宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 1月第2週   

2003.1.11(土)

 昨夜は遅くならないうちに帰宅。ほぼノンアルコール。このところ体重が増加傾向。本日の公務は、12時から始動すればいい。条件が整っている。ということで、土曜日恒例の、少し長めの走りをすることにした。

 愛子方面、つまり、子ども病院に向けての18K走。なんと、旧国道48号線から子ども病院建設現場に入るところを走り損ねて、そのことに1K走っても気が付かなかった。あまりに走りに集中していたか、それとも、酸素を足の筋肉に取られて、脳が一瞬の酸素不足に陥ったか、いずれにしても、珍しい失態である。10Kを過ぎたところから、「持病」の左足の違和感が増してきたが、痛みまではいかないうちに走り終えた。快調。

 午後からは、「自分らしい、その人らしい地域生活支援」というセミナーのパネリストを務めた。知的障害を持つ本人も、同じパネルに並ぶ。「もう施設には帰らない―知的障害のある21人の声」という本に手記を寄せている松本さんの発言が、心にぐさりとささる。「親の会」はあったが、「本人の会」というのがなかったこの分野であったが、やっと、こうやって自分の気持ちを表明する動きが出てきた。今回の支援費制度が、本来期待されていたような内容になっていない、「裏切られた」という思いを痛切に持っているのも、本人たちである。この人たちのためにも、なんとかしなければならないという気になる。


2003.1.9(木)

 朝6時、真っ暗なうちから、皇居一周のランニングに出発。暗い中を走っていると、快調なペースであるように錯覚する。実際はそんなこともない。このところ急速に走力を上げている渋谷秘書と、1`=5分40秒ペースで走った。実際はそれより速いペースになり、一周27分40秒。久し振りに、いい汗をかいた。

 在京の宮城県関係の産業界の方々のところをお訪ねして、新年のご挨拶を申し上げた。いろいろなご示唆と刺激を頂戴した。景気が悪い中ではあるが、元気でがんばっている企業もあることを知って、力づけられる。

 仙台に戻ってきて、いくつか仕事をこなし、夜は、北海道大学の山口二郎先生などと食事をしながら歓談。行政学者と行政の現場を預かる者と、仕事の話ばかりではないが、心が通い合い、お互いに勉強になることが多い。


2003.1.8(水)

 加美3町合併協定調印式が、中新田町のバッハホールで行われた。今年4月1日に「加美町(かみまち)として、正式に発足する。ここに至るまでは、紆余曲折があった。昨年の10月末になって、色麻町が離脱して、4町合併で「加美市」になるはずが、3町合併に形を変えることになった。マラソンで言えば、ゴール直前で、もう一つ山を越して来いというようなものである。ふつうであれば、がっくりくるところを、3町の町長さん方はめげなかった。確固とした信念があったからこそ乗り越えられたと言える。県内の合併に向けてのレースでは、常に先頭を走っていた地域であるので、今回の「金メダル」は当然とは思うが、とても大きな意義を持っている。

  県内で合併を目指している他の市町村にとって、今回の協定調印は、具体的な目標を得たということになる。実務的にも、モデルを示したものである。合併への動きは、これで大いに加速するであろう。その意味では、4町合併が3町合併になったとはいえ、今回の調印は画期的なものである。金メダルは、その分だけ輝きを増すことになる。

  この歴史的な調印式に立会人として出席できたことは、私にとっても、非常にうれしいことである。仙台市内とは違って、道路の両側に雪がたくさん残っている中新田の町に冬の太陽の光が降り注いでいた。素晴らしい門出である。

  午後からは、上京して、新年のごあいさつということで、いろいろな方にお目にかかった。単なる挨拶ではない。とても有意義なご示唆をいただいた方もいらっしゃる。ありがたいことである。

  今日は、わがエルヴィス・プレスリーの誕生日。生きていれば、今日で、満68歳ということになる。68歳のエルヴィスの歌声を聴いてみたかったが、見果てぬ夢である。


2003.1.6(月)

 今日が仕事始め。「待望の」というのがホンネである。仕事をしたいということよりも、もう休みはたくさんだという感じ。9連休はホントに長かった。

 会う人ごとに、「おめでとうございます」を連発するいつもの正月風景。県庁職員を前にしての年頭のあいさつも、恒例になっている。こういう機会は、しょっちゅうあるようで、意外と限られている。県庁組織として、今年一年、どんなふうに仕事をしていくか、その基本のようなものを語るべき貴重な機会である。

  いろいろ言ったが、「論争文化の定着を」ということに一番の重点を置いた。組織内での議論を活発に展開するということが一つ。対外的にも、あえて「平地に乱を起こす」というつもりで、論争を提起していくことも重要である。あらかじめ説明しておけば、議論の応酬で済むべきものが、タイミングを逸したり、情報が正しく伝わっていないがために、事後的な言い訳に追いまくられることが往々にしてある。そんなことを説いたのだが、的確に伝わったかどうか。

  20分の予定が、26分の話になってしまった。そのあとは、昨年に引き続いて、第2回目のMVP大賞の表彰を行った。昨年一年を通じて、目覚ましい活躍をした職員を表彰するというもの。今回は、4人の個人、4つのチームを表彰した。在宅ホスピスケア推進チームは、庁議での保健福祉部長による「自慢話」でも取り上げられた事業である。長寿社会政策課の本間照雄班長のユニットケア型の老人ホームについては、彼の論文を私の講演でも引用させてもらったことがある。産業技術総合センターの超精密加工研究チームは、私のランニングのコーチ、森由喜男さんが指導的役割を果した。いずれも、わが宮城県庁の誇りとも言える実績を挙げてくれた。

  こんなふうにして、2003年の仕事始めの日が終わった。一日を終わって、やはり仕事をして、いろいろな人と顔を合わせる、バタバタの生活のほうが性に合っていることを認識した仕事始めである。


2003.1.5(日)

 日曜日。定例のSMCでのランニング。今朝は最低気温チェックしなかったが、結構寒かった。昨夜からの雪で、路面が滑りやすい。今週は、1日の元旦ランニング、2日の塩竃神社参拝ランニングに続き、3回目のSMCである。寒さにも、滑る路面にもかかわらず、毎回50人ほどの参加者がいるというのが、心強い。「ランナーはあまり長生きしないかもしれないな」といった恐ろしい会話をしながら、今朝も6Kプラス3K走った。このところ、8日間連続、正月休み9日間での走行距離は、93K。去年は、正月休みで2.5`ほど体重が増えたが、今年は変動なし。昨年の教訓が生きた。

 そうこうしているうちに、いよいよ明日が仕事始めである。やっと休みが終わるという感じで、休みには飽きてしまった。ある程度走り回っていないと、頭は働かないし、意欲も湧かない。今晩は早めに就寝して、明日からの活動に備えよう。


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