2003.2.14(金)
世の中は、聖バレンタイン・デイとかいって、好きな男の子にチョコレートを贈る日なんだそうだ。日本のチョコレート業界の商魂にまんまと乗せられているだけなのに、もらって喜び、贈って興奮している。それはそれで、平和な日本の証なのだろう。イラクでこんなことが行われているか、はたまた、北朝鮮においておや。かく言う私も、6人(団体を含む)からチョコレートをもらって、「去年より少ないなあ」などとほざいている。
その聖バレンタイン・デイの朝は、雪が残っていて、妻から発走停止命令が出された。 素直に従って、2日続いてのお休み。
仕事のほうは、今日から県議会が始まった。開会日恒例の「提案理由説明」を45分にわたって読み上げた。平成15年度予算案の審議など、重要案件が提案されている。年に4回の県議会の中では、最も長い、最も重要な会期である。気持ちを引き締めて、しっかりやらなければと思う。
夜は、海外技術研修員の研修修了式に出席。海外からやってきて、9ヶ月の研修を終えた9人の若者に修了証書を渡した。9ヶ月前には、日本語がほとんどできなかったという研修生が、立派な日本語で御礼のあいさつを堂々としている。研修受入れの団体の人からは、「今の日本の若者にはないようなひたむきさ、奥床しさを感じる」との感想が披瀝された。
2003.2.13(木)
今日の日記に昨日のことを書く。昨日は、「食育の里」という名前の事業を1年間実施した北上町にでかけた。「食育の里」とは、食を起点の文化事業といったものである。宮城版スローフード運動を、県からの働きかけで始めてみたらどんなものだろうということで、今年度から始めた。北上町を選んだのは、食ということでは、それほど有名ではないが、可能性を秘めた町というのが理由である。
「うちの町には、何もない」と言う女性13人に、自分が作っている食材をあげてもらったら、全部で300種類にもなった。これには、本人達がまず驚いた。そこからすべてが始まったのである。この町でも、仕掛けたのが結城登美雄さん。一緒に働いたのが、県の環境生活部生活・文化課の面々。7月には、観音講での食事会が開催され、10月には、NHKの全国放送で北上町での活動が放映された。着々と運動が定着していく。
そしてこの日は、今年度の仕上げみたいなもの。旧正月の正月料理をお母さん方が作ってくれた。地元の3校の小学校の4年生を中心に100人の食事会が開催され、私もごちそうをいただいた。海の幸、山の幸と、食材がとても豊かであるし、おいしい。そのあと、またまた結城さんを交えての対談。結城さんは、それに先立って、小学生にこの町の食文化について授業をしてきている。
というわけで、日曜日の宮崎町に続いて、食に関するイベントへの参加である。宮城県の食文化の豊かさと、それに気付いた地域の人達の誇りに輝く顔が忘れられない。
夜は、伊達篤郎さんの93回目の誕生を祝う会に出席。15人ぐらいの小さな会だが、毎年お祝いしている。伊達政宗公の四男で、岩出山に居を定めた伊達家出身の方である。私の選挙の際に、応援団長をお願いした縁もあり、その時の仲間と毎年席を囲んでいる。ともかく、このお年で、ダンディな姿を保っているのが、なんともうらやましい。昨年暮れに長く連れ添った奥様を亡くされたので、今年は、特にお慰めをしたいという皆の思いもあった。ご本人もお喜びであったが、それを眺める私達もうれしい、そんな会であった。
そして、今日。ITの各分野のフロント・ランナーとも呼ぶべき方々5人をお招きしてのトークを公開で行った。私がコーディネーターを務めたが、ものすごい辛口の意見も含め、とても有意義な示唆をいただいた。自画自賛になるが、やってよかったという懇談会であった。
2003.2.11(火)
建国記念の日。久し振りの完全休日である。小雨の降る中、6時20分発で宮城大学コースへ。走りには、巡航スピードというのがある。走っていて気持ちが良く、いつまでも、どこまでも走り続けていけそうになるスピードのことである。このスピードは、その日の体調、天気、走る時間帯などで微妙に違う。
今朝の走りは、この巡航スピードより少しばかり速かったようだ。往路はよかったが、復路の半分ぐらいのところで、がくんとスピードが落ちた。スタミナ切れ状態。去年11月の河口湖マラソンでのラスト5キロのとぼとぼ走りのような状態になった。結局は、復路は往路より3分ほど遅いタイムで22キロ走を終えた。しばらくぶりの長距離で、鍛錬不足を実感してしまった。