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ジョギング日記 4月第4週             

2006.4.22(土)

 福岡の朝は雨。時間的には余裕のある朝であったが、天気ゆえに走るのはあきらめる。ホテルから空港まではタクシーで15分の距離。この交通至便さは使う側にとっては最高であるが、騒音に悩まされる住民にとっては怨嗟の的であろう。市内の目抜き、天神の交差点で視覚障害者のためのチャイムがなっていたが、これは全国共通で「とおりゃんせ」のメロディーである。「天神様の細道じゃ」という部分をこの土地の人はどういう思いで聴いているのかなどということを考えたのは、昨日のことであった。

 東京での用務は、四谷プラザエフでのメディア総研主催のシンポジウムでの講演。「県警犯罪捜査報償費問題におけるメディアの役割」というのが与えられたテーマである。40分でこれを語るのはむずかしいことではある。「県警犯罪」の後に「・」が入るようなこの問題の理不尽さを、知事という予算執行の最高責任者の立場にあった者として、冷静に厳正に伝えていくことは、今の立場にあっても自分の義務だと感じている。自分の講演の後のシンポジウムは、高知県警の犯罪捜査報償費問題を旧知の高知新聞竹内誠記者が、沖縄返還密約問題を北海道新聞の往住嘉文記者が、大阪市役所のカラ残業問題を毎日放送の奥田信幸記者 が、それぞれ熱っぽく論じていた。

  偶然にも、同じ建物の2階下では、「ローカル・マニフェスト水深地方議員連盟」の研修会が開催中であった。ちょっと顔を出してみたら、慶応大学の同僚である曽根泰教教授が講演中。マニフェストの仕掛け人である北川正恭早稲田大学教授の姿もあった。飛び入りで短い挨拶をさせてもらった。北川教授からは、今朝の朝日新聞で報道されていた「地域創造ネットワークジャパン」の代表に私がなる予定であることに興味を持っているとの話があった。団塊の世代が社会で意味のある活動をやっていく後押しをするという活動であるが、まだまだこれからである。むしろ、北川教授の知恵と力のネットワークをお借りしたい。

  久しぶりに戻った仙台は、桜が盛り。日本列島も広いものだということを感じさせられる。三日間で4回の講演という旅の終わりである。


2006.4.21(金)

 今日も旅から旅へであった。ホテルを6時半過ぎに出て、埼玉県の田園地帯を6キロ結構速いペースで走った。9時には坂本東松山市長がホテルにお迎えに来ていただいて、熊谷ホームの竣工式へ。金子伸行理事長、金子てる総合施設長にとっては、大事な式典である。私の日程の都合で、式典より先に記念講演という変則日程にしてもらったのには、恐縮してしまう。10時から10時45分までの講演であるが、9時40分ごろから「前座」を始めたのは、昨日の講演と同じ。「これからの福祉」という本題より、前座のほうが受けが良かったような気がする。

 熊谷からの新幹線に間に合わせるように、講演を終えてすぐに籠原の駅まで送ってもらった。無事間に合って、羽田空港からの福岡行きをつかまえることができた。福岡で16:30からの講演。2日間で3回の講演というのも、珍しいことであった。その講演の中で、「今日の朝日新聞の夕刊で、今しゃべっているテーマに関係のある記事が出ているはず」と言ったら、担当の方が夕刊を買ってきて、聴講者に配ってくれた。「ニッポン人脈記・分権のあしたへI」というシリーズの最終回だった。


2006.4.20(木)

 結構忙しい一日であった。昨夜が遅かったので、今朝の走りはなし。横浜から仙台に戻って、「いきいき学園」の入学式。60歳以上の方を対象とした2年間の学習の場である。県内5校213人の新入生を前に学園長として式辞を申し上げる任務がある。「ご父兄がお一人もお見えになっていないのが、普通の入学式と違うところですね」といったことも申し上げ、卒業後には地域で活躍いただきたいというお願いもしておいた。

 メトロポリタン・ホテルで、日刊工業新聞の関係者に「ほんものの民主主義とは」についての講演1時間を、前座20分も含めて3時半まで務めて、3時40分の新幹線に乗った。JRを乗り継いで、鴻巣まで。そこから東松山まで行って、金子てる、金子伸行、坂本祐之輔東松山市長、佐藤進の各氏と夕食。明日、金子伸行さんが理事長を務める、東松山市の社会福祉法人松仁会が運営委託を受けた養護老人ホーム熊谷ホームの竣工式があり、そこで記念講演を頼まれていた。ご母堂の金子てるさんとは、私が厚生省老人福祉課で課長補佐をやっている時からのお付き合いだから、30年になる。佐藤進さんとの付き合い20年よりも長い。坂本市長は、福祉に目覚めた元気首長である。昔話にも花が咲き、楽しい夕食となった。


2006.4.19(水)

 久しぶりでの横浜での走りは、六角橋商店街から東神奈川駅方面への往復4キロコース。新鮮なコースでの走りには、新鮮な想いが付随する。時間があればもっと走りたかった。

 慶応大学での授業は、1時現の「地方自治と福祉政策」の研究プロジェクト。メンバーは前回の8人から10人に増えた。熱心なメンバーなので、これからが楽しみである。福祉の窓から覗く社会のありよう、政治のありようを、彼らにどれだけ示せるか。私にとっても、一種の挑戦ではある。

 1時半に渋谷に駆けつけて、朝日新聞の大野博さんと「時流自論」についての打ち合わせ。NHKラジオの「土曜ジャーナル」に出演。テーマは市町村合併である。放送は、
22日土曜日のNHK第一22:15−22:55。録音出演を終えて、日本フィランソロピー協会に久しぶりに顔を出す。そこから、高橋陽子理事長らと六本木のホテルでのゴールドマン・サックスのレセプションへ。職員の7割が社会貢献活動に従事しているなど、この分野では目覚しい活動をしている会社である。持田社長らとの楽しい夕食もあり、有意義な一夜であった。


2006.4.18(火)

 朝の新幹線が早い時間なので、今朝の走りは4キロ止まり。つばきマラソンの疲れは少し残っているが、筋肉の痛みはまったくない。桜の咲き具合を確認しながらの走りになった。

 8時15分の新幹線で、慶応大学SFCでの2週目の授業に出発。ノンストップのこの列車はいつも満員であるが、今回も予定の席が取れなかった。

  火曜日の3時限の「政治参加論」の講義から開始である。定員が多いΩ11教室に移ったが、果たして前回の145人がどの程度の目減りで済んでいるか、心配半分で講義に臨んだ。教室変更の影響もあるのか、1時の授業開始時間に間に合わない学生が続出で落ち着かない。講義中の飲食は、許されているので、堂々と食事中の学生もいる。そういう中での講義であったが、出席カードに履修者全員が書いてくれたコメントには、興味を持って受講している学生の思いがにじみ出ているものがほとんであり、新米教授とすれば大いに勇気づけられた。学生のこの思いにしっかり応えていかなければならないという覚悟を新たにしたものである。講義終了後に集まったカードは185枚。つまり、前回より履修者が40人増えたということになる。これにも勇気づけられた。レジュメやカードの配布、収集をやってくれたStudent Assistantに助けられている。

  4時限は「組織における危機管理」の研究プロジェクト。履修者が約30人と多いのだが、小グループに分けてのケーススタディをやってもらうので、このぐらいの人数で丁度いい気がする。熱心な面々であり、期待が持てる。   


2006.4.17(月)

 レースの翌日は、短い距離でもいいから走ることにしていたのだが、なんとなく休んでしまった。レースの疲れは全くというほどないし、いつも出てくる筋肉痛の兆候もない。それだけがんばりが足らなかったのかと、今になって少し悔やんでいる。地元紙のスポーツ面では、写真入りで私のレース参加が報じられていた。知事現役中にもなかった扱いである。昨年より2分遅いタイム1時間54分10秒も、昨年より27位下げての順位170位も公開されてしまった。

 4時近くまで県社協で執務して、仙台国際ホテルでの「アインシュタインLOVE」というシンポジウムのパネラーの場面にでかけた。「なぜ、今、アインシュタイン」ということも疑問であるが、「なぜ、この私が、アインシュタインについて語るのか」はもっと大きな疑問である。「語る」場面は、3,4分しかなかったので、ボロが出る間もなく出番が終わってしまったのは、私にとっても、600人の聴衆にとっても、幸いであったろう。  


2006.4.16(日)

 つばきマラソン。予報どおりの雨である。ハーフマラソンのスタート10時になっても降り続けている。激しい雨ではないが、寒いし、見通しも悪い。そんな中でも、走り出せば、後はゴール目指して淡々と歩を刻むだけである。今回は、「なんとか完走すればいいや」という感じでのレースになった。目標タイムは、一応、昨年の1時間52分であるが、調子からいってもそれは無理な気がしつつの走りであった。最後まで、「無理をせず」だけを意識して走った結果は、1時間54分10秒。昨年よりほぼ2分遅いタイム。年を取るということは、「ここでがんばれば」というところで、がんばらない勇気を持つことと思いたいが、実際は、「ここでがんばったら、後でつぶれるのが怖い」という勇気のなさのことなのかもしれない。おかげで、ゴールしても、体調としてもどこか余裕がある。  


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