浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 3月第2週分

2007.3.10(土)

 出発が9時で、その前にやることもある。走る時間を確保するのがむずかしい状況だったが、4キロだけならできる。ということで、皇居一周はあきらめたが、少しだけ走ることにした。走り終わってみれば、やはり、走って良かったという精神状態になる。前向き志向、前向き思考の特効薬である。今日も、Aさんがカメラを持ってついてきた。予告したわけでもないのに、どうしてこういうことができるのだろう。Aさんも、こういう取材を通じて、走ることに興味を持ったようで、私に「どんなシューズがいいのでしょうか」と聞いてくる。これでジョギング仲間一人確保。
 築地中央卸売市場へ。宮城県知事時代は、年末に欠かさず仙台中央卸売市場の視察をしていた。築地市場の中まで入るのははじめて。同じように活気があるが、断然に広い。視察後、市場移転反対で活動している皆さんと朝飯定食をご一緒した後、意見交換。豊洲への移転反対を口々に述べる。食品を扱うところに毒があったのでは商売にならないという趣旨が多かった。そういうことを業者自ら言う時点で、風評被害発生の予約をしていることにならないか。それだけでも、移転のむずかしさを物語っているような気がする。
 午後からは、下北沢へ。商店街を蕎麦屋を探しながら歩いていたら、高校の後輩のS君がマクドナルドから出てくるところにバッタリ。てっきり、私の日程を知っていて会いに来たのかと思ったら、まったくの偶然。S君と商店街を歩いていたら、5分後には在米日本大使館でご一緒だったMさんとバッタリ。おととい有楽町の路上で黒川紀章さんとバッタリお会いしたり、このところ偶然が続く。
 下北沢では、駅前地区を通る補助54号線建設計画の見直しを主張する人たちのご案内で、商店街を歩いた。40年前、学生時代にはキャンパスからすぐ近くだった下北沢には、行ったことがなかった。今や、狭い道の両側に面白そうな店が並ぶ楽しい空間になっている。「ざわざわ下北沢」と印象を言ったら、そういうタイトルの映画もできているとのこと。
 夕方、仙台へ。いろは横丁の「鳥よし」に寄ってみる。「シローと夢トーク」の番組出演を終わった後、必ず通った店なので、100回以上は行った計算になる。親方と栗ちゃんに、しばしのお別れも言いたかった。


2007.3.9(金)

 12時、都議会の民主党議員団にお目にかかって、都知事選出馬表明の報告と、幅広い支援のお願いをした。34名の議員団は、多士済々である。意見もだいぶ広がりがあるようだ。自分たちらしい応援を、自分たちで自由にやっていただきたいという趣旨を申し上げた。
 夕方は、中野のZEROホールでの「浅野さんと都民が東京を語る会」に出た。2月25日に、東京駅八重洲口の富士屋ホテルで「浅野さんのハートに火をつける会」があった時には、何にも言えなかった。そのお返しのような気持ちもあって、今回は20分だったが、思いを話させてもらった。石原知事への批判は今日からは控えて、都政で何をやりたいかを中心に話すことにしたが、今日がその第一弾である。熱狂というほどではない、静かな熱さのようなものを感じる会であった。


2007.3.8(木)

 昨夜は比較的早く就寝できたので、今朝は走ることにした。体調は順調、天気はと言えば、富士山の姿がくっきりと見える晴天。風もおだやか。ということで、短パン、長袖シャツ、つまり、ウインド・ブレーカーなしのスタイルで走ることにした。桜田門の手前あたりで、車道からの視線ならぬカメラ線を感じたら、おなじみのフジテレビのOさんがタクシーの窓からカメラを向けている。後ろから、カメラを持ってAさんが追いかけてくる。「よくやるな」と苦笑してしまう。ひとりぼっちで走るより、このほうがいい。そう思いながら、一周5キロを28分半ほどで走った。実に気持ちがいい。
 今日の日程は比較的余裕がある。そんな中で、心底驚いたのは、有楽町の路上で今回の都知事選挙に出馬表明をしている黒川紀章さんにばったり会ったこと。ビックカメラのあるビルの7階にある「よみうりホール」で連合東京の主催する会合に出席して表に出てきたら、私を取材する予定の某新聞社の記者が別な方をインタビューしている。一般の方に「都知事選どう思いますか」といった取材をしているのかなと思ったら、この方が黒川さんだった。あまりの奇遇に驚きながらも、握手をして、「ぜひ、政策論議をしましょう」と言いつつ、お互いの健闘を誓い合った。ビックカメラに買い物にいらっしゃったということで、手には買ったばかりの商品をお持ちだった。それにしても、こんなことってあるのだろうか。私の人生の偶然の出会いのうちでも、これがベストワンだろう。


2007.3.7(水)

 昨日、東京都知事選挙への出馬表明をした。朝からあわただしい。今となっては、番組名も覚えていないほど。フジテレビ、日本テレビ、又フジテレビに行って、午後から日本テレビ。だったかな・・・・? 番組によって、ホッとする感じで勇気をもらうというのと、そういう感じと反対の思いを残すのと、さまざま。その中で、フジテレビの「とくダネ!」の小倉智昭さんの目がやさしかったのが、とても心に沁みた。こちら側の勝手な思い込みなのだろうが、こういう状況では、勝手な思い込みも悪いことではない。
 連合東京で役員の方々、連合本部で高木会長、参議院議員会館で民主党国会議員の方々、民主党本部で三役の皆さま、社民党本部で幹部の方々にお会いして、東京都知事選挙への出馬の報告と、幅広い支援のお願いをした。どこでも、にこやかに、暖かく迎えていただいたことに感謝し、勇気をいただいた。その合間に、スポーツ新聞2紙の取材。築地で波除神社のお参り(取材の一環)したり、昼食で韓国料理食べているところを撮られたり。行く先々で、大勢の取材陣から「ぶら下がり」を受ける。報道陣の熱心さに、こちらも応えていかなければならない。「疲れますか」と何度も聞かれたが、本当のところ、全然疲れは感じない。この程度の日程は、宮城県知事時代でも珍しくなかったこともあるし、気が張っているせいもあるのだろう。


2007.3.6(火)

 いよいよである。午後4時から、東京都庁の記者会見室で東京都知事選挙への出馬表明の会見。その前に、会見で発表する文書の最終チェックをして、昼からのSFCフォーラムでの講演に臨んだ。前から予定されていた日程であり、慶應義塾大学SFCの総合政策学部の教授が現職であるから、予定通りやらせていただくのは当然である。会場の帝国ホテルでも、たくさんの報道陣のぶら下がり取材を受けた。講演1時間は、地方自治についてきっちりとまとめることができた。次の日曜日に仙台で講演が二件あるが、それ以外のところでの講演は、これでしばらくないということになる。
 講演後も、文書の最後のチェックをしてから、東京都庁へ。考えてみたら、都庁に入るのは、これが初めてである。隣の議会庁舎は、会議で来たことがある。記者会見では、記者の数、カメラの数に圧倒された。何十台ものカメラに顔を向けるが、これだけで5分以上かかったような気がする。記者会見では、用意した文書を淡々と読み上げる形でやらせてもらった。記者の他に、2月25日の会合に来ていた人たちの何人の顔が見えた。そういう人たちを見ると、グッときてしまうので、なるべく見ないようにして読み上げた。記者の質問も次々と。尋ねられて、自分の考えを話せるのは、とてもありがたい。質問が全部終わらないうちに、予定の5時になってしまい、そこで打ち切り。
 近くの京王プラザホテルに移動して、各局のニュースへ中継生出演。フジテレビ、テレビ朝日、日本テレビという順番だったかな。この辺も記憶が飛んでいる。夜中は、TBSテレビの「ニュース23」で筑紫哲也さんとやりとり。宿題を出し終えたということでホッとしたというのが第一。そして、いよいよ戦いということでやる気ムラムラ、次に来るのが、選挙をやれるということでのワクワク。そういったところだろう。


2007.3.5(月)

 東京都知事選がらみで私に密着取材をしているマスコミ各社の方々のリクエストに応じて、今朝のジョギングはカメラつきでということになった。6時過ぎの仙台は、ほんの少しの雨模様。走るのに気になるほどではない。今日は取材と割り切って、大橋付近で何度も同じところを行ったり来たり。
 宮城県社会福祉協議会に行って、今日付けで、会長職の辞表を提出した。この会長室に来ることもないかもしれない。職員の皆さまにも、あわただしくご挨拶をして、再び東京へ。
 東京では、明日の正式出馬表明に向けての文書作成の最終局面。こういうのも、自分でやることに意義があるとは思い定めつつも、時間との戦いになっている。


2007.3.4(日)

 知多半田駅を6:27に出発という日程である。大阪から半田まで、ずっと報道陣が随行している。こうして一緒にいると、妙な仲間意識のようなものが芽生えてくる。各社の記者の名前もようやく覚えた。新幹線を品川で降りて、近くのホテルに急いで移動して、日本テレビの「ザ・サンデー」に中継生出演。それを終えて、テレビ朝日に急行して、「サンデー・プロジェクト」にスタジオ生出演。田原総一朗の突っ込みは、予想ほど厳しくなくてほっとした。
 その後は、出馬表明の際の資料づくり。時間がないので心はあせる。作業を中断して、夜遅い新幹線で仙台へ。


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