宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記  4月第3週    

2004.4.17(土)

 満を持して、今朝は走らない。走らないことによる不安はあるが、疲れをためるよりはいいだろうということ。

 この週末は、原稿を書く時間が見つけられないスケジュールなので、「寸暇を惜しんで」という感じでいかないと乗り切れない。

 10時から、利府の総合運動公園にて、記念碑の除幕式参加。平成7年、京都市で開催された都道府県対抗女子駅伝で、わが宮城県チームは堂々の優勝を飾った。その快挙を記念する碑を京都宮城県人会の方々がご寄贈して下さった。小野寺会長がわざわざ京都からお越しになっての除幕式である。当時のチームの第1走者高橋千恵美さん、中学生だった穂積愛さん、アンカーの佐藤あゆみさんが出席。関係者と昔話に花が咲いた。最近の成績がいま一つなのが残念なのだが、大きな企業がないという条件の中では、チーム編成はとてもむずかしい。

 1時から岩沼市にて、ロータリークラブ2520地区大会に出席。今回、ロータリークラブで、宮城県と岩手県が合併した。増田岩手県知事との関係、私が岩手県大船渡市生まれであること、今日は岩手県を一部通って気仙沼に行くことなどを盛り込んで、祝辞を申し上げた。

 その気仙沼行きは、大和町での山林火災発生のため、一時は見合わせることも考えた。朝10時ごろ発生した火災が、延焼中。民家やゴルフ場にまで迫る勢い。一時は新幹線も止まった。異常乾燥の中、風速26メートルの風が吹き荒れている。大きな山火事になることも覚悟しなければならない。状況を見ながら待機をしていたのだが、幸い、午後4時49分に鎮圧。これを確認してから、気仙沼に向ったので、到着は予定より3時間ほど遅れてしまった。

 明日は、大島でのつばきマラソン。SMCのメンバー有志と、気仙沼市内のいつもの場所で夕食をご一緒して、早めに就寝。


2004.4.16(金)

 疲れを残してもいけないが、全然走らないのもよくない。ということで、今日は4キロを軽く走った。朝食は、寺島実郎さんと。会うたびに知的刺激を受けるし、考えるヒントをいただく。一時間ちょっとの時間が、あっという間に過ぎていく。密度の濃い時間である。その分だけ賢くなった気がするが、それはその時だけのことかもしれない。

 朝一番の会合は、知事・市町村長の有志会議。固有名詞はついていないはず。増田岩手県知事が座長。市長が7人、町長が1人。今回の出張の締めくくりのようになったが、地方財政自立改革のための会議である。そもそも「地方財政自立改革」という用語は、前回のこの会議で私が提案したものである。ここでは、この用語が完全に市民権を獲得している。自由な発想と表現力豊かな首長の皆さんである。会議が活発で有意義にならないはずがない。その上に、楽しい。会議のあと、東京事務所に戻って取材を一つこなして仙台への帰途へ。

 帰って来た仙台は、気温も初夏並みに高かったが、仕事の上での熱も高まっていた。宮城県警を退職した人が、犯罪捜査報償費などによる裏金づくりについて内部告発をしたことに関して、取材が待っていた。犯罪捜査報償費に関する情報開示請求訴訟において、被告になっている私に求釈明申し立てがなされたが、それを受けることにしたので、それに関しての動きもあった。それもこれもとり混ぜて、取材応対には結構時間を要した。 


2004.4.15(木)

 朝は、「おはよう一直線」に出演のため、ホテルからTBSスタジオまで走って到着。いつものとおり、生島ヒロシさんと楽しいやりとり。ラジオは構えずに自然体で話せるからいい。つばきマラソンに備えるべき時期である。番組が終わっても、疲れてはいけないので、走りはホテルへの帰り道だけにした。

 朝一番は、厚生労働省の幹部との意見交換。地方財政自立改革(三位一体改革)に関して、我々自治体と霞が関の認識を一致させておく必要性を感じていた。この会合はその一環である。1時間の意見交換であったが、私とすれば厚生労働省の真意の一部が理解できたので、有意義な会合であった。

 午前中のもう1件の会合は、全国知事会の社会文教調査委員会。私が委員長を務める。同じく地方財政自立改革の中で、義務教育国庫負担の扱いをどうしようかということを中心に討議した。2時間で終わらずに、昼過ぎまで食いこんでしまった。そのあとの昼の時間は、雑誌のインタビューへの対応。宮城県の環境問題について。聞き手は北川正恭前三重県知事。

 午後からは、片山鳥取県知事が座長を務める研究会に出席。これも議題は地方財政自立改革である。知事本人は片山知事を含めて5人しかいないので、発言機会が多い。それを最大限に使わせてもらって、いろいろ話させてもらった。そのあとは、全国知事会の拡大正副会長会議。議題は地方財政自立改革。知事の出席が多いので、発言機会は限られたが、ここでも言わせてもらった。

 ということで、地方財政自立改革の議論の一日であった。


2004.4.14(水)

 昨日に続き、今朝も走らなかった。そもそも、つばきマラソン直前であるので、疲労がたまることは避けようという名目なのだが、本当のところは、夜の会合が続いただけのこと。

 その代わりにということでもないが、仕事のほうは、次から次と全力疾走であった。庁内での仕事のほかに、今日は岩沼西小学校の視察という日程もあった。ここでは、知的障害を持つ児童が普通学級で受け入れられている。本格的な統合教育を目指しつつ、しばし調査研究をする。その対象となっている県内3校のひとつである。本来期待していたような効果が出ていることを確認することになったが、考えて見れば、小学校の授業参観などは、公私にかかわらず、何十年ぶりのことである。得がたい経験であった。

 夕方からは東京へ。東京駅で迎えてくれる車のドライバーは、今回からは長谷川さんでない。喪失感が大きい。どうしても、長谷川のことが思い出される。10日前、元気に迎えてくれた長谷川さんが亡くなったということが、いまだに信じられない。


2004.4.13(火)

 昨日のことであるが、今野秘書から「日交の長谷川さんが亡くなりました」という報告を受けて、一瞬、なんのことかわからなかった。東京事務所では、2年前から、ハイヤーを契約で雇うことにして、入札契約により担当することになったのが、日本交通であった。ドライバーは、当初からずっと長谷川さんだった。軽口をたたきながらも、責任感が強く、安心して任せられる人だった。最近も、4月2日、これはこの日記にも書いたような気がするが、東北高校が甲子園の準々決勝で逆転負けを喫した日にも一緒だった。東北高校の敗北を我がことのように嘆いていた長谷川さんだった。死因は、心筋梗塞だったらしいが、元気元気だった方だけに、亡くなったことが今でも信じられない思いである。

 夕方は、三金会の人たちとの桜を見る会、知事公館にて。お庭のソメイヨシノが満開、枝垂桜は七分咲き。最高気温が、昨日は24℃、今日は11℃。さすがに寒くて、外にはいられない。後半は室内に篭っての花見の会であった。


2004.4.11(日)

 SMCの集合場所は、西公園源吾茶屋前であるが、一帯は桜の名所でもある。朝の6時半という早い時間にもかかわらず、花見客そして花見準備客であふれ返っている。構わず、準備体操をし、走りに出発。今年は一緒に走ろうという若者がいなかったのは、寂しいというべきか、ほっとしたというべきか。岡本幸治さんの提案で、5,6人のわがグループはコースをちょっと逸れて、三居沢方面に行ってみた。桜の名所の一つ。神社裏の滝を眺めたり、新鮮な感じ。森由紀男さんは、生まれて初めて来たとやや感激の面持ち。

 朝食後、思い立って、光子とサイカチ沼に花見にでかけた。紅葉の頃、若葉の頃、サイカチ沼に行ってとても良かったという光子の薦めである。車を持たない浅野家なので、市営バスで愛子まで行って、そこからひたすら歩いた。月山池、サイカチ沼、周りをぐるりと巡って見渡したが、どこにも桜は咲いていない。早過ぎたのか、そもそも桜がないのか、しかとは確められなかったが、花見にならなかったことは変わらない。それでも、カタクリや何種類かの山野草が可憐に咲いていて、これはこれで正解のハイキングであった。徒歩ざっと10キロ。朝の走りが9キロであるので、結構疲れた。

 ベガルタ仙台が、勝つ予定であったサガン鳥栖に0対3で完敗。事態は、とんでもなく深刻である。ついでに阪神も負け。幸せではない。


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