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ジョギング日記  9月第4週分               

2006.9.23(土)

 秋分の日の朝は、大阪。読売テレビの「ウェークアップ」に出演のため、7時ホテル発なので、今朝の走りは最初から予定せず。大阪城が近いロケーションだし、こんないい天気なので、無理しても走ればよかった。

 番組は楽しい。辛棒治郎さんのテンポいい司会ぶり。隣に坐る用稲千春さんは、東日本放送在籍での仙台時代からの顔なじみ。解説委員の岩田公雄さんとも、いろいろなところでお会いしている。ゲストの岩井奉信さんは初めてだが、橋本五郎さんは旧知。そんな気楽さもある。安倍新内閣の閣僚予想もあったが、それよりも、国政選挙なしの政権交代のおかしさを指摘したかったので、「小泉さんは、なんでこの時点で辞めるのか」ということを言ってみた。タイのクーデターによる政権交代を「変だね」と言う資格は、今の日本にはないのではないか。

 番組が終わって、新大阪から東京に移動して、「岐路に立つ日本―制度改革の行方―」という発達障害福祉連盟主催の会で短い講演。いつも1時間半の講演に慣れているので、50分となると、気が焦る。いつも以上の早口でしゃべりまくったが、言い残したことがたくさん。話し手とすれば欲求不満なのだが、聴いているほうは丁度いいのかもしれない。  


2006.9.22(金)

 からっとした快晴の朝だったので、走らないのはもったいないという想いから、家の周りをぐるぐる走り。「ぐるぐる走り」は、初めての試みなのだが、要するに、信号にひっからないコースということで、南町通り→晩翆通り→青葉通り→西公園通り、一周1キロぐらいを3回ほど回ったということである。4キロしか走っていないのに、途中でいやになる。変わり映えがしないコースだからだろう。走る醍醐味は、次々と変わる景色にある。三回も同じ景色が回ってくるだけでは、その楽しみがない。そんな変わった経験をした朝であった。  

 朝日新聞千葉支局、読売新聞東北支局から、談合問題についての取材が別々にあった。知事時代の入札契約制度の改正により、宮城県の公共事業の落札率が劇的に下がった。これは談合がほぼ完全に排除できたからである。他県では、いまだに談合花盛りのようなところもある。そういうこともあっての取材だったのだろう。この問題は、結局は、選挙のありようと深く関わっていることなどを申し上げた。


2006.9.21(水)

 宝塚ホテルで目覚めた朝。出発は7時近くになっていたが、宝塚大橋を渡って、武庫川に下りる道をみつけて、川沿いを走る。どっちが川下かわからずに走っていた。川下方面なら下り坂なのだが、走っていて平らに見えた。反転して戻ったら、すぐにわかった。上り坂である。今までが川下方面、それを反転して上流に向かう。しかも、結構な向かい風である。人生もこんなものかなと思った。追い風、下り坂を走っている時は、走りは楽なはずなのだが、そのことは感じない。逆に、向かい風、上り坂になると、走りが楽でなくなることで、「逆境」にいやでも気がつく。結構気温が高い中で、10キロ。

 それにしても、反転すると景色ががらっと違う。上流に向かって走ると、宝塚大劇場が目に入り、急斜面に張り付くマンション群の姿が迫ってくる。なかなか印象的な風景である。14年前にも宝塚を走っているのだが、このコースではなかった。どこを走ったのかは思い出せない。

 10:30−12:00まで「障害者自立支援法における地域生活」という演題で講演。例によって、緞帳が下りている前で10:16から「前座」をやった。これをやると、聴衆がリラックスして乗ってくるのがわかる。講演の最後のほうになると、時間切れを気にしてあせってくるだが、今日はそんなこともなく、余裕を持って12:00ピッタリに終了。内容はともかく、それだけはうまくいった。  


2006.9.20(水)

 午後から宮城県社会福祉協議会の理事会。会長として議長を務めたが、それだと会長としての発言の機会が制限される。それはいかがなものかということになり、次回の理事会からは他の理事が議長を務めることになった。理事会の最後に、会長の給与を次月から一部返上して10万円にするという報告をさせてもらった。

 夕方の飛行機で伊丹空港経由で宝塚市へ。空港では、14年前に厚生省時代の私を宝塚での講演に呼んでくれた松藤聖一さん達が迎えてくれた。当時は福祉関係の部署だったのが、現在は宝塚市環境部長。「なかなか福祉に戻れません」と松藤さん。兵庫県手をつなぐ育成会の松井美弥子理事長、宝塚市手をつなぐ育成会の小原冷子会長、宝塚市障害者就労支援センターの大野セツ子所長、全日本手をつなぐ育成会の松友了常務理事と遅めの夕食。松藤さんが、14年前のアルバムを持参していた。「浅野さん、当時から変わっていない」と言って見せられたが、私から見ればちゃんと変わっている。当然ながら、14年前の写真の私は14年分若かったということ。写真を見ながら、14年前のことがだんだん蘇ってきた。


2006.9.19(火)

 少し疲れ気味ではあったが、短い距離だけ走ろうということで、大橋経由澱橋戻りの4キロを軽く駆ける。走ってみれば、やはり気持ちのいいものである。

 午前中東北大学の研究室。午後からは宮城県社会福祉協議会で執務。夕方が珍しく空いていたので、聡子とフルキャスト・スタジアム宮城に楽天対日本ハムを観戦にでかけた。久しぶりの球場応援。聡子は今シーズン初めて。昨年は4,5試合、見に行った時はすべて楽天の敗戦だったらしい。そして、今夜も1対2で楽天の負け。ピッチャーは良く投げたのに、10安打しかも2塁打4本で1点はないでしょ、野村さん。


2006.9.18(月)

 長い旅から帰ってきて、久しぶりの家での夕食。聡子が帰ってきているので、一家5人での夕食は、テーブルが狭い。日本人に生まれて良かったと思うようなメニューの食事である。ビール一缶だけで、いい気持ちになった。

 朝日新聞の「時流自論」に書いたものが、今朝の紙面に掲載されていた。それを知ったのは、三重県庁職員の山路栄一さんからのメールを読んだからで、その時点では新聞を読んでいなかった。こういうこともある。自民党総裁が決まったら、早い時期に解散総選挙をすべきであるという主張が中心である。政党が政策よりも、与党であること、政権を維持することを優先させ、そのために国民的人気のある人を総裁に選ぼうとすること、これらはすべて「与党ボケ」である。「自民党総裁選挙に、納税者、有権者である我々が関われないのはおかしい」と怒るのも国民の「与党ボケ」。自民党員でもない人が関われるはずもない。怒るのなら、選挙で民意を問うこともなく、政権が取って代わることのおかしさに対してだろう。


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