宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 12月第3週   
2002.12.21(土)

 岡山市から発信の日記。

 今朝は、寺島実郎さんとの朝食会があったので、ジョギングをする時間がとれなかった。毎度のことだが、寺島さんと話していると、いろいろな示唆を受けるし、元気も湧いてくる。最良のビタミン剤などと言ったら、寺島さんに失礼だろうか。

 羽田から岡山空港に飛んで、倉敷市にある川崎医療福祉大学にて特別講義なるものを1時間半ほど行った。私が厚生省障害福祉課長時代から旧知の江草安彦さんが学長、同じく岡田喜篤さんが副学長を務めている。初めてお邪魔したが、施設、設備が素晴らしいだけでなく、内容も充実している。毎年、7億円の黒字を出しているという経営にも、真底感銘を受けた。設立12年にして、岡山県にとっての、大きな財産に育ったわけだから、創立以来の学長である江草さんの手腕はすごいものである。

 特別講義は、高齢者福祉を中心に、宮城県での取り組みを、自慢話ではなく、実物大で描くことに留意しながらやらせてもらった。学生だけでなく、行政関係者、福祉関係者、一般県民など、多くの人にお集まりいただいて、話すほうとすれば、光栄の至りである。


2002.12.19(木)

 東京発信の日記。  

 京都の朝は、渋谷秘書とともに1時間走。曇り空だが、気温は7℃と暖かいので、走る条件としては最高である。なによりも、京都の町が素晴らしい。他の都市とは、まるで違った雰囲気で、ランナーとしては、とても走りやすい。次々と有名、無名のお寺や神社が出てくる。歴史上に名のある地名のところを走り過ぎるのも、いとをかしというもの。今朝は、意識して小路のようなところを走るように心がけたが、渋谷秘書としては、くねくね走り回るので、リズムに乗りにくかったようだ。

 東京では、全国知事会に出席。今回も、何度か発言の機会があった。この時期の知事会は、知事本人の出席率もあまり高くないこともあり、全体としては議論が低調であるのが、ちょっと残念ではある。


2002.12.18(水)

 京都から発信の日記。

  当地の島津製作所に赴いて、田中耕一さんへの宮城県県民栄誉賞授与をさせてもらった。10月30日には、田中さんに宮城県庁までお出でいただいたのだが、それ以来の再会ということになる。なんとなく、なつかしさを感じる方であり、今回が2回目とは思えない。旧友に会うような気分にさせてくれる雰囲気が不思議といえば不思議。ストックホルムでのノーベル賞受賞から帰られたばかりで、お疲れの様子であった。本人も、風邪気味とおっしゃっていた。

 矢嶋社長にも同席いただいての授与式であったが、矢嶋社長も田中さんも、私が京都まで出向いて来たことを多として下さって、丁重な感謝の言葉があった。私とすれば、田中さんの時間を取ってしまうことは、とても心苦しかったし、島津製作所にもお伺いしたかったので、京都に来るのは当然のことと思っていた。逆に、お二人の心配りに恐縮である。

 授与式には、数えてみたら、40人のマスコミが取材に来ていた。「しばらくは、こういう取材はないですよ」と私があえて申し上げたのだが、マスコミからの質問は、意外に短いものだった。これがふつうであって、ノーベル賞受賞式の時の日本からの取材陣の狂奔、面白がりぶりは、常軌を逸していると不快に思っていたのだから、これが丁度いいのかもしれない。


2002.12.17(火)

 天気予報では今朝は雨ということだったので、そう決めつけて朝寝をしたら、走って走れない天気ではなかった。気温も低くない。だからといって、別に損したというほどのものでもない。たまには、こういう日があっていい。

 午前中は、宮城沖地震を想定した図上演習。被害状況だけが付与されて、それに関係各部局長がどう判断して、どう行動するか、シナリオなき演習である。この手の演習は初めてである。うまくいったことはうまくいったが、むしろ、準備しておくべき手順、確認しておくべき事柄が数多く出てきた。それが、この演習の成果の最も大きなものと言える。

 午後、少しばかり時間が空いたので、懸案になっていた歯科診療に赴いた。県庁内の診療所であるが、これまで何ヶ月も空き時間が取れなかった。特に痛いところ、悪いところ、治療を要するところはないが、虫歯のあとを埋める材料が劣化したので、そこを入れ替えるというもの。1時間以上かかったが、来週もう1回来ないといけない。

 歯磨きは結構入念にやっているので、ここの歯医者さんにも「いい出来です」とある程度おほめをいただいている。毎食後、電動歯ブラシによる歯磨き粉なしの磨きを1回、歯磨き粉をつけて1回、時間があれば、そのあとに歯間ブラシを使う。今回の詰め替えを終えれば、治療のほうはほぼ完璧になる。「8020」、つまり、80歳になっても自分の歯を20本以上持つという目標を達成するために、なんとかがんばりたいものである。

 夜は、ベガルタ仙台のJ1残留を祝う会に出席。そのあと、仕事をはさんで、連句の会へ。今年最後である。前回と2回がかりで、36句の歌仙を詠み上げることができた。今夜のメンバーは、私達夫婦を入れて7人。狩野康子先生の見事な捌もあって、今夜の作句は、結構面白いものができた。いつもながらであるが、食事をしつつ、笑いさざめきながらの、時間を忘れるひとときであった。


2002.12.16(月)

 週の初め。天気予報では、暖かい朝ということだったので、今朝も走ることにしていた。久し振りに早い時間に走り始めた。世の中は、やっと明るさが出始めた頃。こういう時間帯に走り出すのが、早朝ジョギングの醍醐味ではある。走っているうちに、だんだん明るくなってくる。景色の色合いが5分ごとに変わっていく。こういう光景を走りながら眺めている人は、そう多くはあるまい。そんなことを思いながら、今朝は6K走った。

 定例の庁議は、話題満載。とても充実した時間である。自慢話あり、興味深い報告あり。昼前は、定例記者会見。これも、話題満載。田中耕一さんのノーベル賞受賞、田中さんへの県民栄誉賞の授賞、文部科学省の学力テスト、民主党党首選、税制改正、イージス艦派遣などなどについて質問があった。一つひとつ、丁寧に答えていたので、45分もかかってしまった。

 夜は、恒例の歳末警戒のあと、県議会各会派代表との懇親会。これは、恒例ではなくて、最近では初めてのこと。場所が歳末警戒の最終地点、国分町交番の真向いのお店だった。和気藹々とした中で、いろいろなことを自由に話すことができたのは、とても有意義であった。


2002.12.15(日)

 どうも、このところ日記が幕下並みになってきた。つまり、15日間に7番しか相撲を取らない幕下力士のように、今日出て明日休み、その次出て、又休みという具合。まあ、義務で書いているわけでないから、ご容赦を。そもそも「ご容赦を」なんていうことが、読者を意識しての言辞であって、日記書きの風上にも置けない言い草だと言われそうであるが・・・。

 昨夜は、来日中のマレーシアのマハティール首相夫妻と会食をする機会に恵まれた。東京での公務を終えて、ご夫妻で宮城県ではのんびりしたいという意向とのこと。公務抜きのゆったりした時間を、我々夫婦も共有できたのは、とても幸運であった。この20日で、日本流で言えば喜寿を迎えるとはとても思えない若々しい姿に驚嘆させられた。常に挑戦の姿勢でいることが若さを保つゆえんであると、ご著書に書いてあったとおりである。

 来日は50回を数えるという親日家のマハティール首相であるが、最近の日本の自信喪失ぶりにはがっかりとしているとのこと。日本に比べれば小国であるマレーシアの首相でありながら、欧米諸国の横暴振りには歯に衣を着せない厳しい発言を繰り返している。アジア通貨危機の際には、欧米諸国の一大非難をものともせずに、自国の通貨リンギットを守るために固定相場制をとった。そのことが功を奏して、マレーシア経済は最悪の危機を脱して、成長路線に復帰している。

 そんなことを聞き知っていたので、さぞや強面の方かと思っていたら、どちらかと言えばシャイで、もの静かな感じの人であることに安心すると同時に、親しみを感じた。あまりむずかしい話はせずに、楽しいことを語り合いながらの小人数での愉快な会食であった。

 明けて日曜日の朝は、いつものようにSMCへ。このところの寒さが一段落して、穏やかな12月の朝を気持ちよく走った。四捨五入をすると70歳の石川トヨ子さんと並んで走ったが、相変わらずお元気で、こちらも元気を分けていただく気がする。走り終わって、久し振りに汗を大量にかいた。汗の始末を怠ると、風邪を引く。それだけを気をつけながら家路についた。  


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