宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 7月第4週&第5週分    

2003.7.30(水)

 朝から、地震災害の視察へ。河南町から始まって、南郷町、鹿島台町。午後からは、鳴瀬町と矢本町。河南町の北村小学校の壁が崩れている。鹿島台町では、役場の被害が大きくて、庁舎としては使えない。鳴瀬川にかかる小野橋が通行不能。なによりも、家屋が全壊している姿が痛ましい。

 学校の体育館などの公共施設で避難生活を送る方のお話を聞いた。昼間は、家具が散乱している家の片付けなどで自宅に行っている人が多くて、避難所に残っている人はあまり多くなかった。残っているのは、高齢のため、簡単には動けない方々ばかりである。やはり、大きな地震のショックから、不安が拭えない様子であった。

 まずは、住居の確保といった生活の再建が急がれる。そのために、仮設住宅の建設など、必要な方々には、緊急に対応しなければならないと強く思った。精神的な不安の解消を図ることも必要である。

 各町で、関係者が懸命に復興に努めている。県としても、最大限の努力を傾注しなければならないことを、改めて実感した。


2003.7.25(金)

 サンパウロの朝。天気はいいし、日程的にも余裕がある。体調十分。こんなに条件が揃っているのに、走ることができない。5年前に当地を訪問したときと同じ理由である。治安が悪いから、走ってはいけないと言われている。街の真ん中で、人通りもこんなに多いのに駄目なのかと質問してみたが、やはり駄目だとのこと。私のことを心配してくれるのはありがたい限りなのだが、「サンパウロは、まっ昼間でさえジョギングできないほどに治安が悪い」と私にあとあとまで喧伝されることについては、心配していないのだろうか。

 今日の日程は、比較的楽であった。昼には、サンパウロ領事館のレセプションに招かれて、広島県、兵庫県の訪問団の皆さんと一緒に、久しぶりの日本食をごちそうになった。そのレセプションの最中に、「宮城県で震度6弱の地震が発生」という情報が飛び込んできた。電話、ファクシミリ、インターネットという文明の利器を通じて、この地球の裏側に情報がほぼリアルタイムで入ってくる。早速、柿崎副知事に指示を出したが、今のところ被害はそれほど大きくないということなので、あとは状況把握に努めるだけでいいようではある。

 夕方は、ジャパン・フェスティバルに出席。開会式が長かった。私は決められたとおり2分で挨拶は終えたが、他の7人はそうはいかなかった。日本語・ポルトガル語の通訳が入るので、なおのことである。長い開会式が終わって、やっとフェスティバル会場を一回りすることができたが、宮城県をはじめ、各県の出店もそれなりに工夫をこらしてがんばっていた。

 そのさなかに、また、震度6強の地震到来の情報が入ってきた。今度は、南郷町でがけ崩れの発生という。柿崎副知事とは電話で話をした。ともかく、情報収集に努め、被害が最小限に収まってくれればと願っている。

 この日記は、地震発生のためと思われるが、電話が通じにくくなっており、いつ送れるかわからない。


2003.7.24(木)

 ブエノスアイレスの朝。7時半でもまだ暗いが、ホテルを出て走り出した。同行は、今野秘書と国際交流課の武田くん。道幅が144メートルという「7月9日通り」をオベリスクまで走って、そこから左折して港のほうまで走った。朝のラッシュ時間帯の中心街なので、どうしても信号にひんぱんにひっかかってしまい、走りのペースに乗りにくい。ホテルへの帰り道は別なコースを取ったものだから、途中で道に迷いかけた。かかったのは、約1時間だが、正味は56分、つまり10キロということにしておこう。

 昨夜は、クリントン大統領も来たというレストランで食事のあと、県人会の菊地会長の強い勧めで、タンゴを聴きにいった。「聴きにいった」というよりも、「見に行った」というほうがぴったりくる。というほどの見もの、聴きものであった。きざっぽい男性ときらびやかな踊りの女性のコンビが、タンゴのリズムに合わせて、すばらしいダンスを目の前で踊る。伴奏のタンゴもとてもいい。特に、70歳代と思える男性3人が、アコーデオン(本当は、別な名前)を実に楽しげに、そして達者に弾きこなしているのが印象的であった。あんなふうに年をとるのは、理想的と言えると思わせる場面であった。

 結局、タンゴが終わったのが12時近かったが、事前にちゃんと昼寝していたので、眠くはない。朝も、ゆっくり寝られたので、走っても何の支障もない。これで、時差ぼけはなしである。

 10時過ぎから、アルゼンチン宮城県人会の50周年記念式典。本来は、一昨年に50周年を迎えたのだが、我々の都合で今年に延びてしまった。それだけ、我々のアルゼンチン訪問が待たれていたということになる。ここで、宮城県議会の高橋長偉団長以下8名の議員と合流。

  菊地会長の式典挨拶の中で、「知事が来るのは、平均して17年に一度」と言われてしまった。私としては、その分だけ、申し訳なかったという思いを込めてご挨拶を述べさせてもらった。70名近く出席されていた県人会の方々の胸に、その思いが届いてくれていれば、うれしいのだが・・・。

 式典のあとの昼食会では、お一人おひとりとお話をさせていただいた。それぞれが、大変な苦労をされていることがわかった。パラグヮイに入植したが、奥さんが病気になって、文字通り死ぬ思いでアルゼンチンに移住してきた方、2.26事件のその日にビザを申請して渡って来た方。まさに、一人の移住者にひとつずつの歴史があるということだろう。

 こういった人たちのお子さんのうちの何人かは、宮城県に留学をしている。そういう人たちの日本語は達者であるが、2世、3世ともなると、日本語がほとんど話せない人も何人かいらっしゃる。そんな人たちも含めて、今回の我々のアルゼンチン訪問を歓迎してくださった。たった一晩のアルゼンチンである。心を残しながら、サンパウロに向けて飛び立つことになった。


2003.7.23(水)

 アルゼンチンのブエノスアイレスに着いた。現地時間、23日の午前11時、日本時間だと、午後11時である。やっと着いたという感じ。仙台空港を出たのが、22日の午後3時だから、28時間かかった。名古屋、ロス・アンジェルス、サンパウロで乗り換えがあったが、それ以外はずっと機上にいたことになる。機内食が出て、食べて、寝るの繰り返し。50年前に宮城県から移住してきた人たちは、船で来たのだから、何十日かけてはるばるやってきた。それと比べれば、ひとっ飛びということなのだから、これしきで大変だなどとは言えない。

 ブエノスアイレスは一晩だけ。その一晩をアルゼンチン大使館の大部一秋公使のご配慮で、アルゼンチンの最近の情勢をご説明いただきながら、夕食をごちそうになった。機内でも、ホテルでも、暇をみつけては寝ていたので、元気は十分である。明日以降も、活躍できそうである。


2003.7.22(火)

 連休明けである。ふだんの月曜日のスケジュールとなる。幹部会、庁議、定例記者会見。記者会見は、仙台空港のホノルル便の運休、経済産業再生戦略、石巻市と6町の合併問題、東北電力女川原子力発電所の定期点検など。辻元社民党前議員の秘書給与問題まで見解を聞かれてしまった。そんなことなので、昼休みに大幅に食い込んだ。

 ばたばたと仕事を片付けて、仙台空港へ。名古屋空港を経由して、今晩、アルゼンチン・ブラジルに出かける。この日記は、名古屋空港の待合室にて書いている。これはちゃんと送れるだろうが、彼の地からはどうなるか、行ってみないとわからない。うまくいったら、アルゼンチン日記、ブラジル日記を送ることになる。


2003.7.21(月)

 海の日で休日である。海の記念日というには、天気がよくない。お日様の顔を随分長い間拝んでいない。今朝も、雨模様であったので、布団のなかで朝の時間をやり過ごしていた。実は、走るには体調がいま一つなので、その意味では、悪天候は言い訳になっていいのだが、この長雨と低温は大いに気になるところである。

 午後からは、外国人で日本語を学んでいる若者のための「日本語ジュニア・サミット」に出席。お金ではあまり貢献できないので、宮城県では、身体で払いますと、主催者であるJRP(ジャパン・リターン・プログラム)の池崎美代子専務理事に申し上げておいた。だから、宮崎県、岡山県と巡業してきた次の開催地である本県では、知事がサミットのコーディネーターを務めることになった。

 9カ国(ハンガリー、メキシコ、モンゴル、ブルガリア、キルギス、ブラジル、韓国、ウズベキスタン、中国)プラス日本からの4人に加えて、16人の準パネラーでのディスカッション。16歳から18歳までの青少年である。テーマは、「ヒューマニティと平和」であるが、宮城県では食料という観点からこのテーマを論じることにした。

 細かいことは書かない。一人を除いて全員が、日本に来るのが初めてとのこと。日本語を勉強して2,3年というのが大半である。その外国青少年の発表が、素晴らしい。日本語能力は言うに及ばず、話す内容がすごい。聞けば、「話したいことがあるから、日本語を覚えたいと思った」とのこと。日本の青少年に欠けているのは、まさにそのことである。英語を学んでも、それを使って話すべき内容がない。つまりは、日本での教育の問題に行き着く。英語教育ではない。日本語教育というか、自分の頭で考えさせることを中心に置かない、日本の教育そのものの問題であるような気がする。

 池崎さんによれば、この「日本語ジュニア・サミット」の最大のねらいは、日本語を学ぶ外国人の姿を見せることによって、日本の青少年に日本語や日本の歴史を学ぶことの大切さを訴えることにあるとのこと。深く、納得する。その意味では、私にとっても、身体と時間を十分に使っただけの価値はあると言える、今日の経験であった。


以前のジョギング日記はこちらから



TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org