宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記  1月第1週&第2週       

2004.1.10(土)

 朝、時間がなかったが、3キロだけ走った。家を出る頃は、西の空に、まるくて黄色い月が照り輝いていた。広瀬川にかかる澱橋を渡ると、山の端の輪郭が見え出し、遠景のビルの輪郭が浮き出てくる。日の出前の東の空は赤く染まりつつある。寒さゆえに、発汗が始まる前には短い走りを終えてしまう。手袋の指先は、寒さでしびれを覚えるほど。それもこれも含めて、冬の走りの醍醐味である。仕事上の気になることも、寒さの中を走るうちに、負けん気が身体から湧き上がってくるのを感じる。

 朝早かったのは、新幹線と航空機を乗り継いで、鳥取県米子市に赴くため。「福祉フォーラム4 in鳥取」で、國松善次滋賀県知事、片山善博鳥取県知事との鼎談に参加。「地方自治体の福祉への静かな助走」というタイトルであったが、これは、16年前、私が初めて書いた著作「豊かな福祉社会への助走」から取ったとのこと。

  そもそも、このフォーラムに参加することになったのは、米子市内で福祉の仕事をしている渡部恵子さんに頼み込まれてのことである。彼女の言では、5年前から頼んでいたのに、無視されっ放しだった。私としても、彼女の熱心さについついほだされて来ることになった。出てみれば、最近のこの種の集まりに共通であるが、参加者の熱心なことに、これまたほだされてしまう。私としても、ふるさとに戻ってきたような気持ちにさせられて、気分良く話をさせてもらうことになる。今日も、障害福祉の課題、支援費制度の問題点と展望などについて、お二人の知事ともども、大いに語り合った。

  会場では、16年前の著作が、パート2ともども、結構の売れ行きだった。おまけに、最新刊の「アサノ知事のメルマガ」、「アサノ知事のスタンス」のみならず、前作の「福祉立国への挑戦」までもが、買い手多数であったのは、望外の幸せ。求めに応じて、著者サインを多数やることになった。これだけでも、米子に来てよかったという感じである。

  夜は、明日の走りに備えて、早目にリタイア。それでも、昼にはおいしいおそば、夜は日本海の海の幸を、当方の才覚で見つけ出して堪能することができた。


2004.1.9(金)

 金曜日にたどり着いた。今週の月曜日から始まった新年の第1週目が、今日でやっと終わる。「やっと」というのは、これで新年モードが終わるだろうという思いから言っている。浮かれている場合ではない。今年も始めから、内外ともにさまざまな懸案が目白押しである。県庁の仕事だけとっても、むずかしい問題が山積している。めげずに、しっかりと解決に努力をしなければならない。

 そんな決意をしながら、寒い中、今朝は4キロだけ走った。足元に雪が残っているところが、わずかにある。そういうところは注意しながら走る。これが冬のジョギングの定石。

 夜は、母親のところへ出向いた。新年のあいさつというほどでもないが、近くに住む姉も一緒に食事をしながら、なんやかんや話し込んだ。84歳になる母親が、心身ともに元気で一人暮しをしている。周囲を見れば、老親介護の問題で悩んでいる人がたくさんいる。そういう中で、母親がこの年齢でも元気でいてくれていることは、ありがたいことである。


2004.1.7(水)

 連日の新年会で、正月ムードがなかなか抜けないが、そんな中でも仕事はきっちりしなければならない。県警情報公開訴訟の上告期限が今日だった。昨年の12月24日の仙台高裁判決では、被控訴人(宮城県知事たる私)が敗訴、つまり、食糧費の執行に関しての職員名の開示を命じる判決であった。この判決を不服として最高裁に上告することは、法理論的にいって適当ではないという判断をした。決して、「政治的判断」ではない。純粋に理論的に検討を重ねた上での結果である。

 午前中は、献血をした。「前回献血をしたのはいつですか」と聞かれて、3,4年前と答えたのだが、調べてもらったら、実際は6年前のことであった。これは、ショック。時間の流れがこんなにも速いのかという驚きもあるが、自分にとってはごく最近と思っていたことが、結構昔のことであることが判明したことのショックである。それはそれとして、400ミリリットルの献血ができたこと、それによって何の支障もなかったことについては、自信を深めていいのではないか。

 夜は、ラジオ3の「シローと夢トーク」に、山形市の笠原さん夫妻を迎えて、今年初めての生放送であった。今年も、エルヴィス、ジョギング、そしてこの日記とメルマガ、これらを休まずにやれればいいなと思っている。


2004.1.6(火)

 毎年恒例の新年ご挨拶のため、昨夜から東京に。宮城県出身の経済界の方々のところに赴く。その中の一人は、KDDI社長の小野寺正さん。彼は、仙台二高で私と一緒だった。小野寺さんは理科系、私は文科系だったので、クラスが一緒になることはなかった。その彼が、日本を代表する通信系の会社のトップにいるというのは、うれしいことであり、心強いことである。今日は、社長自ら、私たちに新しい機能を備えた携帯電話の説明をしてくれた。小野寺さんとは、来月、県立宮城大学での公開講座でご一緒することになっている。

 夜は、生島ヒロシさんと仙台で食事。昨夜、気仙沼にいる生島さんから電話をもらったのだが、こういったことは何度目かである。「こういったこと」というのは、生島さんが仙台近辺に出向いている時に、私が東京に来ているという行き違い状況のこと。今回は、幸いにして日程が合って、仙台でお食事ということになったが、何度かは機会を逃している。1500回を数えるTBSラジオの「生島ヒロシのおはよう一直線」を彼が休むのは、正月とお盆の時だけ。その貴重な機会に仙台で会えるのは、ラッキーである。今年も、何度か番組に出してよね、とお願いしながら、楽しい会話がはずんだ。


2004.1.5(月)

 9連休という長過ぎる正月休暇を終えて、今日から平常に戻る。朝の走りの開始も、早い時間でないと始業に間に合わない。久し振りに、5時45分の離床、6時15分のランニング開始。世の中は、まだ暗闇の中である。この冬初めてのことであるが、寒さを感じた。軍手しかしていない手は、しびれるほどである。軽く走るつもりが、結局、6キロ走となった。

 あっという間に、通常の仕事モードに戻れるのも、朝の走りのおかげということもある。毎年のことであるが、職員を前にしての年頭の挨拶。今回は、納税者の存在を意識した県政の推進を強調した挨拶になった。結論だけ書くと、あたりまえのようだが、そうでもないことが問題。その辺のことを、話したつもりだが、うまく伝えられたかどうか。

 仙台市と商工会議所が共催する新年祝賀会で、いつものように、祝辞を述べた。このところ、「けなすのではなく、ほめ合いましょう」ということを言い続けていた。今年は、同じようなことではあるが、自虐的にならないように自分、そして地域、国に誇りを持ちましょうということを話したのだが、これまた、しっかりと伝えられたかどうか。

 知事室で、新年のご挨拶をお受けする場面が多かった。その合間を縫って、しっかりと仕事をすることからも免れない。そんな感じの、2004年の仕事始めであった。


2004.1.4(日)

 休み続きで曜日の感覚をなくしてしまうが、今日は日曜日。SMCへ。今年になってから、昨日を除いて毎日メンバーと一緒に走っていることになる。公式には、今年初めてのSMCということになる。ロッカー室代わりに使わせてもらっている源吾茶屋の方々、お世話いただいている事務局の皆さん、今年もよろしくと感謝しながら6キロコースを走った。今年は、月のうち半分ぐらいは出席できるだろうか。

 長かった正月休みも今日で終わり。次女は首都圏の大学に戻り、私も明日から職場に戻る。給水所で長い時間休んでしまったあと、再び走り出してペースに乗るまでどれだけかかるか。明日の仕事のためのペーパーを書いたりしながら、ウオーミング・アップをしていた。  


2004.1.3(土)

 昨日の34キロ走のあとであるが、筋肉痛になっていないか確認する意味からも、4キロを軽く走った。不具合なし。さすがにスピードは上がらないが、走るのには何の支障もない。昨日、ゆったりペースで走ったので、筋肉への負担が少なかったからだろう。朝方の雨は上がっていたが、もやがかかっていた。それだけ気温が上がっているということ。

 昨日に引き続き、箱根駅伝のテレビ観戦。駒沢大学が強過ぎて、興奮する場面に乏しい。それにしても、母校のために必死で走る姿は、感動的である。たとえ最下位であっても、箱根駅伝に出場したというだけで、孫子の代までいばれるだろう。優勝した駒澤大学にはおめでとうだが、そのほかのチームにも、すべておめでとうを言いたい。

 休みが続くと、どうしても時間の使い方がゆったりモードになってしまう。何事もできないうちに、休みがあと1日というところに来てしまった。


2004.1.2(金)

 例年の如く、SMC有志による塩竃神社参拝ランニング。「有志」は、35名。復路まで走ったのは、15名。今年も、往復34キロの走りをきっちりとやり遂げることができた。風邪引かない、膝や腰に不具合がない、事前の走り込みが十分という条件があってのことである。年初にこれができると、少なくとも体力的には、今年も一年間がんばれるという自信が湧く。

 箱根駅伝は、駒沢大学が順当に往路優勝。これで、3連覇は確実だろうが、観るほうとしては、駒沢大学のメンバーの誰かが、ブレーキになったほうが、優勝争いの興味をつなぐことになって面白い。今日のハイライトは、5区、箱根の山登りを走った全国学生連合選抜チームの筑波大学の鐘ケ江幸治選手が、「卒論もあって悩んだが、箱根駅伝を走ることにした」と言いながら、なんと区間賞を取ってしまったこと。国立大学の選手が区間賞というのは、過去の歴史にあったのだろうか。練習環境だって、恵まれていなかったはず。これは、すごい快挙である。

 こちらがこうやって正月気分を楽しんでいる時に、仕事をしなければならない人たちもいる。江戸時代から続く「仙台初売り」で売るほうに回っている人たちは、元日から準備に追われたはず。その他、飲食店、交通関係、警察関係の方々などは、正月も休めない。そして、イラクに派遣された自衛隊員。家族も含め、お正月どころでないだろう。


2004.1.1(木)

 2004年になった。4で割り切れる年だから、オリンピックとアメリカ大統領選挙がある。そんな年ではあるが、個人的には、いつもと同じ元日の過ごし方である。一年前の日記を覗いてみたら、今日とほとんど同じような内容であった。つまり、SMCの初走りで大崎八幡神社へ。そして、家族での東照宮へのお参り。年賀状うんぬん。

 暖かい元日であった。ここまでのところ、明らかに暖冬である。冬はきっちりと寒く、そして夏ははっきりと暑くというのが、作物にも景気にもいいのだが、なかなかそうはいかない。それでも、これだけ暖かいと、身体には楽である。お参りの出足も、相当によかったのではないだろうか。

 小泉首相の靖国神社参拝というのが、ニュースらしきもので、特に大きな出来事もない一日であった。さすがに今日は、知的作業は全くなしの完全休日にした。明朝の塩竃神社への参拝ランニングに備えて、今日は早く寝る。


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