浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 10月第3週分          

2011.10.15(土)

CT検査 

 「ラジオ深夜便」、今朝の「にっぽんの歌 こころの歌」は、山本リンダと細川たかしの「競演」。なんという取り合わせだろう。山本リンダが「困っちゃうな」、「どうにも止まらない」、「狙いうち」を歌えば、細川たかしは「心のこり」、「北酒場」、「浪花節だよ人生は」、「矢切の渡し」を歌うが、どうもリンダとは曲調がまるで違う。半分寝惚けて聴いていると、「矢切の渡し」→「輪切りの私」→「CT画像」と連想が進み、一昨日に受けたCT検査を思い出した。原発事故に関して、放射線の被曝量が一体どのぐらいの程度なのかを説明するときに、「一回のCT検査の被爆量と比べてうんぬん」と、CT撮影が引き合いに出されるたびに、「俺なんか、一年に何回もCT検査受けてるわい」と内心で言っていた。ともあれ、CT検査による被爆が身体に与える影響は微々たるものだと信じているので、何も心配していない。心配するのは、CT画像に異常が示されることである。(CT画像は、コンピューター処理で、身体が輪切りにされた形で示される。「輪切りの私」というのは、その画像のことである。筆者注)  

 朝から雨降りである。昨日再開したばかりの散歩ができない。昼過ぎには、雨も上がったので、散歩にでかけた。10分+9分35秒。習慣化するまでは、とぎれることは極力避けたい。なんとか、継続できてよかった。なんだか、がんばり屋の小学生の日記のようだな。


2011.10.14(金)

散歩再開  

 「この2週間は散歩を自粛している」と体育の日の日記に書いたが、9月22日を最後に、「自粛」が3週間以上になっていたとは、自分でも驚いてしまう。昨日の外来受診と検査結果は、いずれも良好、異常なしだったので、それを契機に自粛解除である。再開初日の散歩は、軽く10分+10分であった。

 散歩を休んでいる間に、季節は移った。今朝、6時半過ぎに外に出たら、空気はすっかり涼しいものに変わっていた。ゆっくり歩いたせいもあるが、汗をかかない。まことに気持ちのいい歩きを楽しむことができる。そんな季節に感謝したい。

 今のところは、目標は何もない。体調、日程、天気など、条件が整ったときに、散歩を楽しむ。「楽しむ」というのがキーワードである。いずれジョギングに移行したいとか、体重減らしのためとか、そういった邪念なしに、美しい季節の中の散歩を楽しみたい。


2011.10.13(木)

検診結果異常なし  

 今日の外来受診は、盛りだくさんである。朝食は抜きで、9時前に築地の国立がん研究センター中央病院に到着。いつもより、混雑している。採血・検尿の後、単純胸部CT撮影。「単純」というのは、造影剤なしでの撮影ということ。撮影は3分で終了。それから皮膚科に回って、堤田医師の診察。このところ、発疹は大方姿を消したので、診察も簡単に済む。次の診察は4週間後。そこから内視鏡検査に入る。

 一年前にも、ここで内視鏡検査を受けていた。鎮静剤を使ってくれるので、何もわからないうちに、検査は終わる。検査が終わって、車椅子に乗せられて、回復室のベッドに寝せられ、覚醒を待つ。三十分後(たぶん)に覚醒したが、途中は、何も覚えていない。車椅子での移動も、回復室のベッドもまったく記憶なし。妻によると、ベッドに移ったところで、私は歌(小林旭の「北帰行」)を歌いだしたのだそうだ。看護師さんから、「ほかの患者さんもいらっしゃるから、ここでは歌はなしです」と注意されたらしい。何も覚えていない私。それにしても、回復ベッドで「北帰行」を歌う自分を思い描くと、思わず笑ってしまう。

 最後が、田野崎医師の診察。内視鏡検査、CT撮影結果も含め、検査結果はお手元に来ている。それを見て、今回も異常なしとの診断である。内視鏡検査で、胃、十二指腸、食道の組織を取っている。その結果は、次回にわかるが、画面を見る限りは、特に異常は認められない。検査数値も、安定している。ちょっと心配していたので、ホッとした。体調は、これまでにないぐらい快調であるし、とてもうれしい。


2011.10.12(水)

メランコリー  

 秋らしいいい天気が続いている。ラジオから、梓みちよの歌声が聴こえてきた。「♪秋だというのに 恋もできない メランコリー メランコリー♪」(喜多條忠作詞「メランコリー」)恋どころではない。秋だというのに、外に出て活発に活動できない今年の私。ちょっぴりメランコリーかな。

 こっちから外に出なくとも、来客はある。壷田重夫根室市市議会議員が来宅。壷田さんのほかに2名の慶応大学出身の地方議会議員の方々に、11月の「地方自治論」の授業にゲストスピーカーとして、おいでいただく。それの事前打ち合わせで、おいでいただいた。壷田さんは、幼稚舎から大学までの生粋の慶應ボーイ。東京出身の壷田さんが、どうして根室市議会議員になり、6期も続けているのか。とても興味深い経歴なのだが、ここには書かない。授業の打ち合わせは離れて、地方自治、地方分権、地域起こし、地方議会のあり方、選挙などなど、話題は次々に発展した。楽しい時間である。メランコリーな気分は、雲散した。  


2011.10.11(火)

ニュースの取材   

 秋の到来は、涼しさと爽やかな風だけが告げるのではない。夕方の時間、暮れるのが早いのに驚く。5時前なのに、こんなに暗くなった。暑さが去ったのを喜ぶ反面、夕方の暗さに寂しさを感じる。冬の到来も遠くないだろうな。

 昼の気温はまだ高い。朝日放送のディレクターがカメラとともに来訪し、応接間で取材を受ける。明日の夕方のニュース(関西ローカル)で、「橋下徹大阪府知事が大阪市長選挙に出馬予定」を取り上げる。それについてのコメントである。部屋を閉め切って、ライトを照らしての撮影だったので、聞き役のディレクターは汗びっしょり。ひさしぶりに、冷房を入れた。 「こういう鞍替えはありか」→「アリです」。「浅野さんも、東京都知事への鞍替えを目指しましたが、その理由は」→「東京都は、最大の地方自治体で、地方分権を進めるには、東京都が中核になると思った」、「大阪都構想についてはどうか」→「メリットだけでなく、新たな問題も出てくる。膨大な政治的エネルギーを使ってやる前に、慎重な配慮が必要だろう」といったことを答えた。私の発言は、ほんのちょっとだけつまんで、番組では使われるのだろう。

 番組には、ゲストとして、東国原英夫前宮崎県知事が出演と聞いて、取材終了後に、電話で話した。そういえば、二人は都知事選挙挑戦敗退仲間である。知事を辞めて、自由にやれるのがいいという東国原さんの元気な声を聞きながら、久闊を叙した。


2011.10.10(月)

体育の日   

 47年前の今日が、東京オリンピックの開会式だった。新幹線が開通したのが、この年、昭和39年だった。「47年経っても、まだ『新』幹線というのはすごいな」というのは、何度か書いた。舟木一夫の「高校三年生」の美声が胸を打ち、ビートルズの「抱きしめたい」のサウンドに驚かされ、オリンピックから仙台にやってきたチャフラスカの美貌にボーっとなっていた高校二年生の私がいた。

 47年経った体育の日には、体育活動から離れて久しい63歳の私がいる。身近な体育として、「ランニング・コスト・ゼロ」と言いながら、一日10キロ走っていたジョガーの面影はない。散歩でさえ、この2週間は自粛している。筋肉は弱くなり、心肺機能も衰えがち。東京マラソンの「移植枠」での10キロレースを走るという目標は、おろしていないが、体育老人復活と老齢の衰えと、どっちが先に来るかで、達成できるかが決まってくる。


2011.10.9(日)

昔の知事仲間    

 朝のフジテレビ「新報道2001」に北川正恭さん(元三重県知事)と増田寛也さん(前岩手県知事)が並んで出演していた。お二人とも、長いことご無沙汰している。お手紙をそれぞれに出しておいた。「改革派知事」と呼ばれた面々が、今も、いろいろな場面で活躍しているのが目立つ。総務大臣を辞めたばかりの片山善博さん(前鳥取県知事)も、早速の活躍である。いつか、集まって昔話などしたいものである。

 思い立って、「シローと夢トーク」の番組を2本分録った。昨日の2本と合わせて4本分、仙台のFMラジオ3の佐藤研さんに、明日、録音機を送る。研さんの編集が終わると、その録音機が返ってくる。こんな往復を何回か繰り返している。選曲、構成、DJ、録音、全部ひとりっきりでの作業にも慣れた。番組は、パソコンでも聴けるので、仙台以外でも、5,6人には聴いてもらっているらしい。そんなリスナーがいる限り、そして、研さんから愛想づかされるまで、続けたい。


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