宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記  8月第4週   

2003.8.23(土)

 朝一番。暑い東京で、皇居一周。1キロ5分35秒前後のイーブンペースだったが、さすがに、最後のほうは楽ではなかった。いい汗をかいて、暑い一日の始まり。

 朝食は、宮城県政策顧問の寺島実郎さんと。久しぶりになる。会わなかった間にお互いの身に生じたことなどを猛スピードの会話で埋めてから、それぞれの現在の関心事について話し合う。寺島さんは、ウクライナあたりに着目しているとのこと。なぜウクライナなのかを聞いて、納得。この人の問題意識の鋭さと着眼点の的確さに、いつもながら驚かされる。

 朝食を兼ねた情報交換を終えて、すぐに大阪に飛んだ。甲子園での夏の高校野球決勝戦応援のため。深紅の優勝旗が白河越えをする可能性は5割。それだけで、心が躍る。

 甲子園球場の一塁側アルプススタンドの上のほうに陣取っての応援。隣には藤井黎仙台市長。後ろには、鈴木繁雄仙台市議会議長。詳しいことは、火曜日発行のメルマガに書くことにするが、結果は、2対4で常総学院に破れた。いい試合だったが、相手が一枚上手ということは、認めざるを得ない。残念であるが、すがすがしい思いも残る。


2003.8.22(金)

 久しぶりに青空を見た。お天道様の顔を拝んだ。走るほうは、朝の仕事開始時間が早いこともあって、今日は断念。本当は、夏の仙台を走りたかったのだが、うまくいかない。

 9時半から1時間、宮城県緊急経済産業再生戦略の検討状況を県庁幹部職員に説明する場面であった。自画自賛になるが、前例のない仕事を、ここまでのところなんとかやり遂げつつある。国からの指示待ちでなく、我々からの発想で戦略プランを練り上げるという仕事は、なかなかつらいものである。しかも、限られた時間で、部局の縦割りを超えてプロジェクトを立ち上げるのであるから、職員同士ぶつかり合う場面もある。その作業も、一応の節目を迎える時期となった。

 昼までの仕事を終えて、再び幕張メッセへ。「チャレンジド・ジャパン・フォーラム」の知事セッションに参加するためである。「ナミねえ」こと竹中ナミさんの司会で、増田岩手県知事、木村和歌山県知事、井戸兵庫県知事、矢田神戸市長、開催地の堂本千葉県知事、そして、北川前三重県知事という顔ぶれ。口八丁、手八丁の顔ぶれが、障害者にITなどの機器を使ってもらうことによって、「障害者を納税者に」するために、何が必要かを話し合うというセッションなのだから、エクサイティングでないはずがない。

 甲子園のほうは、あれよあれよという間に、わが東北高校が勝ち進んで、いよいよ明日は決勝戦である。今日の準決勝の試合開始時間には、ある企画展示会のオープニング・セレモニーに参加していた。私の前にスピーチをした方が、その中で「21世紀は東北の世紀」とおっしゃったので、私は「そのとおりで、わが東北高校が今決勝進出を目指して試合を始めたところです」と言ってしまった。あまりにもタイミングがよかったもので・・・。

 ということで、明日は甲子園に応援に行く。


2003.8.21(木)

 東京の朝。神宮外苑方面へ走り出す。蝉時雨を聞きながらの走りである。そうか、今は夏なんだと改めて思うほど、仙台の8月は梅雨時もどきであった。本来の夏の走りでは、汗びっしょりになるのはあたりまえ。これこそ夏の走りの醍醐味。それでも、あまり疲れを残さずに8キロ走。

 8時から、都道府県会館で霞ヶ関勉強会。今朝は、財務省の池田さんから税制の国際比較について示唆に富む報告があった。同じく都道府県会館で、10時から第2回目の地域自立戦略会議。増田岩手県知事、梶原岐阜県知事、國松滋賀県知事、木村和歌山県知事、橋本高知県知事が出席。アカデミズムからは、月尾嘉男、神野直彦、北川正恭の先生方がご出席。三位一体改革などについての意見交換を行った。

 昼の時間は、21世紀臨調知事・市長連合会議。残念ながら、市長の出席はなく、知事も増田、木村各知事と私のみ。それでも、補助金廃止についての具体的な項目を挙げるなど、つっこんだ議論をすることができた。

 そのあとは、国土交通省に行って、宮城県港湾協会としての要望活動を行い、宮内庁に赴いて、今回の地震見舞金の御礼を申し上げてきた。またまた宮城県東京事務所に戻って、神戸新聞からの取材に対応。取材は、震災の住宅再建支援金についてであった。

 取材を終えて、車を飛ばして幕張メッセにでかけて、チャレンジド・ジャパン・フォーラム2003国際会議in千葉に出席。今日は、セッションには出られず、レセプションのみの参加であった。このフォーラムは6年前ぐらいから皆勤賞に近いが、人的ネットワークの宝庫のようなもので、たくさんの方々にここでお会いし、とても力強い友人を得た。今回は、アメリカ、スウェーデンからも参加者があって、またまた新しい友達ができそうである。いったん仙台に戻って、セッションに参加するために、明日またやってくる。

 甲子園では、わが東北高校が光星学院を破って、準決勝進出である。決勝戦には、日程が許せば、応援に行くことになるだろう。

 小学生の夏休みの日記のように、単なる出来事の羅列になってしまった。


2003.8.20(水)

 雨でなければ走るつもりでいたのだが、寝床からも雨音が聞こえる。これでは走れない。5日連続で走らず。このところ、お天道様の顔を見ていない。昨日、県内の2箇所で取れた稲の具合を見たが、やはり、出来が問題である。これから、日照と暑さが戻ってもらわないと、冷害の懸念がほんものになってしまう。

 仕事のほうが、だいぶ詰まっている。県庁内では、眠る時間もなく仕事に追われている部署もあるのだから、泣き言は言っていられない。ここががんばりどころである。このところ、会議の場面が多い。その準備をする職員の奮闘具合がわかるだけに、こちらも真剣に取り組まなければならないとの思いになる。

 夏の甲子園。あちら方面では、雨に悩まされていないようだ。宮城県代表の東北高校が平安高校にさよなら勝ちして、準々決勝に駒を進めた。明日は、東北同士の対戦。

 昨日発行のメルマガが、「百回記念」(実際は、102回目)であった。何人かの読者の方から、メールを頂戴した。どんな人たちが読んでいるのか、全然わからないで書いている身としては、ありがたいことである。日記は、書かない日が多くなったが、毎週火曜日発行のメルマガは、「無欠席」を続けている。肩の力を抜いて、書いていきたい。


2003.8.17(日)

 未明にバンコク空港を飛び立ったチャーター便で仙台空港に戻ってきた。空港では、早速記者団に囲まれた。今回のバンコク行きで、仙台空港との直行便の開設に、なんとか道筋をつけた感触はある。まずは、日本政府とタイ政府との間の航空交渉に議題としてあげてもらうこと。その後、具体的にいつ開設するかを航空会社が判断することになる。いずれにしても、この時期にトップセールスをすることができたのは、タイミングとしては良かったと思っている。

 帰り来った仙台は、気温35℃のバンコクとは打って変わって、肌寒いほどである。お米の出来がとても気になる。やはり、夏は夏らしく、うんざりするぐらいに暑いのがいい。  


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