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ジョギング日記  4月第3週           

2006.4.15(土)

 土曜日で時間がある。いろいろやることがあるのだが、気ばかりあせって、結局大したことができずに時間が過ぎる。宿題をやり残している感じ。

 明日の気仙沼つばきマラソンのために、今晩は気仙沼泊まり。例年のように、SMCの仲間を中心にした参加メンバーで、まずは景気づけを「磯村」で。例年と違うのは、宿泊も磯村にすること。明日の天気予報は雨。天気予報がはずれることを期待しつつ就寝。


2006.4.14(金)

 昨夜のお天気祭りが今回も功を奏して、世の中は晴れている。シティ弘前ホテルを6時45分発で弘前城を目指す。10分で到着し、お堀の周りを三分の一ほど走って城内へ。ところどころに雪が残っている。あまり高くない天守閣を眺めてから復路へという6キロちょっと。走っていて暑いなと感じるほどで、街角の気温表示を見たら9℃である。これでどうして町の中に雪が残っているか不思議である。

 ホテル8時半発で、今日の撮影地である青森県深浦町へ。鯵ヶ沢から日本海沿いに南下するコースであるが、天気もいいし、日本海の眺めが素晴らしい。白神地産地消の会の岩本会長との対談の場は、日本海が見下ろせる白神山地のふもとである。この素晴らしいロケーションで、いい場面が撮れないはずはない。撮影と遅い昼食を終えて出発は3時過ぎになった。高速道路を走りに走って、仙台に戻ったのは8時近かった。お疲れ様。


2006.4.13(木)

 次の日曜日16日が、つばきマラソンである。ある程度走っておかないと、当日つらい。かといって、走り過ぎて疲れを残すのは賢くない。ということで、今朝は4キロ走にとどめた。大橋を渡って澱橋のたもとに至ったところで12分。そこから戻っての4キロである。こんな距離でも疲れを感じるのだから、アップダウンが激しいハーフマラソン21キロ余はつらいだろうなという予感がする。

 午前中県社協で仕事をして、午後からは「とうほく食文化応援団」の収録で弘前へ。新幹線で八戸、その後、在来線特急で弘前まで。所要3時間ちょっとである。弘前は、ひょっとして生まれて初めてではないだろうか。東北の生まれ育ちなのに、東北の各地域を知らなかった。この番組をやったおかげで、58歳にして初めて行く東北の各地域がたくさんある。

 夜の打ち合わせ、「お天気祭り」を兼ねた夕食が、このロケの楽しみなのだが、今晩は弘前市内の「津軽三味線と郷土料理の店 杏(あんず)」にて。津軽三味線の若き家元多田あつしさんはじめ4人の生演奏を聞きながらの郷土料理は記憶に残るものであった。雨が降っている。明日の撮影は大丈夫だろうか。

 11日(火)の慶応大学での初講義「政治参加論」の出席カードを改めて数えてみたら、提出者は145名、そのうち95名が裏にコメントを書いてくれていた。当初の教室の定員は72名であったから、丁度その倍の学生が聴講したことになる。


2006.4.12(水)

 慶応大学での講義二日目である。あいにく、今朝の雨では走ることはままならない。7時42分に光子の実家を出て、東横線白楽駅から横浜駅、相鉄線快速で湘南台駅へ。バスで慶応大学湘南藤沢キャンパスまでは、所要1時間と15分であった。今日は1時限の「地方自治と福祉政策」という研究プロジェクトである。

 授業を終えて、神保町でNHKのラジオ番組についての打ち合わせ。それを終えて、すぐ近くの岩波書店にて、雑誌「世界」の連続対談シリーズの第1回として、元北海道警察本部釧路方面本部長の原田宏二さんと対談。宮城県警の犯罪捜査報償費問題の決着をつけないままに知事を辞めることになったのは心残りの一つだったが、北の大地で筋を通している人物である原田さんと話しているうちに、県警の理不尽さに改めて思いをいたすとともに、このままでは済まないはずという、一筋の光明も見たような気がしてきた。


2006.4.11(火)

 いつもどおり5時半に目覚めて、「生島ヒロシのおはよう一直線」を聴く。「おはよう夢占い」では、みずがめ座は「運気は絶好調、友達の輪が広がる。今日のラッキーカラーは若草色」という。今日が慶応大学総合政策学部教授としてのデビューの日であるが、その日の運勢としては、最高のものである。こういう節目には、何があっても走ることにしている。距離は少し遠慮して4キロだったが、心身ともに引き締めるには必要なランであった。

 これから毎週火曜日の3時限と4時限が出講、翌水曜日の1時限を務めて仙台に戻るという日程になる。記念すべき初講義は、午後1時から。一番の懸念は、「学生がちゃんと集まってくれるだろうか」ということであったが、72人定員の教室から廊下にまで学生があふれている状態であった。急遽、広い教室に移動して初講義を続行。なんとか面目が立ったという想いである。「私にとっては、大学教授としての初講義で歴史的な瞬間である。それに立ち会った君たちも歴史的な体験をしている」ということから始めて、あとは自分のペースで進めることができた。出席票の裏に感想を書いてもらったが、これからの授業の進め方の参考にもなる貴重な情報である。


2006.4.10(月)

 角館の朝。町の中には雪が残っている。事前に地図を眺めて、想定したコースを走り出したが、途中でどこを走っているかわけがわからなくなった。保存対象になっている古い町並み、桜並木で有名な桧内川の川べりにはたどり着いたが、ホテルに戻る道がわからなくなった。幸い、町が広くないので、いつの間にか見覚えがある場所に着いたので、無事帰還することができた。

 今日の撮影は、合併して横手市になった旧増田町の奥にある温泉のレストラン。なまず料理と発芽玄米のしゃぶしゃぶという、新しいメニューを開発した山本さんを尋ねた。山本さんは平成15年度の現代の名工に選ばれた第一人者である。名人ならではの味のあるコメントを引き出すことができた撮影は、大成功であった。

 仙台を発って、釜石、宮古、角館、横手と回った一大遠征であった。知らないところばかりで、東北の広さと文化の深さを知らされた今回のロケであった。


2006.4.9(日)

 宮古の浄土ヶ浜ホテルで目覚めた朝。外は曇ってはいるが、雪はやんでいる。6時20分発でゆっくり走り出した。このコースは2度目である。浄土ヶ浜まで下りていって、透き通った海水をのぞきこむ。そこからがずっと上りになる。坂がきついのか、体力が落ちているのか。トボトボという感じでしか上れない。これでは来週の気仙沼つばきマラソンは相当につらいだろうなと思いながら走っていた。国道45号線も上りきって、宮古国立病院のところから反転してホテルへ戻るコース。結構つらい思いの10キロであった。

 朝9時、ロケバスがホテルを出発する頃には、天気は見事に回復して、撮影スタッフ一同上機嫌で釜石に入る。チョウザメと松皮かれいの料理では日本一という「暮六つ」で、親方の柏崎久雄さんにお話を聞きながらの撮影が始まった。ちょうざめは卵がキャビアになるぐらいの知識しかなかったが、薄作り、から揚げ、カルパッチョ風、ステーキ、酢の物、煮付け、スープと、柏崎さんが考案したいろいろな料理法があり、その一つひとつが美味である。松皮かれいのエンガワのしこしこ感も絶品であった。

 釜石での撮影を終えて、今日の泊まりの秋田県角館へ。武家屋敷ホテルでの夕食は、なんとイタリア料理。武家屋敷でなんでイタリア料理を食べなければいかないのかという意味での「なんと」なのだが、食べたら結構おいしかったので、文句はない。ホテルの近くに武家屋敷温泉というのがあって、そこまで5分歩いて行く温泉というのも、楽しいものである。


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