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ジョギング日記  4月第5週            

2006.4.30(日)

 4月最後の走りは、SMCにて。私が着いた時には、源吾茶屋前の花見の後片付けをメンバーが終えるところであった。つわものどもの宴の後を、つわものどもでなくて、SMCのメンバーが黙々とやっている。桜は盛りを過ぎて、色はあせ、葉桜になっている。毎年の風景であるが、来年はつわものども、つまり花見客がきちんと片付けをして帰ってもらいたい。

 今朝の7キロを入れて、4月の月間走行距離は127キロ。この日記は4月に何回書いたか、ついでに調べてみたら30回。つまり、一日も欠かさなかった。ちなみに3月も31回だから休みなし。1月、2月は、ともに2回欠けていた。それにしても、ずいぶん真面目に書いているのだなと、自分で驚いてしまった。  昼間、でかけるところがあって、久しぶりに市バスと地下鉄に乗り、地下鉄の駅からは家まで歩いて帰ってきた。何人かに声をかけられながら歩くのは、ちょっと気恥ずかしいが、天気もいいし、歩いていることに幸せを感じる日である。


2006.4.29(土)

 ゴールデン・ウイークなる大型連休が今日から始まるらしい。こちらの生活はいつもと変わらない。昨夜遅かったので、今朝の走りは休んだのが、「いつも」とちょっと違うが、これは連休とは何の関係もない。

 いい天気である。暑くも寒くもない。桜が散り始めたところで、ケヤキ並木の芽吹きが盛んになってきた。昼食時のちょっとした行事以外、何も予定が入っていない土曜日。メールへの返信や、原稿の手直しなどを少しやっただけで、あとは知的活動もなし。考えてみれば、こういう一日は久しくなかった。やはり、私にとっても、ゴールデン・ウイークということなのかもしれない。


2006.4.28(金)

 久しぶりに自宅からの6キロ走。大橋、澱橋、八幡町、復路は国道48号、晩翆通りを南へ定禅寺通り、広瀬通り、青葉通りと抜けるコース。仙台二高の前で桜吹雪を受けながらの走りであった。

 午前中は東北大学に行ってから、県社協へ。ここに岩波書店から著書が送られていた。「疾走12年 アサノ知事の改革白書」。5月2日出版だが、早めに現物が届いた。中身はともかく、表紙の出来が良く見えるのは、「親の欲目」か。著書はなんとなくわが子のように見える。出来の悪い子ほどかわいいということも、「あとがき」に書いた。早速、新聞2紙から、出版に関して取材を受けた。宣伝になるのだから、著者としてはありがたいことである。  


2006.4.27(木)

 今週のSFCでの仕事を終えて、横浜の家を引き上げる日である。朝は、仙台の家より早く目覚めてしまう。TBSラジオをつけて、5時からの「おはよう定食」、5時半からの「おはよう一直線」で流れる生島ヒロシさんの声を聴きながら起床。新横浜方面への6キロ走をしている途中から、雨が降りだした。

 新潟市での講演があるので、東京駅から新幹線。車中で長岡市長の森さんにお会いした。21世紀臨調での地方分権について一緒に議論した方である。新潟では、1時間半講演して、すぐ新幹線で仙台に帰るという日程である。  


2006.4.26(水)

 SFCでの朝1時限の出番なので、横浜白楽の家を7時40分に出る。その前に、軽く5キロのジョギング。東横線、相鉄線、神奈川中央バスを乗り継いで、研究室に着くのが9時ちょっと前。すぐに日浦美智江さんから連絡があって、「キャンパスに着いたよ」とのこと。「地方自治と福祉政策」研究プロジェクトに講師としておいでいただいた。重症児(者)が通ってくる「朋」がいかにしてできたか、動けない、しゃべれない重症者が、働くことはむずかしくとも、「働き」はすることができるといった話を、わかりやすく、感動的に語ってくれた。12人の学生も心から感激し、深く考える契機を与えられたかのようである。

 授業を終えてすぐに都心へ。取材、アポイントをこなして、岩波書店での雑誌「世界」の対談へ。第二回目のお相手は、スペシャル・オリンピックス日本の理事長から名誉会長になったばかりの細川佳代子さん。細川さんは、長野での世界大会を大成功に終わらせるまでのエピソードを中心に、「ここはオフレコ」という話が1時間近くあって、予定時間を大幅にオーバーする熱演であった。「対談」ではあるが、ほとんどは細川さんの熱弁だったので、編集には工夫がいるだろう。聴いていて、何度か涙が出てきてしまった。午前中の日浦さんの話でも、何度か同じことがあった。涙づいていた一日であった。

 日程的にも忙しく、原稿やらの宿題を一杯抱えていて、常に何かに追われているような日が続く。何か忘れていることがあるような気持ちがつきまとっているし、実際に、今日はいくつかの忘れものをしてしまった。こういう生活をエクサイティングと呼ぶか、貧乏性生活と呼ぶか、微妙なバランスの中にある。 印象の一日であった。


2006.4.25(火)

 8時15分の仙台発新幹線で慶応大学sfcに向かう。13時からの3時限には、後から出席カードでチェックしたら181人の受講者であった。レジュメは194名分出ているのは、なぜだろうか。今回から、「飲食学生指定席」と「睡眠学生指定席」を設けることにした。後者は半分冗談であるが、飲食については、少なくとも教室の真ん中、前のほうでは遠慮してもらいたいという思いである。他の学生も、隣で飲食されていたら、講義に集中しづらいのではないか。睡眠学生が出るのは、ある程度仕方がない。眠らせるような講義をする講師の責任でもある。レジュメで、「前回の質問から」、「先週の誤字」というのを書いているのは、学生には好評であった。質問は、出席カードに書いてあるコメントから拾っているものであり、それについては、次の授業で一つひとつ答えることにした。双方向性の授業になる。

 4時限の研究プロジェクト「組織における危機管理」は、今回から学生のプレゼンテーション。東横インと三菱自動車の2テーマであったが、どちらもパワーポイントを用いて、わかりやすい説明であった。学生がこのような形で要求に応えてくれるのは、とてもうれしいことである。

 6時からは、大学院生を中心にした学生に、アドホックの講義。しゃべり続けたという印象の一日であった。


2006.4.24(月)

 鶴岡市の湯野浜温泉で目覚めた朝。外はかなりの雨、そして風である。走れないというだけではない。今日の大事な撮影がとても無理と思えるほどの雨脚で、「とうほく食文化応援団」のツキもこれまでかと思いつつ、露天風呂に身体を沈めながら、雨空を見上げていた。

 7時半にホテルを出て、撮影現場の湯田川温泉に向かうにつれて、空は明るくなり、雨脚は弱くなっていった。梅林で湯田川温泉女将の会の庄司みきさん、中鉢やすこさんとの撮影を始める頃には、青空が広がり始めた。我々のツキはまだ落ちていないことを確認できたし、撮影も快調に進んだ。出来が遅れていた尾形さんの竹林の孟宗竹の今年の掘り起こしは、今日が初めて。その初めての孟宗を私が掘り起こすという場面も撮影できた。その孟宗を使っての孟宗お料理がずらりと並ぶところを、二人の女将のお話を聞きながら、梅の香りが匂うところで収録するのだから、いい場面にならないはずがない。梅の香りが画面で表現できないのが心残りであった。

 再び、月山、湯殿山の素晴らしい景色を眺めつつ、帰路についた。仙台に帰り着いて、県社協で一仕事。その後、たまたま仙台に収録に来ていたに生島ヒロシさんから連絡があって、久しぶりに会食。短い時間だったが、話が弾みすぎるぐらい弾んだ。


2006.4.23(日)

 素晴らしい青空。桜は満開。SMCの集合場所の源吾茶屋前は花見客が早朝から場所取りでたむろとしている。毎年の光景であるが、今年は例年よりだいぶ遅いこの時期になった。広瀬川沿いの柳も緑を濃くしている。これも例年どおり、三居沢の東北電力水力発電所のところの桜並木を走って、いつものコースに戻った。感動的なほどに春爛漫の下での走りであった。

 「とうほく食文化応援団」のロケで自宅を11時10分発で山形方面へ。今回は光子も同行。途中、月山の雪に感動しつつ鶴岡着。明日の本番のためのロケハンで湯田川温泉へ。梅林には梅のいいにおいがたちこめ、隣には桜が咲いている。遠くに望む鳥海山は雪をいただいてくっきり。最高の天気、最高の季節に感動。夜は湯の浜温泉満光園に宿泊。露天風呂から、日本海に夕陽が沈むところを見る予定であったが、雲が出てきて見えず。人生、そうなにもかもうまくいくはずはないものである。


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