浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 1月第5週分          

2011.1.31(月)

 サッカー日本代表、よくやった    

 食事の時に、テレビのワイドショーを見るが、どの局のどの番組も、アジアカップサッカーでの日本代表の活躍を伝えている。オーストラリアとの決勝戦での李選手の決勝ゴールの場面は10回以上見たような気がする。日本中が沸き立っている。仙台の90歳の母からも、「サッカーの試合を最初から最後まで興奮してテレビにかじりついて見ていたよ。優勝してよかった」と興奮気味の電話があった。普段はサッカーにまったく興味のない母でさえ、この様子である。私の免疫力は、この快挙でだいぶ上がったような気がする。日本中で同じように、免疫力が上がった人が大勢いるだろう。これは、必ずや、医療費の節減にも貢献するはず。これも含めて、今回の日本代表の快挙のもたらす経済効果は莫大なものになるだろう。オーストラリア戦に負けていたらどうなっていただろう。「2番ではだめなのです」。

 今日で1月が終わる。今月の読書リストはあまり長くない。向田邦子の作品「阿修羅のごとく」、「あ・うん」、「父の詫び状」、「きんぎょの夢」の4冊。「追悼(下)」山口瞳著(論創社)、「最後の息子」吉田修一著(文春文庫)、「私の男」桜庭一樹著(文藝春秋)、「声をなくして」永沢光男(文春文庫)、「スープオペラ」阿川佐和子著(新潮社)の合計9冊。読書以外に、やることがあって、そちらに結構時間を取られたということ。これも、復帰への一段階だろう。


2011.1.30(日)

 サッカーそしてマラソン―テレビ観戦三昧    

 深夜、サッカーのアジアカップ決勝戦、日本対オーストラリア戦をNHK−BS2で見る。終始、オーストラリアの厳しい攻めに苦しんだが、キーパー川島永嗣の再三のファインセーブとディフェンス陣の好守でしのいだ。延長戦の後半、途中出場の李忠成選手の見事なボレーシュートが決まって、1対0で勝利。優勝。李選手のゴールを呼び込んだ長友佑都選手の左からのクロスが素晴らしかった。全試合を通じてだが、長友選手のテクニックと運動量の多さは驚くべきものである。最後の最後にいい仕事をした長友選手を称えながら、遅い眠りに就いた。満足感があったからか、途中、トイレ起きなし。

 昼からは、フジテレビで、大阪国際女子マラソンをテレビ観戦。このところ、毎週、マラソンか駅伝のテレビ中継がある。走れない自分は、見るだけだが、それでも楽しい。スタートからゴールまで、見続けた。民放(フジテレビ)なので、コマーシャルの時間があり、その間に歯磨きしたり、トイレに行ったり。NHKだとこうはいかない。結果は赤羽有紀子が伊藤舞を39キロからのスパートで振り切って優勝。タイムは、2時間26分29秒で、今年8月の世界選手権(韓国・大邸)への代表内定の標準タイム2時間26分以内には及ばなかった。それでも、日本では珍しいママさんランナーの赤羽選手の勝負強さは強く印象に残った。

 マラソンが終わったところに、来客あり。2月4日に大津プリンスホテルで開催される「第15回アメニティ・フォーラム」にビデオ出演する私のために、撮影クルー2名と、佐藤進、北岡賢剛、田中正博の各氏がやってきた。この三人と私は、「アメニティ・フォーラム」の前身である「平成桃太郎の会」立ち上げの頃からのメンバーである。障害者の地域生活支援を進めることを目的として、同じ志の人たちを集めてのフォーラムだが、毎年、1500名の参加者を数えるほどになった。

 撮影は、私単独のメッセージに加えて、佐藤進さんとの対談。その対談のリハーサルというか、打ち合わせが長かった。終わってから、佐藤進さんが言うには、「浅野さんとは長い付き合いだけど、こんなにまじめに語り合ったのは、初めてだな」。同じ障害福祉の仲間、同士、戦友として、25年以上にわたり、一緒にやってきた佐藤進さんにそう言われて、いつもは、二人で冗談ばかり言い合っていたことがばれてしまう。


2011.1.29(土)

 SFC卒業生の訪問    

 慶応大学湘南藤沢キャンパス(SFC)で私の研究会に属していた中島有理、吉岡直緒紀、加藤友理奈の三人が我が家にやって来た。学年はそれぞれ違うが、卒業後は一流企業で仕事をしている。教え子たちが、立派な社会人になったことに、元の先生は目を細める。今の仕事の話や、SFC時代の仲間の消息などに花が咲く。私からも、病気のことや、これからのことを話した。久しぶりに、楽しい時間を過ごした。また、遊びに来て欲しい。

 31日(月)21時―「月曜ゴールデン特別企画『私は屈しない〜特捜検察と戦った女性官僚と家族の465日』」がTBSテレビで放映される。言うまでもなく、厚生労働省の村木厚子さんの不当逮捕事件をドラマ化したものである。番組紹介を見たら、村木厚子さん役を田中美佐子さんが演じる。取調べ検事が浅野検事というのが、ちょっと気になるが、ぜひ見たい。村木さんとは、仕事の上では、障害者問題への関わりから、何度もご一緒する機会があった。その意味での同士、仲間である。そして、村木さんが、不当逮捕にはじまり、理不尽な取調べ、長期にわたる拘留と闘っているのと同じ時期に、私はATLという大変な病気との闘いを続けていた。その意味でも、村木さんは戦う同士という感覚で見ていた。検察のでたらめさが明らかになり、無罪を勝ち取った村木さんは、厚生労働省に復帰し、さらには内閣府での要職に就いた。私も、村木さんに続いて復帰を果たせるはず。そんな勇気を村木さんからもらったような気がしている。


2011.1.28(金)

 伝える技術    

 毎週木曜日、がんセンター中央病院に出かけて、田野崎医師の診察を受けている。毎回、薬の処方をしてもらうが、それらの薬は、治療というよりは、予防のためのものがほとんどである。毎回の血液検査、時折のレントゲン検査の結果を見ながら、異常がないことを確認するというのが、このところの診察の中身である。私からは、過去一週間の身体の状態を報告する。だいたいは、「特に、何もありません」ということになるのだが、田野崎医師からは、どんな小さなことでも、異変のようなものがあったら、報告するように言われている。

 咳が出た、寝汗をかいた(昨晩がそうだった)、吐き気がした、夜の頻尿(昨晩もそうだった)、熱が出た(このところ、まったくない)といったことがあれば、報告すべしということなのだろうが、その報告をしないことがある。現在は、その症状が出ていないからとか、あまりに軽微な症状であるからとか、私なりに理由はある。時々は、同席している妻から、「あなた、咳が出たことがあったじゃないの」と、言われることがある。確かに、そういったことは、自分で「査定」しないで、報告すべきものだったと思い直す。それが、重大な異変か、無視していいのかは、主治医が判断するものであって、患者が勝手に査定してはいけない。そのようなことは、頭ではわかっているのだが、患者の見栄が邪魔して、言うのを控える傾向があるのは否定できない。検査だけでは、把握できない病状があるのだから、患者として感じる身体の異変を洩れなく、しかも実物大で主治医に伝えることは欠かせない。正しく伝えるためには、技術と心構えが不可欠である。重大な異変であれば、主治医として、早めに把握し、迅速に対応することが必要であるのだから、患者としては、そのことを的確に伝える技術を磨かなければならない。

 伝える技術は、患者と主治医との関係でだけ必要なのではない。国会審議などを見ていいて感じるが、政治家が国民に正しくメッセージを伝えるためには、それなりの技術が必要であり、それ以前に、伝えようという心意気が不可欠である。そんなことを強く感じる、昨今の政治状況。これは日本にとって、決して望ましい状況ではない。

 今日はフライデイ。そのフライデイにフライデイされて、写真まで撮られた。「フライデイされた」というのとは、ちと違う。地方分権という観点から、橋下大阪府知事、河村名古屋市長の動きについての取材を「フライデイ」から受けた。「こんな硬い記事もあるのですか」と問うたら、「足利事件を菅谷さんの釈放の時からずっと追った記事を載せてます」とのこと。「フライデイ」は、やわらかい記事を得意としていると勝手に思い込んで、失礼な質問をしてしまった。ごめんなさい。そのことをカバーするために言うのではないが、取材にあたったMさんは、地方分権についての基礎知識が十分にあり、質問も的確で、気持ちよく取材に応じることができた。さすがである。伝える技術とともに、訊き出す技術も、とても大事なものだと実感する。  


2011.1.27(木)

 病友の輪    

 雲ひとつない青空が広がる中、がん研究センター中央病院での外来診察に出向く。多摩川を越えるところでは、真っ白な富士山の姿が拝めた。久しぶりに、PET検査を受診。今日の診察では、PET検査の結果も含めて、取り立てての異常はなし。尿酸値は、毎度高いのだが、今日の値も7.7(正常上限7.0)と高めだった。「雲ひとつない」とはいかないのが残念。今晩は、1年8ヶ月ぶりにビールを少々飲もうと思っていたのだが、断念せざるを得なかった。それでも、全体としては、順調に推移していることは、確認された。

 待合の椅子に坐っていたら、隣の人が「浅野さんですか」と話しかけてきた。Nさんとおっしゃる彼は急性骨髄性白血病で、昨年、ここで骨髄移植を受け、現在は自宅療養中とのこと。女性のドナーから移植を受けた結果、Nさんの血液は男性(XY)でなく、女性(XX)に入れ替わっていると聞いて、「へーそうなんだ」と驚く。若い方で、お子さんがまだ小さい。同行されている奥様に、子育てと看病と大変ですねと声をかけた。Nさんも、田野崎先生の「同級生」である。これからも、情報交換をしつつ、お互いに励まし合いたい。こうやって、だんだんに「病友」が増えていく。  


2011.1.26(水)

 サッカー日韓戦    

 昨夜は、アジアカップ・サッカーの準決勝、日本対韓国戦をテレビ観戦。この日の戦いも、手に汗にぎるいい試合だった。結果としては、PK戦を制して日本が韓国を破った。韓国選手のPKキックを2発止めたキーパー川島の好セーブに拍手を送りながら、満足して眠りに就いた。「いい試合だった」というのは、日本が勝ったから言うのではない。両国チームの激しい闘志がぶつかり合う内容だったにもかかわらず、ラフなプレイは少なかった。お互いに、相手チームの力を正当に評価し、自分たちの真のライバルとして尊敬し合ってプレイしているように感じた。試合終了後も、このアジアカップを最後に韓国代表を引退する(予定)朴智星(パク・チソン)のところに、日本人選手が集まるなど、両チームが健闘を称えあう光景が見られた。月並みな感想だが、清々しいものである。この日の審判は、ちょっとした身体接触でもファウルをとるのには、不満が残る。両チーム一つずつPKがあったが、私の目には、どちらもPKをとられるようなプレイには見えなかった。

 国会での「論戦」が始まった。サッカーの日韓戦のように、清々しい戦いを期待するのは、しょせん無理ではあるが、それにしても、お互いを真のライバルとして尊敬する素振りもないのは、いかがなものか。せめては、フェアプレイを望みたいものである。我々国民としては、誤審のない、しっかりとした審判の役割を務めることにしたい。


2011.1.25(火)

 東京マラソン目指して    

 昨日の朝日新聞の横浜版に、湘南国際マラソンの記事が載っていた。23日(日)に開催された第5回大会には、2万人が参加したという。発着点の大磯プリンスホテルは、我が家からもそう遠くないし、右側に湘南の海、左側に富士山を見ながら走る平坦コースということで、以前から、私も参加をしてみたいと思っていた大会である。その記事の中に、「骨髄移植越え10キロに挑戦」という囲み記事を見つけた。川崎市の宮城順さん(29)が1時間20分で10キロの部のゴールテープを切った。宮城さんは、小学校一年で慢性骨髄性白血病を発症し、1年半後に骨髄移植を受けた。その後、体力は大きく落ち込んでいたが、今回の湘南マラソン出場を目指して練習を重ね、見事、制限時間内に完走した。

 そもそも、宮城さんが、マラソン大会で走ろうとしたきっかけは、東京マラソンで臓器移植を受けた人の枠があると知ったことだそうだ。そうか、東京マラソンに臓器移植経験者枠があるんだ。東京マラソンのホームページで調べたら、確かに、10キロの部に50人の移植者枠があることが大会要綱に明示されている。私がフルマラソンの部で走った2009年の大会では、この枠に45人の応募があって、実際に40人が走ったらしい。「来年の東京マラソンで挑戦してみたい」と言えば、妻から、「まだまだ早い、無理だ」と返されそうだが、来年でなくともいい。宮城さんのように、「骨髄バンク」のロゴが入った帽子をかぶって走る日を今から楽しみにしている。


2011.1.24(月)

 施政方針演説で!    

 第177回通常国会が、今日、幕開けである。14時から、菅首相の施政方針演説があり、NHKテレビ中継で40分余の演説をじっくり聴かせてもらった。こんなことができるのも、「毎日が日曜日」の生活だからこそ。演説が30分ほど過ぎたところで、「HTLV-1対策」という言葉が飛び込んできた。「日本からHTLVウイルスをなくす会」の菅付加代子代表の名前が出てきて、さらには、「前宮城県知事の浅野史郎さんが、闘病に勝利を収めたいとメッセージを送ってくれました」と続いた。

 HTLV-1ウイルス対策のことが、施政方針演説にまで引用されるとは、驚きである。演説を聴いた議員たちも、ほとんどは、「HTLV-1ウイルスって何?」という反応だったろうが、HTLV-1ウイルス問題に政府が積極的に取り組んでいることはわかってもらえただろう。知ることが関心につながり、そこから問題解決への道が開ける。その意味では、今日の施政方針演説は、患者はじめ関係者にとって、大きな意味を持つ画期的なものである。「はむるの会」の山越里子代表から、さっそく「とてもうれしい」という電話をいただいた。日経新聞の夕刊4面に演説全文が掲載されていることも教えてくださった。(「四 不条理をただす政治」の中の[特命チームによる不条理の解消]の項)

 月刊誌に連載している原稿を二本書いた。一つは、「ガバナンス」に連載中の「続アサノ・ネクスト」の再開第5回目の原稿。「続」というタイトルになっているのは、2006年1月号から41回続いた連載が、病気療養のために、休載していたからである。今回は、「地方議会のありかた・再訪」を書いた。名古屋市の河村市長の「改革」を例にとって、地方議会と首長との関係について論じてみた。ちなみに、私は、河村市長の名古屋市議会への対応ぶりには、民主主義の観点から、大きな疑問ありと考えている。そう言えば、昨日、「出直し」名古屋市長選挙が告示され、いったん市長職を辞めた河村たかし氏が立候補しているが、この辞任→再立候補にも、すっきりしないものを感じる。

 連載のもう一本は、「年金時代」に連載中の「新言語学序説」の再開第3回目の原稿である。「新言語学序説」は、2000年10月号から「年金と住宅」に16回連載し、掲載誌が「年金時代」に替わってから83回連載したものであるから、休載をはさんで、今回の原稿が通算102回目となる。(連載から抜粋したものが、「許される嘘 許されない嘘」(講談社)という変なタイトルで単行本化されている)。「言葉に関すること」ということで書き続けているが、自分でも、よくもネタがなくならないものだと感心するほどだが、不思議に話題は尽きないのである。今回何を書いたかは、しばし、おあずけ。「年金時代」3月号が発行されて少し経った頃に「夢らいん」に掲載する。二ヶ月ほど先になる。なんだか、もったいぶっているみたいだな。


2011.1.23(日)

 「シローと夢トーク」    

 昨夜の就寝は23時前、トイレに2回起きたが、ラジオは聴かず、朝の起床は8時近く。ゆっくり寝たということになる。「毎日が日曜日」の人間だが、日曜日でも何曜日でも、薬を服用する(毎食後)、血圧・体温測定(朝、夕)、体重計測(起床時)、血糖値を計る(毎食前)、歯磨きをする(起床時と毎食後)、階段昇降をする(毎食後7回)、腹筋運動をする(起床時、就寝前50回)という日課は変わらない。時々忘れるのは、血圧と体温の測定であるが、その他は、きっちりこなしている。

 我が家に取材に来た記者が、「シローと夢トーク」のテープを借りていって、それが先日返ってきた。どんなテープを貸したか、確かめようと思って、そのテープを聴いたら、これが面白い。「エルヴィス・プレスリーの曲しかかけない、エルヴィス・プレスリーの曲の話しかしない」という番組を、地元仙台のコミュニティFMで7年間放送していたが、それが「シローと夢トーク」である。実は、この番組の隠れたファンが私自身で、番組のテープを何度も聴き返していた。今回、久しぶりに、その楽しみを味わった。一曲ごとに(私の)解説の入ったエルヴィスの歌は、CDで流れてくるのより、味わい深く聞こえるのは、なぜだろう。それにしても、実に楽しそうにDJをやってるシローさんだった。あの頃は、いい時代だったなと、仙台時代をなつかしみながら聴く。

 品川区大井町在住のSさんから、「夢らいん」経由でメールをいただいた。Sさんは、昭和23年生まれで、私と同年。ご主人は宮城県出身、弟さんは東北大学卒業の仙台つながり。大井町には、宮城県人寮があって、学生時代に一年間だけだが住んでいた。一番うれしかったのは、彼女が大のエルヴィス・ファンということ。ラスヴェガスで彼のショーを見ているというから、すごい。メールでのエルヴィス談義が、花咲くかもしれない。さらに、ご主人は、4年間がんと闘って、今はとても元気という。「がん友」としての輝ける先輩である。この日記を通じて、いろいろなご縁が広がっていく。

 昼、都道府県対抗男子駅伝をNHKテレビ観戦。これが面白かった。宮城県チームは、あまり期待していなかったのだが、なんと、最終区のたすき渡しは一位でやってきた。「ひょっとして・・・」と思ったが、最後は、8位。アンカーの保科選手が7人に抜かれてしまった。栃木県チームが長野県チームを30秒以上離して優勝テープを切った。アンカー宇賀地選手が強かった。初優勝、おめでとうございます。


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