宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 1月第3週      

2004.1.17(土)

 土曜日は、比較的長い距離を走ることが多い。そのための条件の一つとしては、前夜に、「よし、走ってやるぞ」という気持ちを持って寝に就くことである。今朝は、その条件が整っていなかった。目覚めても、気力充実とはいかなかった。こういう時は、無理して走ると、義務感をあとあとまで引きずってしまう。ということで、本日は、7時半ごろまで寝ていた。

 行事は入っていたが、ゆったりできた土曜日である。世の中は、やっと仙台の冬らしくなった。気温が下がっているのを感じる。

 北海道知事の高橋はるみさんが、初期の胃がんで入院という報に接した。15日に、北海道東京事務所でお会いした後、札幌に戻っての記者会見で自ら発表したとのこと。お会いした時には、全くそんな気配を感じさせなかった。彼女の気丈さに感心する。一日も早いご回復を祈っている。


2004.1.16(金)

 諸条件が重なって、今朝の走りはなしにした。体重が日によって、大きく乱高下する。3,4日の間に、2キロの差というのは大きい。今朝あたりは、もちろん、高のほうである。

 芥川賞を19歳と20歳の女性が受賞したというニュースに驚かされた。今朝のNHKニュースで、そのうちの綿矢りささん(19)がインタヴューを受けていた。19歳といいえば、私の次女と同じ年齢。19歳の頃の私自身は、どういった文学体験をしていただろうかなどと考えながら、かわいい顔をした綿矢さんを見ていた。

 一昨日のTBSラジオ「おはよう一直線」出演の際に、生島ヒロシさんと一緒に感動した「現代学生百人一首」について書くのを忘れていた。東洋大学が募集した恒例のもので、今回が第17回目。その中で、養護学校2年の中野孝博さんの作品を二人でえらく気に入って、番組でも何度か引用した。〈周りよりゆっくり進む舟ですが あなたの言葉が私の舵です〉というもの。最初は、恋の歌かなと思ったが、よくよく味わうとそうではない。「世界で一つだけの花」に通じるものである。しみじみと心に入ってくる。それとは別に、年頃の娘を持つ身としては、〈遊んでよ かわいくつぶやく父の声 背中に聞きつつデートに行くの〉というのも身に染みた。

 今日も一日、スケジュールに追われながら終わってしまった。なんやかや、懸案は出てくるものである。


2004.1.15(木)

 朝の5時45分の東京は真っ暗である。走ってTBSのラジオ第8スタジオに。生島ヒロシの「おはよう一直線」に今年初めての出演である。昨日の放送では体調が最悪と言っていた生島さんだが、今朝はなんとか回復した模様であった。

 放送後、いつものように、皇居一周のジョギングへ。1キロ5分40秒のペースを守って走ったが、上り坂となる後半は、このペースでもきついくらいだった。我、衰えたりを感じる一瞬である。

 関連企業へのご挨拶、東京事務所での取材受けなどのあと、なつかしの北海道東京事務所に赴いて、高橋はるみ北海道知事に要請を申し上げた。「なつかしの」というのは、20年ほど前、北海道庁勤務中には何度か足を運んだところだったから。「要請」は、PCBの無害化処理に関して、宮城県のPCBを室蘭市にできる施設で処理させてもらいたいというもの。東北、北陸、北関東などの15県が同様のお願いをしており、今日は、中沖富山県知事、平山新潟県知事も同席した。


2004.1.14(水)

 天気予報では、朝方から大荒れということだったので、始めから走る予定ではなかった。予想どおり、仙台地方も雪模様。今晩のどんと祭は寒くて大変だろうなと思った。正月の松飾りなどを燃やすお祭りは、各地で行われているが、わが大崎八幡神社のどんと祭は、大がかりである。「わが」と断ったのは、私が子供の頃に住んでいた町内に八幡神社があったから。名物は、裸参りである。屈強な若者たちが、下帯一丁になって、練り歩く。しばらく暖冬が続いていたが、今晩あたりはさぞや寒かろう。

 県庁では、来年度予算編成の仕上げの季節。一日中説明を受けていた。そんな合間に、村田町竹の内産業廃棄物処理施設に関して、業者が逮捕されたことへのコメントを求められたり、その他、いろいろさまざま、頭を悩ますことが起きる。

 アメリカでBSEが発生して、牛肉の輸入が止まり、牛丼の吉野家が困っている。安い牛丼で食生活を成り立たせていた青少年が悩んでいる。半年前の卵を流通させていた業者がいる。山口県からは、ニワトリのインフルエンザのニュース。一体、何を食べたらいいのかとぼやきながら、今晩は東京に向かう新幹線の中で焼き鳥もつまんでの「夕食」を済ませた。


2004.1.12(月)

 三連休で、今日も休み。今日が成人の日ということであるが、昨日行われたところも多い。その中で、古川市では、式後に新成人の一部が騒いで救急車出動の場面まであった。その救急隊員に暴行というから、何をか言わんや。

 その休日を利して、今朝も少し長い距離を走った。2時間走がなかなかできず、こども病院までの1時間40分。今朝もそうだが、このところ、スローペースである。靴を変えたせい、寒さゆえ、ウエアで走りにくい、そして加齢に伴う身体機能の低下。多分、最後のことが正解なのだろうが、あくまでも身体の声を聴きながら自分に合ったペースで走るのが基本である。無理せず、80歳過ぎまで走り続けるのが目標。

 夜は、明日から始まるアジア女子バスケットボール選手権大会のレセプションに出席。中国、韓国などの強豪チームには、190センチ以上の選手がいる。一緒に写真を撮ったが、私は椅子の上に乗らないと写らないぐらいであった。  


2004.1.11(日)

 今朝の走りは、米子市にて。生まれて初めて来たところで走るのは、それ自体わくわくする。昨日、空港からホテルに向う車の中から目をつけていた「水鳥公園まで5.1キロ」の表示。朝6時半から走り始めて、丁度30分で水鳥公園なる所に着けるし、戻ってきて7時半で、ホテル8時半の予定にもぴったりのはず。そう思って走り出した。今野秘書も一緒なので、心持ちペースはゆっくり目である。水鳥公園に着いたのが、29分45秒。まだ薄暗い湖面(?)に鴨(?)が遊んでいるのを目にして、復路に向った。復路もぴったり同じペース。近来にない気分のいい走りであった。

 航空機、新幹線を乗り継いで米子から仙台に戻ってきて、宮城県福祉事業団が主催する「福祉セミナー」に参加。テーマは、前日、米子でやったのとほぼ同じである。会場は、600人近い参加者で一杯。つまりは、全国あちこちで、障害者の地域生活を支援するためのシステムをどうするかという議論が、実践者を巻き込んで真剣に行われているということ。17年前に厚生省で障害福祉課長をしていた頃に夢想していたことが、いまや実現に向って確かな歩みを始めている。今度は知事の立場で、しっかりと応援していかねばの想いを強くした。


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