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ジョギング日記  1月第1週           

2006.1.7(土)

 最低気温がマイナス7度になると天気予報で脅かされていたので、走るのを自粛した。結果は、−5.1℃であった。これでも十分寒いので、走らないのは正解としても、予報であまり驚かせない欲しい。

 正月休みから続く原稿書き前倒し作戦は、まだ終わらない。岩波新書の「痴呆を生きること」(小澤勲)の書評を書き上げた。書評は、まずはその本をじっくり読まないと始まらない。考えてみたら、書評はあまり書いたことがないので、スタイルなどなじみがない。そんなことで、とまどいつつも、一応終了。

 夕方、思い立って、妻と東宝劇場に「ALWAYS三丁目の夕日」を見に行く。最後に劇場で映画を見たのが、一昨年の「エルヴィス・オン・ステージ」。夫婦の一方が50歳以上だと、1800円の入場料金が1000円になるといううれしい特典。「50歳以上を証明するものを提示してください」と係りの人に言われて、ちょっととまどった。70席の小さな館内にも、とまどったが、映画は評判どおり面白かった。昭和33年が映画の舞台だから、我々世代が見に来るのは当然だが、若い世代の観客が意外に多かった。「携帯も、パソコンも、テレビもなかったのに、どうしてあんなに楽しかったのだろう」(予告編のナレーションから)というノスタルジアは、十分に満足させてくれる。


2006.1.6(金)

 今日も朝から、施設訪問。はじめは太白荘。平成13年に宮城県から運営を委譲された救護施設である。救護施設に来るのは、これが生涯初めて。生活保護法に基づく施設であるが、入所しているのは大部分が知的障害者。それも、高齢の方が多い。最近では、精神病院を退院した後、すぐには地域で暮らせない人のための受け入れ施設の役割が大きくなっている。この太白荘でも、入所者の地域生活への移行を開始したところ。他での生活の経験がなく、ここにいることを「居心地がいい」と感じている人に、外での地域生活をどう促していくか。船形コロニーとは違った問題がある。

 午後からは、啓佑学園・第二啓佑学園へ。これも、県からの運営委譲を受けた施設。前者が定員60人の知的障害児施設、後者が定員30名の知的障害者施設である。自閉症の入所者が大半。行動障害を伴い、障害程度が重い上に、若い人たちが多い。だから、動くしコミュニケーションがとりにくい。処遇上は、他の施設以上に大変な困難が伴う。人手も十分でない中で、本当によくがんばっている。ここも、社会福祉協議会(昨年3月までは福祉事業団)が運営するようになってから、地域との関わりが格段に強くなった。入所者への処遇に止まらず、在宅の障害者への対応をどう広げていくかも、大きな課題である。


2006.1.5(木)

 朝から、船形コロニーへ。社会福祉協議会が運営する重度の知的障害者のための入所施設である。2002年11月に当時運営していた宮城県福祉事業団が発した「船形コロニー解体宣言」は衝撃的であった。現在は、2010年までの解体を目指して、着実に事業の実践が積み重ねられている。職員が趣旨を理解し、主体的に事業を進めている姿に感動する。それにしても、行動障害を伴う利用者への処遇を、この人数でやっていくのは、限界に近いのかもしれないと感じる。最後に訪問した大和町吉岡のグループホームで夕食中の4人の女性に、「船形コロニーに帰りたいですか」と尋ねたら、はっきりと「いやだ、絶対にいやだ」という答が全員から返ってきたのには、予想していたとはいえ、強く印象に残った。

 前日ほど風は強くなかったが、寒い一日。そんな中で、熱い想いが飛び交うのを感じた。やはり、現場はいいものである。


2006.1.4(水)

 仕事始め。社協で新年のあいさつ。午後からは、恒例の仙台市・仙台商工会議所主催の新春祝賀会に。知事でない立場では初めての出席になるが、仙台の政財界の関係者が千人以上参加する会なので、出席すると新年のご挨拶がいっぺんで済むので便利である。藤井前仙台市長に久しぶりにお会いした。会う人ごとに、「ストレスがなくなって、前よりはつらつとしてますね」と言われるが、本人にはそんな自覚はない。「教授」とか「先生」と呼ばれるたびに、少しうれしい。

 風の強く吹き荒れた一日。早めに帰宅して、相変わらず原稿の書きだめ。正月休みから、原稿14本、レジメ5本書いた。


2006.1.3(火)

 朝から箱根駅伝のテレビ中継にかじりついていた。自分のほうの走りは、休止。今回は、ドラマが満載のレースであった。8区の順天堂大学のキャプテンが、首位を独走していたのに、足の痙攣、脱水症状でフラフラになっていたのには、見ているこちらもハラハラドキドキ。駒沢大学の5連覇確実と思っていたら、亜細亜大学が逆転。駒沢の4年生アンカーも、フラフラ状態になるというどんでん返し。人生の有為転変を見ているようだというのは、大げさかもしれないが、これが箱根駅伝の魅力である。

 そうこうするうちに、正月休みも今日まで。今回の休みは、真面目に原稿書きに精を出したり、どこへも出かけず、穏やかに過ごした。今年一年、明日からがんばるというスタート台としては、これでいいのかもしれない。


2006.1.2(月)

 目が覚めたら、5時54分だった。昨年も、寝坊して5時55分の目覚めだった。不思議な一致である。仙台駅までは走って10分もかからないのだから、あせることはない。6;33集合。今年も、塩釜神社への参拝マラソンに元気で参加することができた。ありがたいことである。参加者は29名。足元の雪が心配だったが、一部を除いて、ほとんど支障なし。気分良く走ることができた。復路も、ゆっくり走ったことと、途中で2箇所足伸ばしの休みを取ったこともあり、順調に走り終えた。往復34キロを完走することは、「今年も大丈夫」という自信につながる。

 帰宅は12時近くになった。早速、箱根駅伝のテレビ観戦。3分ぐらいの差なら、順天堂大学の今井正人選手は5区でトップに立つはずと予想していたのだが、すっかりそのとおりになった。それにしても、昨年の驚異的な区間新記録に続いての今井選手の快挙には、脱帽である。


2006.1.1(日)

 2006年の元日は、穏やかに明けた。前日までの雪が路上に残っていて、ランナーにとっては芳しくないコンディションではある。恒例のSMCの初走りで、源吾茶屋前に集合。こもごも新年の挨拶を交わし、記念撮影。大崎八幡神社まで一緒に走って、そこでも記念撮影。それぞれお参りを済ませて、源吾茶屋に戻り、そこで 甘茶を飲みながらささやかに新年のお祝い。40人ぐらいは集まっただろうか。今年も、それぞれ元気に走れることを祈念した。

 その後は、自宅での新年のお祝い。お雑煮、おせち料理、年賀状。型どおりであるが、正月は型どおりが一番。我が家も、今年一年いい年になりますように。心からそう願う。 元日でも、ちょっとだけは原稿書いたり、夜は、ちょっとだけワインを飲んで、家族みんなで罪のないテレビを見たり、それなりに充実した一日ではあった。


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