浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 11月第4週分          

2010.11.27(土)

 夕方、妻がいるところに田野崎医師が現れて、意義ある説明をしていただいた。まず、「神経ブロック療法」は承知しているし、がんセンターでも実施している例があるが、浅野の膀胱炎の痛みを抑える効果は限定的である。いくつか問題点もある(内容忘れた)し、少なくとも、今神経ブロック療法をすることは勧められない。緩和ケアとしては、他の方法もあるので、状況を見て緩和ケアの利用はあり得る。ただ、血尿が出ていないとか、痛みも軽減されつつあることから、そこまでやる状況ではない。その前に治るだろう。フェンタニル(痛み止め麻薬)の注入は量を減らす。痛み止めの使用で痛みが収まっているのか、膀胱炎が治りつつあることでそうなのか、見分けがつかなくなるのは困る。今のところ、フェンタニルの使用量は少ないが、ずっと使っていると、次に痛み止めをしなければならない状況では、使用量をかなり増やさなければならなくなることも考慮する必要がある。

 ということで、今の治療を継続していくのがいいだろうし、それで治ると思うというのが田野崎医師の結論。こういうことを詳しく、わかりやすく説明されると、田野崎医師の指示に従っていればいいという気になってくるし、先生から「これなら、もうすぐ治るでしょう」との言葉を聞くと、ほっとして、先の展望が見えてくる。来週の時点で、導尿管を抜くことになるだろう。

 膀胱、尿道付近にチクチクという痛みがあるが、痛みというよりは違和感に近い、導尿していれば、誰しも経験する範囲内の違和感だろうと思う。この程度なら、麻薬の痛み止めを使わなくともしのげるし、しのがなければならない。不安のあまり、安易に痛み止めに頼る傾向を払拭しよう。シャワーも難なくできているし、排便もある。今日は、一度、ある程度の排便があった後に、二回目、三回目と挑んでみたが、ほぼ空振りだった。妻に買ってきてもらったアイスもなかを食べた。おいしかった。今回の入院では、初めてのデザートである。寺島実郎さんから送られた白粥とお吸い物を夕食時に食べた。和光のものだけあって、上品な味である。寺島さんの心遣いが身にしみる。

 柳田法務大臣の「国会軽視発言」で、野党は大臣の首を取りにいくという。辞任に値する重大なことであるという認識であるが、そうだろうか。こんなことで、いちいち大臣の首を挿げ替えていたのでは、内閣として機能不全に陥る。笠にかかって追い討ちかけて、こぶしを振り上げている野党であるが、こんな言葉狩りのようなことで国会審議を遅らせることに、国民は心から納得しないだろうと思うが、「やれやれ、もっとやれ」という勢力が国民の一部にあることも事実である。仙谷官房長官の「自衛隊といった暴力装置」という表現を槍玉にあげて、これも問責決議だって。仙谷長官は、このことに関しては、陳謝なんてしなくていい。野党に甘く見られるほうが心配。


2010.11.26(金)

 昨夜寝る前ごろから、尿道の違和感の予感があり、実際に痛みも感じつつ寝についた。念のために9時ごろにカロナール2錠を飲んだ。1時ごろ目覚めたのは、痛みのせいだったかもしれない。いったん起きて、しばし立ち姿勢をとったり、座ってネットを覗いたりしているうちに眠気が戻り、痛みも収まった。そのまま寝に就いたら、朝方まで健やかに眠れた。痛みもほとんどないままに起床。それにしても、昨日だけのことでなく、寝る前になると痛みが始まるパターンができているようで、それが気になる。幸いに、痛みといっても、ごく軽いものなのだが、気分はよくない。

 朝一番の排便は、昨日とちがって、硬い便だったので、これにも一安心。昼ごろの二度目の排便は、かなりの量で、形もいい。おなかのほうは問題ないようである。今日の検査結果で、CRPの値が2日前の2.57から4.34に上がっていた。2日前の時点で田野崎医師から「様子を見ましょう」と言われた時には、この先下がると期待していたのが、今日の結果である。身体のどこかに炎症があるということなのだが、推測するしかない。田野崎医師は、肺炎の悪化を心配していたようで、今日も、急遽レントゲンを撮ったが、肺の影は変わっていない、悪くなっていないということである。プレドニンの量を徐々に減らしていく予定だったが、この結果では、もう少し様子を見るべしということになった。むしろ増やすという状況もあるのかもしれない。そうなると、膀胱炎のほうにも良くないのではないかとか、いろいろ悪いことを考えてしまう。気持ちが落ち込みそうになる。妻と電話で話して、少し元気を取り戻した。その光子が下痢と歯痛に見舞われている。ノロウイルスが流行っているので、下痢について万が一ノロウイルスだと疫力が下がっている私にうつる事を用心して、今日も見舞いに来れない。

 手持ちの本が読了済みになったので、移動図書の箱の中から「サザエさん」を借りて読んだ。昭和30年代の庶民の生活がわかる歴史的記録としても、貴重なものだと思う。

 歌舞伎の市川海老蔵が麻布の飲食店で何者かに殴られ、頬骨にひびが入るなどの大怪我をして、病院に搬送された。被害者であるから、大変お気の毒ではあるのだが、社会人、職業人としての自覚に欠けるのではないか。30日からは、京都南座で「顔見世興行」が始まるという大事な時期に、記憶がなくなるほどに泥酔するということは、あってはならないことである。「顔見世興行」には出られないということだが、どれだけ多くの人に迷惑をかけることになるのか、しっかり反省しなければならない。

 補正予算が成立したのはいいが、参議院では、仙谷官房長官と馬渕国土交通大臣に対する問責決議案が可決された。大臣が辞任しなければならないような、どんな「罪状」があるのか、極めて疑問である。野党の行動は、内憂外患に対して、真剣に対応している政府に揺さぶりをかけ、倒閣にまで突き進もうという党利党略ではないか。日本全体として大変な困難に直面しているこの時期に、政変で政治空白を生み出すということは、国民としても拍手喝采できるものではない。


2010.11.25(木)

 朝一番の排便では、実に久しぶりに下痢に近いやわらかい、形にならない便だった。少し心配したが、10時の再挑戦では、硬い便が出たので、一過性だったのだろう。23日(火)の朝日新聞の全面広告で「肺炎球菌ワクチン」について掲載されていた。「肺炎球菌による肺炎を予防するためのワクチン」と説明されていた。中身を読むと、どうも、私のような患者には有効で必要なワクチンではないかという気がした。今朝、回診で来られた森慎一郎医師にこの広告を見せて、「これ有効なんですか」と訊いたら、「うちでも多くの患者に使っている」ということであった。私もいずれ接種を受けたいと言っておいた。こういうワクチンが本当に有効だと、免疫力の弱い患者としては、ありがたいと思う。

 シャワーの後、導尿管を押さえる部分が濡れたので、換えてもらおうとしたら、小笠原静江看護師から、押さえる場所も左から右へ変えましょうとなって、彼女にやってもらった。15日の導尿管挿管以来、ずっと左側止めで来たが、10日たって右側に変更。尿道が左側に曲げられていたのが、今度は右側になった。これで少しは違和感が減るかもしれない。

 「障害児医療 40年」粟屋豊著(悠飛社)が著者から自宅に送られてきた。昨日、妻にもってきてもらって読んだが、あっという間に読了してしまった。今回の入院では、痛み止めの点滴がされているからだろうか、読書をしていると頭がポヤポヤしてきて眠くなり、読み続けられなくなっていたのだが、この本はそんなことはなかった。著書を知っていること、(東大教養学部時代から、私と同学年の粟屋さんは、障害児へのボランティア活動をしていて、キャンパスで学生に呼びかけをしている姿を見ていたので、当時は、一方的に私のほうでは知っていた。障害福祉の仕事に関わるようになって、いろいろな会合でご一緒したこともあり、おたがいに気になる存在にはなっていた)障害福祉という私と共通の分野に関わっていること、そして、彼自身が多発性骨髄腫のサバイバーであるという点で、「がん友」でもある。学生時代からの障害児問題への関わりを、その後、小児科医として発展、深化させ、単に医療のみでなく、患者の生活全般を支える活動にも力を入れている。見事な人生である。本人も言っているが、幸せな人生である。多発性骨髄腫を乗り越えて、医師としての仕事に復帰し、趣味のテニスが楽しめるようになった粟屋さんは、「がん友」としての目標であり、勇気をもらう存在である。


2010.11.24(水)

 朝起きたところで、下腹部に違和感あり。昨夜の就寝前ぐらいから、そんな感じがあったが、一晩経っても、まだ引きずっている。痛みというほどではないが、昨日の状態と比べれば負の方向に行っていることに反応して、暗い気持ちになる。強気、前向き、楽天的な史郎ちゃんが、今回の膀胱炎を契機に、弱気、後ろ向き、悲観的な史郎ちゃんになってしまった如くである。この痛みは、1時間ほどでなくなったので、一応はほっとした。ともかく、膀胱炎を治して、退院を果たすこと。そこから、また強気、前向きの史郎ちゃんに戻っていけるし、そうでなければならない。4日前に1.59だったCRPの値(感染の状況がわかる指数)が2.57に上昇していた。これを受けて、ステロイド剤のプレドニンを明日から5mgに減らす予定を変更して、7.5mgのままでいくことにする。

 北朝鮮が韓国の島を砲撃して、民間人の死者まで出すという暴挙について、連日、トップニュースで伝えられている。日本としてどういった対応をするべきか。北朝鮮のこれ以上の暴走を止めなければならない。隣の国で起きていることでは済まない、日本にとっても国難である。国難には、与野党一致してあたらなければならない。野党として、政府の対応について、揚げ足を取るようなことをしてはならない。今回のことを政局にするような動きをすれば、国民からあきれられるだろう。

 もう一つは、北朝鮮の脅威について、国際世論に働きかけ、韓国・北朝鮮の二国間の問題にとどまらない大変な事態であることを訴えるべきである。当事国の韓国よりも、日本のほうが自由に動ける状況でないかと思う。それにしても、北朝鮮の核開発がどこまで進んでいるのか。ミサイルが日本にも向けられている。ならず者国家と呼ばれる北朝鮮が、やぶれかぶれで何をするかわからないという恐怖がある。大変な時代である。


2010.11.23(火)

 勤労感謝の日。去年の勤労感謝の日も、ここがんセンターの18階に入院していた。当時は、「夢らいん」への日記の掲載はしていなかったが、アドホックに報告することが2週間に一回ぐらいあった。この日の「報告」では、「勤労感謝の日。本来は、「新嘗祭」で収穫の恵みに感謝するという意味なのでしょうが、入院中の身から見れば、仕事ができるような状況にあることに対して感謝しようという日のように思えます。来春の高校、大学卒業生の就職内定率が極めて低いというニュースも目にします。私も含めてですが、今度の勤労感謝の日は、勤労できる喜びを噛み締められるようになるといいなと思っています。」

 「今度の勤労感謝の日」というのは、今日のことだが、残念ながら勤労の喜びを噛み締められる状態になっていない。ホンネでは、「勤労に感謝するまでに、ずいぶん長くかかるな」と思うが、理性は「あせってもしょうがない。ここはじっくり治療に専念すること」と告げている。

 昨夜は浅い眠りと深い眠りを繰り返すような睡眠だったから、よく寝られたということだろう。それでも、日中は眠くなる。血圧などの測定に来た看護師の島崎賀代さんが、ラジオから流れてくる歌を聴いて「ああ、これよく懐メロで聴いていた。なつかしい」と言っていた。流れていたのは、槙原敬之の歌だったが、私には新らし過ぎて全然わからない。それだけ齢の違う看護師さんにお世話になっているということを改めて知る。島崎さんに点滴の管の交換をしてもらった。中3日空けて交換と決められている。左手の血管に適当なところが見つからずに、今回は右手に挿管である。利き手の動きが制限されるし、いずいしで、困ったものだが、仕方がない。

 昨年の宝くじで、賞金を受け取っていないものが多くあって、1等2億円の5本をはじめ、総計26億5千万円とか。えーっ、2億円当たっているのに換金していないか、気がついていないか、そういう人が5人もいるなんて信じられない。2億円ですよ。「宝くじに当たるようなものだ」と、HTLV-1ウイルスの感染がわかった時に、ATLが発症する可能性をそんなふうに自分でも表現していた。一方、宝くじの当たりに気がつかないでいる人は、少なくとも、宝くじを買った時には「当たって欲しい」と思っていたはずだから、当選番号が発表されたら、チェックするのが当然ではないか。「当たって欲しい」と思いながら、「当たるはずがない」という思いもあるのだろう。これが「宝くじに当たるようなもの」ということの意味であると、宝くじが逆に当たってATLになった者として理解している。

 千葉国際駅伝のテレビ中継を途中から見る。日本代表チームを押さえて、学生選抜が優勝。男女混合の駅伝である。そんな駅伝は他にあっただろうか。これはこれで面白い。チーム内でロマンスが生まれることにもなるのかもしれない。それはもっと面白い。


2010.11.22(月)

 「いい夫婦の日」である。病気になって、光子の献身的な支えに助けられていることから、妻への感謝の念が湧いてくるし、いい人を妻にしたと実感するこのごろなので、まさに毎日が「いい夫婦の日」と言っていいほどである。

 痛み止めのフェンタニル投与について、大きな誤解をしていた。朝、田野崎医師との話で、今でも、フェンタニルは毎時0.3cc常時点滴で注入されていることがわかった。このところ4日間ほど、フェンタニル点滴のボタンを押すことがなかったので、「痛み止めを使わないでも痛みはなくなった。だから、治ったのではないか」と思い込んでいた。点滴ボタンを押すということは、常時流れている痛み止めの量では抑えられない場合に、エクストラに一回0.2cc量を増やすということである。この頻度が記録されて、頻度が高くなった場合には、常時流す量を増やし、頻度が低い、または現在のようにしばらくエクストラの供給をしないでいると、流す量を減らす、そういう加減をしている。ということで、現在も、痛み止めは血中を流れているわけで、これをやめた場合に、痛みが戻ってくるのかどうかということになる。様子を見て、明日ぐらいにはフェンタニルの点滴の量を減らすことになろう。その時にどうなるか。「治った、治った」との内心のうれしさは、束の間、ぬか喜びだったかもしれない。

 17日に免疫グロブリンを点滴で2時間かけて注入したが、これで1gGの値がどうなったか気になっていたが、夕方、田野崎医師から「忘れていてごめん」という形で知らされた。輸血前391だったのが444に増えていた。まずは一安心だが、もっと高い値でないと免疫機能ということで心配はある。

 夕方のNHKの関東ローカルニュースで、東大付属病院で多剤耐性緑膿菌に感染した白血病患者10名のうち、5人が死亡したことを伝えていた。白血病で治療中ということは、免疫が落ちているということ。今の私も、そういう状態なのだろうか。今回の事案は、院内感染であると見られる。東大病院でさえそうなのか。がんセンターは、総合病院でなく、がん専門であるので、感染症の患者は限られているから、こういうことは起きにくいと思いたい。


2010.11.21(日)

 昨夜寝たのは9時ごろだったか。エルヴィスのクリスマスソングをかけながら寝に就いたが、一曲目が終わる前に熟睡に入った。途中、ちょこちょこと目覚める瞬間もあったが、夢を見ながらも、朝までぐっすりと眠れた。なにしろ、導尿しているので、トイレに行かなくていいというのは、とても楽である。

 朝は、6時15分起床。歯磨き、洗顔してすぐに体重測定へ。56.7kg。56キロを超えると、利尿剤の投与がある。利尿剤も効いているのか、さらに生理食塩水の点滴も一日4000ccと多量であるせいもあり、排尿量はこのところ4000ccを超えている。一方で、点滴プラス生茶を4本2000cc、食事の際のお茶の計が300cc、牛乳があればプラス250ccということで、一日2,500ccを超える摂取量である。そんなに努力しなくとも、これだけ飲めるようになった。

 昼に田野崎医師と話して、麻薬を使わないでも痛みがなくなっていると言ったら、「尿もきれいだし、今週中に導尿管をはずすことになるでしょう」とのこと。確かに、実感として、炎症は収まっているのを感じる。昨日も書いたが、尿道付近のチクチクは、炎症によるものというより、管がどこかにあたっているからだろう。今日は、そのチクチク痛みもだいぶやわらいでいる。管をはずせば、違和感もなくなるだろう。それを期待したい。

 下剤が効いているので、今日は3回の排便。それぞれが、結構な量であり、形も色もいいちゃんとした便である。これなら、下剤はやめてもいいのではないか。

 昼過ぎ、今日の当番の金成元医師が検査結果をもってきた。昨日の今日であるし、数値はほとんど変わっていない。ひとつだけ気になるのは、総蛋白の値が5.1と下がっていること(正常下限6.3)。「食事はしっかり摂れていますか」に「はい」と答えたが、そうなると、尿にタンパクが出ているからかもしれないとのこと。11月15日(月)、入院した日の採尿でタンパクが出ているのを確認したのが、金医師とのこと。腎臓が心配になるので、いずれ腎臓の検査をすることになろう。


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