宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 12月第4週   

2002.12.28(土)

 今日から始まる9連休。いつも腹ぺこだった人間の前に、突然ご馳走がテーブル一杯に並べられた感じ、貧乏でピーピー言っている人間に、大金が舞い込んできたようなもの。つまりは、どうしていいか分からないということなのだが、実は、そうでもない。ゆっくり休めることの幸福感に包まれて、時間の流れに身を任せている。

 とは言いながら、貧乏性が顔を出す。9連休の後はどうせ忙しくなるのだから、今のうちに原稿を書き貯めておこうという発想になる。そして、今日は現実に原稿を3本書いてしまった。

 走るほうは、休みに入って存分に楽しもうと思っていたのだが、このところの寒さである。路面状態も良くない。今朝も自粛。これで3日間走らずということになり、身体がなまり、体重が増える。明日は、今年最後のSMCである。気温も平年並みに戻るらしいので、仲間と一緒に走りたい。  


2002.12.27(金)

 寒い寒い一日。とは言っても、朝は走らず、昼間も外へ出ることはほとんどなかったので、ぶるぶる震えることはなかった。それでも、この寒さは、仙台としては1級品である。

 今日が1年の仕事納め。恒例の「年末の挨拶」として、県職員に向けて20分間語りかけた。どうも、苦手であるが心を込めて話したつもりである。一年を振り返って、分権の一年、食の一年、教育の一年、雇用・景気の一年、サッカーの一年という思いを語った。各部局にもがんばってもらったので、それぞれ仕事の上で評価すべきヒット作を挙げさせてもらった。

 カレンダーの上だけのことと言ってしまえばそれまでだが、こうやって2002年の仕事は納め時を迎えた。カレンダーのきまぐれで、今回の年末・年始は9連休ということになる。どこにでかけるという予定は全くないので、来し方をじっくり振り返り、将来のことを考え抜く時期にしたいと思うのだが、どうなることか。原稿も書き貯めしておきたい、読書もしたい、もちろんジョギングも大いにしたい。さて、このうちのどれだけができるのか。それにしても、これだけ自由時間がまとまって用意されていることに、興奮してしまう。


2002.12.26(木)

 昨日の雪が、今朝はあちこちで、歩道の上の凍りつき状態になっている。これでは、ジョギングの許しが出るわけはない。しかも、今朝は7時半からの朝食勉強会。どちらにしても、走る条件は整っていない。こんな日が続くのが、12月、1月である。

 一日中、時間的な余裕のない日であった。2002年の仕事も、今日と明日を残すのみとなったことも、関係ないわけではない。駆け込み仕事のようなものも、入ってくる。そんなこんなで、仕事に追われるような形で一日が終わった。  


2002.12.25(水)

 クリスマス・イブには降らなかった雪が、今日降った。雪というよりは、みぞれ模様であったが、仙台の町は一応「ホワイト・クリスマス」状態になった。積もりはしないが、朝方の冷え込みで凍ることになるだろう。これでは、明朝の走りはやめたほうがいい。たまたま、早朝の勉強会があるから、どっちにしても走れない。

 「ふるさと懇談会―知事さんあのね」の第55回目は、牡鹿町。捕鯨の町として栄えたこの町も、最盛期の人口13,000人が、今では5,400人。この5月に下関で開催された国際捕鯨委員会に出席した折に買い求めた、鯨のネクタイを締めて出かけて行った。漁業の町にも、デフレの波は押し寄せている。魚価が上がらない。これでは、将来的にやっていけるかどうか不安になるのも無理もない。そういった状況の中でも、元気にがんばっている人たちにお会いすることは、とてもうれしいことである。

 夜は、今年最後の「シローと夢トーク」に出演。通算150回目ぐらいだろうか。エルヴィス・プレスリーの曲だけをかけてこれだけの回数。結構ギネスブックものかもしれない。そんなことより、DJをやっている本人が、心から楽しんでいる。


2002.12.24(火)

 クリスマス・イブ。イブになる前の朝は、早く起きずに寝ていた。昨夜は、岩沼でのクリスマス・コンサートに酔いしれて、思わずおそ寝になってしまったので、2日連続の走りなしデイ。そのせいではないのだが、体重を計ってみてびっくり。毎日つけている体重日誌をずーっとたどっていって判明した。この10ヶ月間での最高値である。

 昼は、西澤潤一先生のお祝いの会。勲一等瑞宝章と西澤メダル創設のお祝いである。勲一等のほうはわかるが、西澤メダルは解説がいる。西澤先生の名前を冠したメダルが創設されることになった。エジソン・メダル、グラハム・ベル・メダルと並び称されもので、「20世紀の天才」に与えられる最高の栄誉である。

  西澤先生は、当然、ノーベル賞をずっと前に受賞していてしかるべき、ものすごい業績を残している方である。今日に至るまで受賞されていない理不尽さを考える時、やっぱりノーベル賞といえども、受賞のためには、運だけでなく、政治力がものを言うということを信じたくなる。日本の学会での、足の引っ張り合いということも、考えずにはいられない。

 日本人として初めての、自分の名前を冠してのメダル創設という快挙を目の前にして、そんなことを思う。


2002.12.23(月)

 天皇誕生日で休日。このところ出張で出っ放し、しかも、行く先々で走りっぱなしだったので、「疲れているはず」。「 」にしたのは、どうせ妻がそう言うだろうと思っていたら、やっぱりそのとおりに言ったから。ということで、今朝は走らずに寝ていた。寝ていたといっても、7時前には離床してしまうところが貧乏性というところだろうか。

 貧乏性の続きで、家にいてメールを書いたり、メルマガを書いたり、県外宛て(しか出せないことになっている)の年賀状800枚余の一部に直筆コメントを加えたりで休日の時間が過ぎていく。

  夕方からは、少しは文化的にということで、岩沼市民会館での「いわぬまクリスマス・コンサート」に妻や友人達とでかけた。「三枝成彰が思う、今一番上手い人たち」というタイトルでのコンサート。ソプラノ塩田美奈子、ヴァイオリン千住真理子、チェロ長谷川陽子、ピアノ横山幸雄のみなさん。なんと、横山さんは、2日前に頼近美津子さんのご紹介で一緒にお食事をした方。30歳にて「巨匠」と呼ばれるほどの大変な実力のピアニストである。演奏を聞くより前に、一緒に食事をしたというのも面白いと言えば面白いこと。

  このコンサートが、なんともぜいたくで、楽しかった。千住さんの弾いていたヴァイオリンは、何十億円とかいう値段のつくものという紹介を三枝さんがしていた。3ヶ月前から弾き出してやっとなじんできたという。そんな音色を聴かせてもらう幸せ。横山さんの華麗なピアノには、妻がしびれていた。長谷川さんのチェロは、横山さんの伴奏の妙もあって、素晴らしいの一語。塩田さんのソプラノの舞台から、突然私に声が掛かって、彼女の歌に合わせてダンスを踊らされるという場面まであった。素直に従った私もえらい。

  ともあれ、とてもとても素敵なクリスマス・コンサートであった。


2002.12.22(日)

 久し振りに仙台発信の日記。

 午前中はゆったりできる日程だったので、今朝の走りのスタートは7時半。寝もたっぷりだし、時間はあるしで、余裕のランニングということになる。岡山駅前のホテルを出発して、市電の終点の東山を過ぎて岡山国際ホテルまで。「東山」というだけあって、上り坂がずっと続いて、伴走の渋谷秘書はつらそうであった。復路は、旭川の堤防を走って、後楽園の横を通るコース。いい天気で暖かく、気分の良い走りであった。11K。

 京都市では、高校駅伝をやっていた。岡山から帰る日だったので、ところどころしかテレビ中継を見られなかった。わが仙台育英は、女子が7位、男子が6位と健闘した。男子は昨年優勝だから、もう少し上に行くのかと思ったが、そうは甘くない。そういえば、先日、我々が京都の町を走ったときに、長崎県の諫早高校、新潟県の十日町高校の男子選手が練習しているのと行き違った。ほんの一部だが、我々もあのコースを走ったのである。

 岡山も暖かだったが、帰って来た仙台もとても暖かい。今日は冬至。まさかこのまま春になることはないのだが、春を思わせる気候であった。わがベガルタ仙台は、天皇杯の4回戦でジェフ市原に1対2で敗戦。実力どおり受け止めなければならないのだろう。


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