPの値が、前回までは、0.02−0.04だったのが、急に0.14に上がった。知らないあいだに風邪にでも罹ったのだろうか。特に気にするほどではないにしても、要観察ではある。その他は、異常なし。

 夕方は、読売新聞の取材。またも、病気についてである。「またも」というのは、先週も病気についての取材が2回あったから。ATLという病気についての情報が不足している中で、いろいろな媒体が報道してくれるのはありがたい。今日の取材は2時間半もかかったが、それだけ熱心な記者がいることに感謝する。  


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