宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 12月第4週&5週      

2003.12.31(水)

 今年最後の日記。今年最後の走りをするはずだったが、できなかった。ともあれ、恒例により、今年の年間走行距離を計算する。今月が125`で、総計1,371`。昨年より800`も少ない。昨日発信のメルマガにも書いたが、ともかく、こうやって走り続けていられることに感謝である。

 今年も日記を書き続けた。年末でもあるし、キリのいいところでやめようかとも思うが、どうしたものだろう。こんな、他人に見せるための日記を何のために書いているのだろうか。そもそもは、3年ほど前、私個人のホームページを立ち上げてしばらく経った頃、「月に一回ぐらいしか更新しないホームページなんて、誰も読みやしない」という卓見に接したのがきっかけだった。ホームページに日記を載せたら、見てくれる人が増えるんじゃないか。そう考えて始めたのである。

 何時の間にか、「愛読者」というか「中毒者」が増えてきた。「毎日、これをチェックしないと落ち着かない」という人がいる。しばらく書かないでいると、「どうかしたんですか」と尋ねられてしまう。まあ、そういう人がいる。それを知ると、簡単にはやめられない気にはなる。

 私にとっての実益は、あまり自覚できないが、「実害がなければいいか」ぐらいに考えていた。実害は、ごくごく少ない例だが、ないわけではなかった。テレビのドキュメンタリー番組を観て感激したということを書いたら、「あんなインチキを見抜けないなんて」と言われたこと、県議会での質疑についての感想に対する感想が言われたことぐらいである。「私的な日記の内容についてとやかく言うのは、ルール違反ではないか」という思いもあるが、それを公開しているのだから、仕方がない面はある。しかし、気を遣って書かなければならない日記なんて意味がないという気持ちになることも事実である。

 「なんのためにこんな日記を書くのか」なんてことは、こういう年末にでもならないと、改めて考えることはない。「なんのために、こんな仕事しているのだろうか」とか、「なんのためにこの人と一緒にいるのだろうか」とか、はたまた、「なんのために生きているのだろうか」といった問いに対して、自分自身で的確に答えられなくても、仕事も結婚もやめないし、もちろん、生きていることもやめない。それと同じような意味で、この日記を続けてもいいのかなとも思う。

 といった支離滅裂なことを書いているうちに、2003年は残すところ数時間となった。今年は今年、来年は新しい頁を開くが如く、新しい気持ちで張り切っていくぞという思いが湧いてくる。


2003.12.30(火)

 二泊の温泉休暇を終え、バスを乗り継いで帰宅。風が非常に強い。朝の走りも、あまりの強風ゆえに、走っていて全然楽しくない。28分で切り上げて、露天風呂に直行。

 帰宅して、なんとなくほっとしている。久し振りにパソコンに向かったりしているうちに、いつものペースに戻った。我が家での休日も悪くない。風呂に「温泉の素」の粉末を入れてにわか温泉に仕立てた。露天風呂でないのが物足らないだけで、我が家の「温泉」も悪くない。


2003.12.29(月)

 宿泊したホテルから、朝6時半ごろ走り出した。山越えコースなので、最初の2`超はずっと上り坂。平らな部分はほとんどなしのコースを1時間と7分走って、そのまま温泉へ。露天風呂に身を沈めて目を閉じれば、極楽気分である。

 今年の「このミステリーが面白い」のベストワンになった本を読みながら、疲れたら風呂に入りに行ったり、昼寝したり。夜は、またまたご馳走たらふく。これで朝の走りを抜いたら、体重増はまちがいないところ。


2003.12.28(日)

 今年最後のSMC。このところ欠席が多く、出ても途中でサヨナラの場面もあった。今日は久し振りに全コースを走った。森、須藤、菅原の県庁メンバーと、走ることに関する年齢の限界などについて語り合いながら6キロコース。私をのぞき、この三人は今年は故障に苦しんだようである。

 午後から、近郊の温泉場にでかけた。首都圏の大学に行っている次女も戻っている。両方のおばあちゃんも含め、総勢6人。今どき自家用車のない家庭はめずらしいが、我が家はそのめずらし組みである。荷物を抱えて、仙台駅からホテルのバスに乗りこんだ。風呂に入って、ご馳走を食べて、それなりの休日気分である。


2003.12.27(土)

 雪が降ってきた、ほんの少しだけれど。朝、6時半の仙台地方は、ほんの少しの雪模様。9連休の最初の朝であったが、走るのをあきらめてしまった。残念がる私に、「それでいいの」と言う妻。

 貧乏性の私としては、「休みの間にやるべきこと」のメモを作り、早速原稿書きをちょっとやったり、たまっていた「サンキュー・カード」を書いたり。とはいっても、休日は休日。途中まで読んでいたジェフリー・アーチャーの「運命の息子(上下)」の残りを読み終えるのが先であった。アーチャーの新潮文庫から出された8冊はどれも読み応えがあったが、今回のものも例外ではなかった。英国保守党の副委員長までつとめた彼は、偽証と司法妨害の罪で今年の7月まで禁固刑に服していた。作者本人の経歴のほうが、小説よりももっとスリリングである。

 雪が降ったり、青空がのぞいたり。それにしても、休日で仕事から解放されている気分は悪くないものである。


2003.12.26(金)

 今日が2003年の仕事納め。カレンダーのいたずらで、このあと9連休ということになる。こんなに長い間公務から遠ざかるということは、こういう時しかない。これから9日間どうやって過ごしたらいいのか途方に暮れる。貧乏人が、突然大金をつかんで、使い道に戸惑っている心境。

 恒例により。いろいろな方々が、年末のご挨拶に来られる。単なる挨拶ではなくて、ついつい、実質的な仕事の話にまでなってしまう。これまた恒例の職員に対する年末の挨拶を県庁講堂でしなければならない。義務のように書いているのは、毎年のこれが私にとっては結構重荷で苦手であるから。それでも、私なりに一年を振り返るような話をさせてもらった。

 ということで、一応は、ほっとした。懸案はたくさん年を越してしまうのだが、しばしはそのことを忘れて、のんびりしたいと思う。


2003.12.25(木)

 7月26日に発生した宮城県北部連続地震の被災5町、被害の復旧に懸命に取り組んできたが、年末に至ってどういう状況になっているのか。そのことを確認したいということと、お正月をなんとか元気で迎えてもらうために勇気付けも必要ということで、今日一日、5町を訪問させてもらった。

  仮設住宅に入居している方々は、不便はありながらも、それなりの安定した生活は確保している。しかし、二年間の入居期限が過ぎた後、どこに行くべきか、悩んでいる様子も見られた。表面上は、災害の爪あとは目立たないぐらいになったが、生活の内部にまで入ると、まだまだ不安と不満は少なくない。そんな状況と見ることができた。

 夜は、恒例の県政記者クラブのメンバーとの懇親会。メンバーの入れ替わりが激しいところで、半分以上の人が今年になってからの記者クラブ入りということになる。ついつい、話がはずんで、私とすれば、遅い時間までになってしまった。


2003.12.24(水)

 今朝も暖かい。久し振りになるが、4キロ走った。例年であれば、今頃はかなりの寒さである。その寒さと暗さの中で走り始め、だんだん身体が温まってくるのと同時に、世の中が明るくなっていく。そのことに感動を覚えながら走る。これが真冬のジョギングの醍醐味なのであるが、この暖冬ではそんな感じにならない。

 クリスマス・イブであるが、ホワイト・クリスマスにはなりそうもない暖かさである。年末だからということでもないが、職場では次から次へと問題がやってくるし、お客様も次から次へと。しかも、今日は「県民参観日」である。今年が初めての行事であるが、大勢の県民の方々が、県庁の参観においでである。その代表の方々との、30分ずつ2回の懇談も行事に入っていた。

 夜は早めに引き上げて、我が家でのクリスマス。家族からも、「とても珍しいこと」と言われてしまった。霞ヶ関での役人時代は、丁度このころが、予算編成の大蔵省内示にあたり、家に帰れるような状況ではなかった。知事になってからも、なんやかんやで帰宅ままならず。久し振りの我が家でのクリスマス・イブをささやかにお祝いをした。


2003.12.23(火)

 朝の最低気温が8.4℃。平年より8.6℃も高い。今日1日だけは自重しようということで、六時半まで寝ていた。

 天皇誕生日。それにふさわしく穏やかな暖かい青空が広がる一日であった。幸いにも、宮中にてお祝いをする席にお招きにあずかる年にあたった。夫妻で皇居にでかけた。知事仲間では、岩手県の増田さん、石川県の谷本さん、京都府の山田さん、岡山県の石井さん、愛媛県の加戸さん、沖縄県の稲嶺さんがご出席。古希を迎えられた天皇陛下がお元気そうで、なによりである。


2003.12.22(月)

 今日は、一年中で一番昼の時間が短いという、冬至である。一昨日の雪がまだ残っているというよりも、まだ疲れが抜けないということから、今朝も走らなかった。昨日の仙台育英の快走を思うと、走らずにはいられないのだが、むしろ、自粛。

 その仙台育英の駅伝チームが、優勝報告に県庁にやってきた。男子は堂々の優勝だが、女子は8位。渡辺高夫監督は「惨敗」と表現していたが、そんなことはない。8位入賞はほめるべき成績である。それにしても、男子の優勝タイム、高校最高記録はとてつもない記録である。コンディショニングがうまくいったということだから、これは監督の功績も大きい。しかも、全員1,2年生である。来年もコンディショニングがうまくいったら、一体どんな記録が出るのか。

 夜は、久し振りに連句の会。「うぬぼれ」という名前の会だけあって、みんな自分たちの句に感心している。私は,別な会合があったので、あとから合流したが、なんとか20韻を詠み上げた。私の句は、「霧深し 恋というから 来たくなる」、「戦後生まれが デカいこと言う」、「生きるとは 辛しブラジャー まできつく」、「月あかり 花の散り際 身届けて」と、狩野康子さんの捌きに4句採用してもらった。意外にも、「ブラジャー」の句がみんなからほめられた。今年の詠み納め。


2003.12.21(日)

 東京へ日帰り。平成16年度予算の内示を受けて、関係先への御礼やらなにやら。そんな業務をやっている間に、わが仙台育英が全日本高校駅伝でがんばっていた。女子は8位。男子は、本命視されていたが、見事に期待に応えて、ダントツの優勝を果たした。しかも、高校記録を大幅に更新するというおまけつき。この10年間で4度目の優勝である。渡辺高夫監督、あなたはえらいと、心から言いたい。

  10年前の平成5年、私が知事に就任した年には、仙台育英は男女アベック優勝だった。冷害、そしてゼネコン汚職で知事、仙台市長が逮捕といったことで、いいことがなかった年の最後に、素晴らしい快挙が飛び込んできたと言われたものだった。10年経った今年も冷害や地震など大変な一年だったが、同様なことが起きた。仙台育英の選手に、心からありがとうを言いたい。


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