宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記  3月第4週     

2004.3.27(土)

 愛子方面への2時間走。西風がとても強い。国道48号線を西に向って走るので、往路は向い風になる。愛子駅到着が59分30秒(推定10.5キロ地点)。復路は追い風を受けて、楽に走ることができた。往路より4分近く早い。走後の体重計測では、昨日より2キロ減で、今年の最低値。なんかの間違いではないだろうか。

 これだけ走ると眠くなるのだが、がんばって原稿を何本か書いた。週末はいつも宿題に追われる感じの人生である。わがベガルタ仙台は、敵地札幌で0対1で敗戦。いまだに、勝ち点どころか得点ゼロは、まことに深刻な事態である。どこの時点で転機を迎えることができるか。ともかく、今はあきらめずにがんばってもらうしかない。サポーターとしても、決してあきらめないのだから。


2004.3.26(金)

 昨晩夕食をご一緒したイタリア大使が、今朝は県庁をご訪問。短い時間だったが、当方から、あれやこれやたくさんのことを提案させていただいた。これを契機にイタリアと宮城県との間に、企業活動や観光、文化分野も含め、緊密な協力関係ができればと願っている。そのすぐ後には、パキスタン大使ご夫妻が表敬訪問。来週は、吉林省の省長をはじめ、中国の東北三省の方々がおいでになる。大連市長ともお目にかかる予定。外国からのお客様が続く。

 年度末ということもあり、各種会議への出席が多い。今日だけでも、宮城県防災会議、宮城県体育協会、東北地方更正保護協会。最後の更正保護協会は、犯罪を犯した人たちの更正にあたるという、地味だが大事な仕事をしている協会で、究極のボランティアといったようなものである。メンバーには、僧侶の方が多い。今日の議題の一つに、評議員を1名加えるというのがあった。それが阿部正敏さんなのだが、彼は子どもの頃、一緒に野球などして遊んだ仲である。中学を卒業して、板前の修業に出たとのこと。今では、新寺小路で40人を超える従業員を抱える料理屋を営んでいる。場所柄、ご法事関係が多いとのこと。評議員に推されたのも、お寺さんとの関係があったから。「もうかってますか」と私が聞いたら、「ボチボチです」と答えたので、「洒落ですか」と応じてしまった。近所はお寺が集まっていて、墓地が多いところなのである。

 甲子園、春の選抜高校野球の1回戦。対熊本工業戦で、わが東北高校のダルビッシュ投手がやってくれました。ノーヒット・ノーラン。2対0。初戦からでき過ぎのような気もするが、決して飛ばし過ぎではない。この調子で勝ち進むと、雨天順延がない限り、決勝戦は4月3日の土曜日。この日は、私の日程は丁度あいている。うまくいけば、非常にうまくいけば、昨年の夏の甲子園同様、決勝戦の応援に駆けつけることができる。

 夜は、私の歴代の秘書の集まり。これまでは2年に1回、つまり、秘書が人事異動になる機会に開催していたのだが、今回は昨年と連続しての秘書会になる。女性秘書の大井川恵子さんが、ご結婚のため県庁を去ることになった。お相手が横浜の方なので、いたし方ない。1年だけの秘書だったが、明るいキャラクターで、とてもよくやっていただいた。彼女が6代目の女性秘書。男性秘書も初代の村上さんから6代目の現在の今野さんまで、歴代秘書が全員参加。大井川さんの次の7代目女性秘書になる照井さんも参加して、狭い「鳥よし」の店内に13人がひしめいての、極めて親密な会になった。こういう秘書に支えられてきたからこそ、11年目になる知事業を楽しく、有意義に務めることができている。感謝、感謝である。


2004.3.25(木)

 朝、なんとなく走る気、起きる気がしなくて、二度寝をしてしまった。眠りが浅いので、へんてこな夢を見ていた。春眠暁を覚えずとは違うのだが・・・。

 夜、イタリア大使とロイヤル・パーク・ホテルで食事。ワールドカップの際に、イタリアチームが仙台でキャンプを張り、宿泊したホテルである。楽しい大使との会話がはずみ、結果的に「スローフード」になった。ローマ県とは姉妹県関係を結んでいる本県であるが、これを機に、宮城県とイタリアとの関係がさらに深まればいいと思っている。

 コートなしでも寒さをあまり感じないほどになった。本格的な春の訪れは、すぐそこである。走るのをさぼったりしているうちに、体重だけは着実に増えている。これでは、来月18日のつばきマラソンを走り通すことはむずかしい。心しなければならない。


2004.3.24(水)

 昨夜は、千葉県議会、千葉県内の市議会から本県に視察に来られた方の何人かと、私としては遅い時間まで懇談をしていた。ということもあり、今朝の走りはやめてもよかったのだが、起きられたので6キロ走ることにした。走り出してみれば、気持ちのいいもの。うぐいすの声も聞こえてきたり、楽しいひとときではあった。

 午後からは、村田町竹の内の産業廃棄物最終処分場に関して、環境保全をどのようにして図っていくべきかについての検討委員会に出席した。廃棄物の処理にあたった業者は、壊滅状態になっている。彼等に期待することはできない。行政として、いかに対処すべきかが問われている。

  現地を視察したあとに、委員会が開催された。住民の方々からすれば、自分たちには何の責任もないのに、山紫水明の地が環境汚染に悩まされ、健康被害も心配しなければならないということで、被害者である。行政としては、悪徳業者をしっかりと監督指導すべきであったのに、結果として環境汚染を心配しなければならない状態を現出してしまっている。反省すべきことは、はっきりしている。将来に向って何をなすべきか。この時点で、しっかりと対応策を講じなければならない。


2004.3.21(日)

 東京の朝。たまには違ったコースを走ってみようと思い立ち、皇居から靖国神社、そこから靖国通りをひたすら駆け抜けたら、両国橋に辿り着いた。隅田川沿いのテラスを走るのは初めて。せっかくの隅田川の景色だが、ホームレスのテントが並ぶようでは、さすがに興ざめである。走り続けて地名を見たら、駒形である。浅草雷門はすぐそこのはず。結局、50分で雷門に着いてしまった。2時間走をするつもりだったので、ちょっと拍子抜け。浅草仲見世を走り抜け、浅草寺を過ぎ、56分40秒(10キロの目安)地点で引き返した。復路は20秒ほど早かった。

 ウインドブレーカーなしの短パンとシャツ姿だったので、やや寒かったが、気にならない。初めてのコースの興奮ということもあり、幸せだな、幸せだなと自分に言い聞かせながら走っていた。半蔵門のところの桜はすっかり咲き揃っていたが、そのほかの桜はまだまだ。春先の走りを心から満喫できるのは、寒い冬の間も走り続けてきたから。真冬の走りで、朝日が昇ってくるのを見ながら走る帰り道が最高の気分なのと同じことだろう。寒さの中の走りを経験したからこそ味わえる春のランニングの幸福感、暗さの中を走り始めたからこそ、日の出の美しさを愛でることができる。


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