浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 9月第3週

2007.9.15(土)

 時間の制約があったので、今朝の走りは白楽駅から菊名駅への途中で戻ってくる4キロだけ。この季節にしてはとても暑い朝なので、これぐらいの距離で丁度いい。

 慶應大学SFCで、「公共政策ワークショップ 夏季政策セミナー」でのシンポジウムでパネラーを務める。「参議院選挙後の新内閣での優先政策課題」というテーマであったが、「新内閣」は、まだ見ぬ新内閣ということになってしまった。この後、都心まで移動して、日本フィランソロピー協会で対談の収録。対談での話題も、シンポジウムのテーマとほとんど同じようなものになった。


2007.9.14(金)

 TBSテレビ「朝ズバ」出演。話題のほとんどが、安倍首相辞任後の自民党総裁選び。ゲストは、後藤田正純、猪口邦子、佐藤ゆかりの自民党衆議院議員。後のお二人は、「小泉チルドレン」と呼ばれているが、もうチルドレンではなくシンパかグループと呼ばないといけない。後藤田議員は、別なテレビ番組で、政策のことをそっちのけにして、次の自民党総裁について、「誰がいい、誰が優勢だ」といったことばかり言うコメンテーターに、「あなたたちが扇動するのは、いけない」と噛み付いていた熱血漢である。

 もはや、「福田優勢」は動かないらしい。勝ち馬に乗ろう、冷や飯はいやだという議員心理もあるのだろうし、それ以上に、小選挙区制の下、党執行部の権限が格段に大きくなっている中で、執行部ににらまれると選挙での公認がもらえないかもしれないという恐怖感もある。勝ち馬に乗るメリットは、さらに大きい。でも、そんな形で総裁が決まるのはいいのだろうか。そもそも、この時期に、こんな短い期間で総裁選びをすること自体が、想定外のはず。そんな状況になったことを懺悔してから、スタートすべき総裁選びなのだろう。その意味でも、こんな辞め方をした安倍首相、そんな安倍総裁を選んだ人たちの責任は、極めて重い。

 「朝ズバ」を終えて、慶應大学SFCで大学関係の仕事。日比谷の市政会館で分権型政策制度研究センターの会議。日本フィランソロピー協会で打ち合わせ。ここまでが仕事関係で、夜は、劇団四季の「ウエストサイド・ストーリー」の観劇。40年以上前に、映画を見た時の驚きと感動は忘れない。映画は13回ほど見た。舞台では初めてである。映画ではジョージ・チャキリス(彼は今どうしているのだろう)が演じたベルナルド役を加藤さんがやっていたが、この踊りはすごい。マリアの歌唱力にも感心。映画での名場面、アメリカ、クール、体育館でのダンスなど、かなり忠実に再現という感じで、満足であった。

  観劇の後、銀座に移動して、2000年にメンフィスのエルヴィスの墓参りツアーに一緒にいった仲間の集まりへ。今年、メンフィスを再訪した笠原さん夫妻が、鹿児島から上京する機会に、その時の報告をするということで、2000年ツアーの仲間8人が集まった。朝、4時起きの、長い一日であった。


2007.9.13(木)

 大阪城公園を目の前にしたホテルニューオータニで目覚めた朝。5時半から「朝ズバ」を見て、安倍首相辞任のニュース一色の番組展開を確認してから、走りに出た。玉造筋を森ノ宮駅から中央大通りに入って、いくつかの筋を越えて御堂筋に。途中、何もない公園だなと思ったところが、難波宮跡だったり、新しい発見もあった。御堂筋をほんのちょっと走って反転。12キロ走。疲れはなし。

 安倍首相の辞任表明を聞いて感じるところが何点かある。そもそも、自民党総裁に選ばれ方がよくない。後知恵ではなく、あの当時から、私としては疑問の声を挙げていた。「選挙に勝てそうな人」という基準だけで、安倍さんを総裁に選んでしまった。実績、能力、政策は二の次であった。小泉純一郎で選挙に大勝という成功体験が仇になったというのは、昨日の日記で書いたとおり。

 「選挙のありようが、任期のありようを決める」というのが、私の持論というより実感なのだが、その正しさを再確認する今回の辞任劇である。安倍さんは、手練手管を駆使し、修羅場を乗り越えて首相の座を射止めたのではない。周りからフワーっと祭り上げられて、フワーっと首相になった。だから、辞めるのも、フワーっと辞めることになるのである。田中角栄元首相は、その逆。いろいろな権謀術数を使い、お金も使い、頭も身体も使い切って首相になった。だから、ロッキード事件で被告人になっても、いい悪いは別として、復権を目指してギリギリがんばれたのである。

 もう一つは、国民の関与がどうだったのかである。安倍首相誕生の時に、私は早い時期に衆議院解散をして民意を問うべきだと論じた。そのほうが、安倍首相の基盤が確固たるものになるからである。首相である正統性を確保し、また、自信も獲得することになる。あの時だったら、衆議院選挙で三分の二は無理でも、しっかり過半数は確保しただろう。そういう契機を逃してきたために、国民としては「自分たちが選んだ首相」という実感が持てないのはあたりまえである。小泉さんの場合に、「自分たちが選んだ首相」という思いを国民として持てたのとは好対照である。安倍首相は、そういう中で参議院選挙に突入し、大敗を喫したのだから、あの時点で安倍首相は辞職すべきだったのである。

 後継選びにも一言。安倍総裁を選んだ時のセリフを思い出して欲しい。「今の自民党に、安倍さん以上の総裁候補はない」というのが大勢だったのである。たった一年前のそのセリフを忘れていないとすれば、今度は誰が総裁になっても、安倍さん以下だということになる。こんなめちゃくちゃな形で辞めるような総理総裁を選んだ人たちの責任をうんぬんするよりも、このセリフに忠実であれば、自民党には政権担当能力がないということを認めなければならない。

 誰が自民党総裁になったとしても、その後の首班指名では、参議院ではその新総裁ではなく、小沢一郎が指名される。首班指名における衆議院の優先という憲法上の規定があるから、やっと総理大臣になれるのである。衆議院では与党多数でも、参議院では野党多数というねじれ国会は続く。参議院議員選挙は3年後にしかやってこない。衆議院の解散があって、自民・公明の現与党が勝利すると、このねじれ状態は三年後まで続くということである。さあ、どうする、どうする。国民がその決定権を持っている。

 大阪では、読売テレビの「ミヤネヤ」出演。前半は、安倍首相辞任問題。そこで、上記のようなこともコメントさせてもらった。「次の首相は誰がいいか」などという場面があったから、「次の首相ではない。次の自民党総裁選びの話だ」と言うことも忘れなかった。


2007.9.12(水)

 広島市で内外情勢調査会の講演。12:35−14:00の予定で、「地方が変われば、日本が変わる」というタイトルのもと、安倍首相の「美しい国」の批判などの話をしていた。1時過ぎだったろうか、司会者が突然割り込んできて、「ただ今、安倍首相が辞任というニュースが入りました」とのこと。講演は途中でやめるわけにいかない。会場内には、動揺が走り、聴衆の一人である地元テレビ局の記者は本当に走って出て行った。講演を終えたら、その記者がカメラを連れて待ち設けていて、「安倍首相辞任のニュースを聞いて、感想を」とマイクを向けられた。聴衆の方々には、今日の私の講演内容は忘れても、今日の講演のことは忘れられないでしょうと申し上げたが、私にとっても忘れられない講演になった。

 TBSテレビの「朝ズバ」からは、早速、アンケートが来た。この辞任をなんと名付けるか、その理由もというもので、以下のように答えた。

 「置いてきぼり辞任」。

  理由は、みんなが置いてきぼりを食いました。

  折角閣僚になった方々、「総辞職」でいったんは辞表を出さねばなりません。全員再任とはいかないでしょう。

  安倍さんを自民党総裁に選んだ自民党の方々。「選挙で勝てる顔」というだけで選ぶからこういうことになると言っても始まらないでしょうね。小泉純一郎総裁の成功体験が仇になった。柳の下にどじょうは二匹いないのです。

  小沢党首はじめ民主党の方々、野党の方々。代表質問をしようという直前に、相手がいなくなって置いてきぼり。「敵前逃亡」という言葉が浮かびます。小沢さんのいじめで登校拒否と見られたら、小沢さんがいじめの元凶になって評判を落とすのでしょうか。

  米国のブッシュ大統領など、当てにしていた元首のみなさん。協力を約束していた首相が姿を消したら、誰を信頼したらいいのでしょう。

  国民も置いてきぼり。辞めろという時に辞めないで、まさかという時に辞められたら、国民はとまどう以上に、怒りを感じるでしょう。

 いずれ辞任はわかっていたが、このタイミングでというのは、誰にとっても驚き。そして、辞任の理由は、安倍首相の言葉だけでは、どうしても理解不能である。いずれ、「ああ、そうだったのか」という真の理由が明らかになるような気がするが、その際には、「だから、このタイミングだったのだな」ということもわかるのではないか。テレビのニュースをずっと見ながら、夜が更ける。


2007.9.11(火)

 日程、体調、天候の三条件が揃っていたので、仙台の自宅から22キロ走に出発。途中から太陽が顔を出して、気温の上昇が予期されたので、ペースは抑え気味。いつもの慣れ親しんだコースで、6分ごとにどの地点に到達するかが頭に入っている。通常より少し遅いペースというのが、その地点確認でわかる。旧国道48号線に入れば、歩道は狭くなるが、信号、アップダウンなしの走りやすいコースとなる。いつものように、子ども病院で折り返し。復路のほうが3分半早かった。

 発汗プラス呼気による水分喪失で1.5キロほど体重減になるのだが、その分を差し引いても、走った後の体重は、最近見ないような低い値である。「成果あり」を実感する。このところ、アルコールと間食なしを続けている。「このところ」といっても、4,5日のことではあるが。


2007年9月10日(月)

 曇り空だが、気温、湿度とも高いので、8キロの走りで多量の発汗である。前半はやや厳しい走り、後半はゆっくりというコースを走っている。

 午後から、仙台地裁で証人尋問。自宅から歩いて1分のところになる地裁だが、中に入るのは初めて。証人尋問を受けるのも初めてである。宮城県警察本部の犯罪捜査報償費の予算文書の情報開示請求事件に関しての証人尋問であるが、主眼は報償費の予算が適正に執行されていたのかどうかということである。拙著「疾走12年 アサノ知事の改革白書」の第8章「知事の責任―県警犯罪捜査報償費」に書いたことを述べるだけのことであったが、裁判所での証言であるので、虚偽を言わないということが前提であることが、むしろありがたい。私が言っていることは、すべて真実。そこから、裁判官が全体の真実をどう把握するか、それを訴訟結果にどう反映させるか。

 記者クラブで記者会見。相手は、県警担当の記者が多い。私として強調したかったのは、これは単純な論理の問題であるということ。健全な常識を持った人の論理に当てはめて、警察の理屈と行動が素直に理解できるかどうかがポイントである。私が知事時代の平成17年6月に、その年度の捜査報償費予算の執行を停止したのだが、この執行停止措置は、予算の適正執行を確認するために知事として県警に要求した予算関係資料の提出と捜査員からの聴取が、「捜査上の支障」を理由に拒否されたから行ったものである。逆に言えば、資料提出、捜査員聴取への協力がなされれば、予算停止措置はすぐに解除すると知事は県警に伝えているのに、県警は知事の要求を拒否を続けたということである。この要求のハードルが、県警にとってはそれほど高いのか、OBからの資金カンパで停止された予算を賄うという「奇策」をとるほどに高いのか。単純に考えれば、答えはすぐに出てくる。  


2007年9月9日(日)

 香川県観音寺市のグランドホテルで目覚めた朝。昨夜、一人で割烹のカウンターで食事をしていたら、隣に坐った地元の人たち5,6人と知り合いになった。その中の一人、藤村さんは地元で工場を経営している方で、ジョギングが趣味とのこと。「それなら」ということで、今朝6時半にホテルのロビーで待ち合わせて、一緒に走ることにした。走力は同じぐらいなので、丁度いい。コースをお任せにし、観光案内を受けながらのジョギングというのは、初めてである。砂浜に書かれた「寛永通宝」の銭形を見下ろす公園までの上り坂は結構きつかったし、気温が高くて汗びっしょりだったが、とても楽しい、得がたい走りであった。

 観音寺から岡山への在来線は瀬戸大橋を渡る。昨日は、真っ暗で見えなかった瀬戸内海がきれいに見渡せる。新幹線だけの旅程では味わえない、旅の醍醐味を感じるのは、こういう時である。


過去のジョギング日記はこちらから



TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org